(事実判断が)論理的でない人に論理を強要できるか
今から【論理的でない人に論理を強要できるか】というテーマで連続ツイートします。後でtogetterにまとめますので、ご意見ご感 想はコメント欄にお寄せ下さい。合計27ツイートあります。TLを占拠してしまうと思いますが、許していただきたいです。
2012-01-10 21:22:171)「論理的でない」という言葉には二種類の使い方がある。「論理的に語ろうとしているけど、推論プロセスに間違いがある」という意味Aと、「最初から論理的に語ろうとしていない」という意味B。
2012-01-10 21:22:392)意味Aは発言者の意図した通りになっていないので、間違いを指摘してあげる必要がある。これがいわゆる「論破」。意味Bは、ある意味では発言者の意図通りなので、指摘する必要はないかもしれない。
2012-01-10 21:22:463)例えば詩は意味Bで論理的でない。 谷川俊太郎の詩「二十億光年の孤独」には火星人が出てくるが、「火星人の存在は科学的に証明されていない!」と論理的に反論しても意味がない。では議論の時はどうだろう。
2012-01-10 21:22:544)「良い/悪い」「するべき/べきでない」は価値判断なので、法律などで決まっていない限り、個人個人の主観で決めていい部分だ。こういった主観の提示は論理的でなくても(つまり前提→推論→結論という構成をとっていなくても)認められるべきだろう。
2012-01-10 21:23:055) 主観と主観をぶつけ合って他方を(論破ではなく)説得する事は認められるが、「俺の主観の方が正しい」と他方に押し付けるのはよくない。両方の主観が同等に扱われるべきだから。
2012-01-10 21:23:136)「最初から論理的に語ろうとしていない(意味B)、かつ、他人に主観を押し付ける」は良くない。「意味B、かつ、他人に主観を押し付けない」は大丈夫。なので「押し付けているかどうか」の判定が重要となる。下記のまとめの冒頭部分を例に考えてみよう。
2012-01-10 21:23:227)主観的なかんます氏(kannmasu)と論理的な瀧岡氏 (yutakioka)の対決、という構図。かんます氏の反論内容は「難しいこと言うな」「ウザイ」「フィーリングの合う人と仲良くしてれば」「筋通ってないと感じる」などなど。
2012-01-10 21:23:318)かんます氏は主観を押し付けようとしているのかどうか微妙な所だが、「していない」と取る事もできる。まとめだけを見るとかんます氏は「不快だ」「理解できない」しか言っていないようにも見える。
2012-01-10 21:23:399)「フィーリング」という言葉が示すように、かんます氏は主観と主観の対決だと思っていた。瀧岡氏はそうでない事を説明した。しかし「難しいこと」だったので理解されなかった、という事だろう。
2012-01-10 21:23:4710)論理的には瀧岡氏の方が正しい。しかし控えめに言うと「論理的には」という一種の条件付きでのみ「正しい」。「不快だ」と表明する事は悪い事ではないので、かんます氏がすごく間違っているわけでもないと思う。
2012-01-10 21:23:5611) かんます氏の「危害を受けた」発言も「心理的にダメージを受けた」=「不快だ」という比喩と解釈する事ができる、と言ったら弁護しすぎだろうか。しすぎかもしれない。どっちか僕はまだ分からない。
2012-01-10 21:24:0112)瀧岡氏の方が正しいのは当たり前だが、少しはかんます氏を弁護する人がいてもいい。彼はあまりボキャブラリーが豊富ではなさそうなので、僕が彼の気持ちを予想して代弁してみる。
2012-01-10 21:24:0913)「何か難しい言葉で反論してきたって事は、触れたくない部分を触れられたからムキになってるんだな。よく分からないけど気に食わないから、このまま攻めて意味不明な発言をもっと引き出して、こいつのツイッター上での評価を落としてやろう。」
2012-01-10 21:24:3114)僕は瀧岡氏をフォローしていて、論理的な発言ができる事について尊敬すらするが、「バカの気持ちが分からない」というのが欠点だと思う。例えば下記のツイート。
2012-01-10 21:24:37簡単に言えばXという事象があって、それを構成する「核心」と思える要素が一つに決定できるとするならばそれはどのような条件なのか?ということです。そもそも「核心」かどうかではなくて、実用的かどうかが問われるべきです。 RT @kannmasu は?難しいこと言われても解んないよ。
2011-07-09 09:50:1615)これは「簡単な説明」ではなく「詳細な説明」だ。簡単な説明は例えば「核心と感じる部分は人それぞれでしょう」とかだ。簡単な説明で「事象X」という言葉を使ってはいけない。一般人が日常生活で使わない言葉だから。
2012-01-10 21:24:4716)瀧岡氏に限らず論理的な人は論理的に説明しようとするあまり難解になってしまう事が多い。それは論理的な観客(まとめを見る人など)にとっては正しさの証明になるが、非論理的な対戦相手にとっては何の意味もない言葉になってしまう。それで良いのだろうか。
2012-01-10 21:24:5317)論理的な人はかんます氏のような「無知による非論理的な主張」を批判するべきかどうか。ここが僕と瀧岡氏の意見の違いになっていると思う。この違いは下記まとめの下記ツイートでもっとはっきりする。
2012-01-10 21:24:59<瀧岡氏ツイート>
https://twitter.com/#!/yutakioka/statuses/145149407216668672
(ツイートがうまく読み込めなかったのでURLを提示しておきます。)
18)なるほどな、と思った。論理的でない主観的な意見を認めすぎると、次第に彼らは「声が大きく」なっていき、「押し付け」に近くなってしまうだろう。それを瀧岡氏は未然に防ぎたいのかもしれない。
2012-01-10 21:25:0919)「社会は論理的であるべき」というのは瀧岡氏と僕の共通の思い。 瀧岡氏は「だから非論理的な意見を徹底的に批判するべき」と続き、僕は「だから非論理な人になるべく日常会話と同じ用語で論理を説明するべき」と続く。
2012-01-10 21:25:1820)バカを厳しく糾弾するべきか、バカには優しく教えるべきかという「北風と太陽」。どっちが世の中のためになるのかという統計情報を僕はまだ知らないので、主観的に僕は後者を選ぶ。しかし前者が間違っているとも言えない。
2012-01-10 21:25:30