アサシンクリードから広がる、世間に流布する弥助に関する情報の怪しさについての議論まとめ
関連まとめ
(2024/6/5追記)
ここで主にまとめているラム・マイヤーズ氏による弥助に関する情報についてのまとめです。ここでまとめていない情報もまとめられているので、こちらもぜひご覧ください。
弥助Wikipedia記事における出典の問題
弥助のwiki、参照付けておきながら不正確な引用多い。 「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にあり、信長は弥助を気に入って、ゆくゆくは殿(城主)にしようとしていたという[11]。 [11]にそんな記述はない
2024-05-18 15:57:33この[11]は文中にもあるイエズス会日本年報のこと。
2024年現在の記事上では、正確には以下の文献からの引用としている。
村上直次郎; 柳谷武夫(訳)『イエズス会日本年報 上』雄松堂出版〈新異国叢書〉
氏はこの前のポストで、国立国会図書館でこの文献を調べたことを投稿している。
「弥助は城主候補」説が海外にまで広まっていたので国立国会図書館で原文(イエズス会日本年報)を調べる。要するに弥助(本文中では一貫して黒奴)は力強く芸も少しできて信長のお気にだから、京の人が「あいつトノになるんじゃね?」と噂していたという話だった。芸とは? x.com/Skull_Os/statu…
2024-05-18 15:37:49弥助、フィクションで散々擦られ知名度あると思ってましたが意外と無名なのかな..? ・戦国時代、奴隷として日本へ ・黒い肌が珍しく信長が引き取る ・名を貰い武士に、城主候補に ・本能寺の変では信長の側に ・明智光秀に見逃される ・その後消息不明 ロマンの塊過ぎるんよ。そら主人公になるよ。 pic.twitter.com/dVtI1tjdsw
2024-05-16 12:35:17これもそうだ。 『弥助は一国一城の主になるプランもあった』 x.com/KYuriel/status…
2024-05-18 15:51:44ちなみに弥助は本能寺の変が起きなければ、武士どころか一国一城の主(大名)になった可能性もあったとか。 pic.twitter.com/aIFaGmTFez x.com/potemkin0P/sta…
2024-05-16 13:32:20弥助のwiki、参照付けておきながら不正確な引用多い。 「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にあり、信長は弥助を気に入って、ゆくゆくは殿(城主)にしようとしていたという[11]。 [11]にそんな記述はない
2024-05-18 15:57:33宣教師 「黒人奴隷(弥助)を見世物にしたならば短期間で8千~1万クルサド稼げるな」 (イエズス会日本年報より) クソがよ・・・
2024-05-18 16:15:21弥助(Yasuke)が伝説の侍だと思っている外国人さん。彼に関する資料のほぼ全ては2分以内で読めるのでノンフィクションをうたうトーマス・ロックリーの分厚い小説を信じるのは止めてもらいたい。 1.イエズス会日本年報 2.家忠日記 3.信長公記 pic.twitter.com/GCYFk2U7q9
2024-05-19 12:06:12(2024-5-23)
ラム・マイヤーズ(@laymans8)氏 から上記について訂正・補足のポストが投稿されたためまとめに追加しました。
「ノンフィクションをうたう」は誤解を招くので訂正します。本自体は学術的部分(ロックリー氏)と小説(ジラード氏)とで分かれています。
2024-05-22 21:58:47ご本人も「日本語の本は基本的に学術書です。弥助の生涯のあらゆる学術的な可能性を探偵のように探るのは大変なことでした。今回出版する英語の本はその結果です。」とおっしゃっています。 thelastdragontribute.com/african-samura…
2024-05-22 21:58:48ただし、歴史家に小説の内容をメディアで語らせるやり方は最悪です。後ほど著者自身がフェイクと把握する珍説が世界中に拡散した経緯をご紹介します。
2024-05-22 22:02:37(追加ここまで)
イエズス会日本年報に記載がない件、ここ数日、私以外にも気づいた人が複数いて削除されるけど、その度に「信長公記に基づいています」と復活する。でも追記される内容は「日本年報にあり」のままなので訳分らんのですよ。さすがに完全な捏造はないと思うのですが・・・ x.com/DividedSelf_94… pic.twitter.com/U9ssEpMfQq
2024-05-20 02:28:50弥助についてよくよく調べてみると、どうも「捏造」といっていいようなレベルの偽史になってきてるみたいで、これ笑い事じゃないな。 原資料にないことがwikiに書かれて、さらにそれが又引で事実にされて、それが海外で「史実」として流布されている。ヤバイぞ。
2024-05-20 00:50:25弥助の実像に関する議論
弥助さんが武士であったかどうかについて(主に海外で)色々議論があるようですが、彼は少なくとも現在確認できる限り信長から所領を与えられていないので、「給人」のカテゴリ、つまり足軽などの、あくまで正規の武士とはみなされない存在だったと考えられます
2024-05-18 10:31:59その上で本能寺の後、フロイスの記録を信じるならば弥助は捕えられた後、光秀によって彼を信長に献上したイエズス会に「返還」されているので、認識としてそもそもイエズス会の「財産」である「奴」として考えられていたかと。
2024-05-18 10:31:59ただ弥助が甲州征伐に参加していたことは日本側の記録にもあり、信長に従って戦場にも赴く存在であったことも確かで、「史料に残っていないだけで武士として取り立てられていた」可能性は確かにあります。但し光秀は彼を武士としては取り扱っておらず、少なくとも織田家中にその認識は無かったかとも
2024-05-18 10:32:00@1059kanri 弥介の地位について明確なことは言えないのは確かだと思いますが、所領を与えられていないから武士ではないというのは違うような気がします。日葡辞書には領地を持たぬ武士のための「切米」という言葉もあるし、そもそも武士全員が所領を持っていたわけではないですよね? x.com/tougoku_kenki/…
2024-05-18 21:06:01『日葡辞書』(慶長3,4年) Qirimai. キリマイ(切米) 年毎に、あるいは、一定の時期毎に、まだ領地を持っていない武士に、主君が支給する扶持米。
2024-05-18 20:06:05@1059kanri まあ苗字を与えられていなかったという点は同意できますね。領地の話はどういう意図だったんでしょうか。
2024-05-18 21:11:48@BS_Hakus 少なくとも非武士身分から取り立てられた場合は、武士は主人に軍役を提供する必要があるので、そのためにも所領の付与が必要です。「切米」というのは既に武士身分にあり所領を追われ牢人となった場合の援助ですね。
2024-05-18 21:17:07