(事実判断が)論理的でない人に論理を強要できるか
<瀧岡氏ツイート>
https://twitter.com/#!/yutakioka/statuses/145152781718794240
(ツイートがうまく読み込めなかったのでURLを提示しておきます。)
21)上記はさっきのまとめの別ツイート。これがさらに瀧岡氏の「北風派」っぷりを示している。「太陽派」の僕は感情論になったら「あなたの感情と同じくらい僕の感情も重視して下さい」とお願いするだろう。
2012-01-10 21:25:3622)多数性と常識が根拠にならないのは瀧岡氏に同意するが、分かりやすさが根拠にならないというのはちょっと納得いかない。人間は分からない事を判断できないので、相手に分からない説明をしてしまった側にも一定の責任はあると思う。
2012-01-10 21:25:4223)僕は衆愚政治という言葉が嫌いだ。知識人たちが大衆に責任転嫁しているように感じるから。「お前らが分かりやすく啓蒙しないから衆愚になるんだろ」と思う。もっと太陽派の池上彰みたいな人が増えると良いなあと思う。
2012-01-10 21:25:4924)本件の要旨をまとめておく。 論理的な人は「論理的に語ろうとしているが間違っている」人を論破するべきだし、「論理的に語ろうとしていないが主観を押し付ける」人を説得するべき。 押し付けていない人はセーフ。
2012-01-10 21:25:5625)「論理について無知だから主観を押し付けているように見える人」の扱いは「厳しく批判」の北風派と「優しく教育」の太陽派に別れる。 どちらが社会の役に立つか不明なので、この二派は主観的にしっくりくる方を選べばいい。要旨まとめ終わり。
2012-01-10 21:26:0526)瀧岡氏みたいな論理的な文章も書いてみたい気もするが、それよりもこのツイッター上で僕の個性が埋もれないように、有名アカウントとの差分を強調しておきたい、というのがこれを書いた動機。
2012-01-10 21:26:1227) このまとめは瀧岡氏にお伝えするつもりだ。ぜひご意見頂きたいと思う。その他の皆さんもコメント欄にご意見下さい。頻繁にツイートするタイプではないので返答に数日かかるかもしれませんが、よろしくお願いします。【終】
2012-01-10 21:26:34最後に手前味噌ですが関連まとめを宣伝しておきます。今回は2つのトゥギャッターまとめに対する具体的な考察でしたが、下記のまとめはもっと一般的な例で考えています。
@daikeiAZP 連絡ありがとうございます。お疲れ様でした。なかなか手間のかかるまとめで大変でしたね。ここで議論されているテーマは興味深いものですね。後ほどコメントさせて頂きますね。
2012-01-11 00:42:04@yutakioka コメントありがとうございます。それぞれのご意見に対して別々に返信させて頂きます。後でこのやりとりもまとめに追加させていただきます。
2012-01-12 08:08:02@daikeiAZP まずこのテーマなのですが、私はこのテーマ設定は少しミスリーデイングな気がします。というのは、常に論理的な話し方を強制できるかできないか?というのが問題であるかのような印象を受けるからです。
2012-01-11 07:24:07@yutakioka ミスリーディングに関しては、白状すると、実は狙ってやったみたいな所もあります。僕はまとめのタイトルは内容から大きく逸脱しない限り、ミスリードの可能性があっても、よりキャッチーなものを採用するべきと思っています。読者の興味をそそるからです。
2012-01-12 08:08:35@yutakioka もちろん原発などデマになってしまいそうな内容ならそれは避けるべきですが、本件のような内容なら大丈夫かと思っています。テレビの「CMの後もまだまだ続く!」と言っといて続かない、と同じ程度のありふれた詐欺かな、と。
2012-01-12 08:08:46@yutakioka それを許容するかしないかは読者の主観によるでしょうけど。これは正しい姿勢ではないと思いますが、この「タイトルの付け方」というような細かい部分の正確性までツイッター上に求めてしまうと、堅苦しくて読みにくい文章が溢れそうで嫌だな、と思います。
2012-01-12 08:08:57@yutakioka とは言えミスリードが本意な訳でもないのでタイトル先頭に(事実判断が)というカッコ書きをつけてみます。ただこれだと語呂が悪いので、個人的には好きではありません。まとめ作成者は不正確でもキャッチコピーのようなタイトルをつけるべきと僕は思っています。
2012-01-12 08:09:10@daikeiAZP しかし、私は常に論理的な話法を強制できるかどうかが問題ではなくて、どのような場合に論理的な話法を強制できるのか?が問題となると考えるわけです。私はこの問題に関しては2つの別の基準を持っています。
2012-01-11 07:25:59@yutakioka てなわけで僕ももちろん「常に論理的な話法を強制できるかどうかが問題」とは思っていません。今回のように瀧岡さんを巻き込むようなまとめだと、タイトルも注意しないと失礼だったかもしれませんね。その点は申し訳ないです。
2012-01-12 08:09:36@daikeiAZP つまり、「事実」に関する事柄については論理的な話法を強制することはできるが、個人的な経験や感情の表出、ある体験や経験への印象などは、必ずしも強制すべきだとは考えていません。件の纏めでは前者に値する事柄だと思われたので、強制することは正当と思います。
2012-01-11 07:29:40@yutakioka これも同意できますが、僕が問題にしたかったのは「事実と感情を分けて考えられないバカに対して、事実についての論理的話法を強制しても意味がないのでは?」という事です。
2012-01-12 08:09:51@yutakioka まずは相手方に「事実については論理的話法が必要で、感情では必要ない。だから事実と感情を分けて考えろ」と教える必要があるのではないか、と。 そこを理解してもらわないと相手方に何を言っても無駄だと思います。
2012-01-12 08:09:59@yutakioka たぶん瀧岡さんは「どちらが論理的に正しいか」に興味があるのでしょうが、僕はむしろ「論理的な人はどうやったら増えるか」に興味があります。少なくとも、瀧岡さんのやり方では、議論の相手が論理的になる事はないだろうな、と感じたので一石を投じました。
2012-01-12 08:10:08@yutakioka 瀧岡さんの議論方法は一面では優れているものの、僕の視点である「相手にどうやって論理的思考の重要性を理解してもらうか」という面では劣っているのかな、と思った次第です。僕がその視点で優れている訳ではありませんが。模索中といった所です。
2012-01-12 08:10:16@yutakioka 劣っているというのはまた失礼な言い方ですが、決して瀧岡さんを批判している訳ではないです。「難解で正確な説明」と「安易で不正確な説明」はトレードオフだと思います。瀧岡さんは前者担当、僕は後者担当。単に個性の違いかなと思います。
2012-01-12 08:11:00