鎌倉右大臣の選ぶ十人一首

昨年末の深夜にこそこそと、自分の好きな和歌紹介をしていたツイートをまとめてみました。 自分もまだまだ勉強中の身につき、いい加減な解釈や説明をしている箇所もあるかもしれませんが、何卒ご容赦を。
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源実朝 @m_sanetomo

永福門院は持明院統(後の北朝)の伏見天皇の中宮。夫帝や彼が重用した京極為兼と共に、京極派の代表的な歌人の一人だ。京極派の和歌の特徴は、実景・実感描写を重んじたこと。繊細な自然描写によって、叙景歌を完成させたと言われているんだ。…では今夜の分は、日付が変わった後にまた!(・∀・)ノ

2011-12-28 23:40:19

永福門院は三島由紀夫が高く評価していた歌人でもあるんだ。

京極派の和歌が多く収められた勅撰集が『玉葉和歌集』『風雅和歌集』。
書籍としては両方ともお高い専門書しか刊行されてないようだが、ネット上で読むこともできる。
和歌データベース 玉葉集 風雅集
永福門院や伏見院、京極為兼を個別に扱った本も何冊か出ているので、京極派に興味を持った人はそちらも目を通してみてね。

源実朝 @m_sanetomo

というわけで、おやすみ前の和歌紹介つづき。八夜目は私に負けず劣らずな和歌オタク(笑)の室町将軍から。「夕顔の 露の契りや 小車の とこなつかしき 形見なりけむ」(足利義尚/常徳院詠・文明19年5月21日庚申によめる、夏車)

2011-12-29 00:07:19
源実朝 @m_sanetomo

大意は「まるで夕顔の花に残る夜露のようなはかない契りであったが、常(とこ)懐かしい忘れられない人であった。」小車は牛車の意味で、牛車の床(とこ)と「常なつかしき」の掛詞になっている。

2011-12-29 00:11:21
源実朝 @m_sanetomo

義尚殿は19歳で『新百人一首』を選定したり、勅撰集の編纂に乗り出したりと精力的に活動していたが、25歳で亡くなって勅撰集は未完に終わったそうだ。酒の飲み過ぎが原因て話だが…よほど辛いことでもあったのかね(´・ω・`) ではおやすみなさい。

2011-12-29 00:14:47

文明15年(1483)に選定された『新百人一首』の一覧。→新百人一首 - Wikipedia
小倉百人一首と歌人が被らないように選んでいるのがポイントだな。
私の父上や薩摩守忠度殿も入選しているよ。
良い歌も含まれているのだが、やはり元祖よりは落ちるかな…というのが正直な感想。

義尚殿の家集には『常徳院殿御集』等があるが、どうも群書類従を当たらないと読めないようだ。
室町以降は和歌よりも連歌、江戸時代に入ると俳句の方が盛んになったため、有名な歌人でもなかなか歌を目にする機会が少ないのは残念。

源実朝 @m_sanetomo

おやすみ前の和歌紹介の時間だよっと。九夜目は、安土桃山から江戸初期にかけての激動の時代を生きた武将歌人から。「蘭の花 うら紫の 色に出でて うつり香さへも 絶えしなかかな」(木下長嘯子/挙白集・恋・恨絶恋)

2011-12-30 00:11:32
源実朝 @m_sanetomo

大意は「うら紫色に咲き乱れるフジバカマの花は、まるで私の恨みが色に出ているかのようだ。あの人との仲は、移り香さえも絶えてしまった。」蘭はフジバカマの古名。その花の色の「うら紫」と「恨むる」を掛けてるんだ。関係が途絶えてしまった恋人への恨みを綴った歌だな。

2011-12-30 00:16:32
源実朝 @m_sanetomo

長嘯子は北政所ねねの甥で、小早川秀秋は実弟にあたる。関ヶ原の時に伏見城から退去したのを咎められ改易になり、その後は歌を詠みながら数多の文化人と交流する人生を送った。彼の歌集『挙白集』は、西行の『山家集』と共に芭蕉の愛読書だったそうだよ。ではおやすみなさい。

2011-12-30 00:21:32

長嘯子(本名は木下勝俊)の和歌の師は、古今伝授の伝承者としても名高い細川幽斎。
その他にも松永貞徳、藤原惺窩、林羅山、小堀遠州など第一級の知識人たちと親交を持っていたそうだ。
しかし歌風は当時としては自由奔放で斬新なものだったため、保守派からは批判されたのだとか。

数年前のセンター試験で出題された「うなゐ松」の作者として、長嘯子を記憶している者もいるかもしれないな。
2006年センター試験 国語Ⅰ・Ⅱ古文『うなゐ松』口語訳
これは『挙白集』の中の一篇。早世した子を追慕し、悲しみを詠んだ和歌が収められている。

源実朝 @m_sanetomo

おやすみ前の和歌紹介の時間です。今までほぼ時代順にやってきたが、最後はやはりこの方の歌で締めさせてもらおう。「白妙の 袖の別れに 露落ちて 身にしむ色の 秋風ぞ吹く」(藤原定家/新古今・恋歌五・1336)

2011-12-31 00:11:32
源実朝 @m_sanetomo

大意は「白栲の袖と袖を分かつ後朝の別れに、涙の露がこぼれ落ち、身にしみる色の秋風が吹いていることだ。」朝が来て別れなければならない男女を「袖の別れ」、悲しみの感情を「身にしむ色の秋風」という風雅な情景描写で表してみせたのが、この歌の素晴らしさだろう。

2011-12-31 00:16:13
源実朝 @m_sanetomo

定家卿の歌は表現が凝っていて、最初は難しく思えるやもしれぬが、意味がわかると深さに感心させられるよ。私ごときが評するのもおこがましいがな(・∀・) てな訳で、古今の和歌紹介企画は今日でお終い。読んでくれていた者がいるか謎だけど、いたら感謝するぞ!ではおやすみなさい。

2011-12-31 00:21:31

定家卿についてはみんな知ってるだろうし、今さら補足はいらないよな?
(べ、別に手抜きしてるわけじゃないんだからね!!)

「あの人のあの歌が何故ない!」という苦情もあるでしょうが、ツイッター上に個人の和歌botが存在する人物はあえて省いて選んでみました。
(自分が知っている限りの)和歌・古典系のbot一覧を貼っておくので、各アカウントに飛んでじっくり味わってみて下さい(´∀`)
Twitter / @m_sanetomo / 和歌・古典