幻想学序論2 幻想世界観主義 外世へと至れ ~想像力の妖精と勇者たちへ
- L_O_Nihilum
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このゲームの御話では、所謂そのゲームの現実世界の少年少女が、自分の観る夢の世界に、迷い込む話である。夢の世界はその少年少女のイメージ、すなわち夢想で構成される。ここに、ナイツとよばれる夢飛びがやってくる。
2012-01-18 23:46:04ナイツは夢の世界に訪れた者(ビジターという)と同化することで、彼彼女の夢の世界をともに飛ぶことができる。よく考えれば、ゲームで遊んでいるときの私たちも、選んだキャラクターを使う、と言う意味で、これに至極近いと思われる。
2012-01-18 23:47:43この着想を生かしたゲームは割かし多いのも着目に値する。然もその多くが、その着想をEDでひけらかす。まず、「風のクロノア」シリーズでは、真のエンディングを迎えた後、スタッフロールの最後で「Good Morning ●●」と来て終わる。
2012-01-18 23:49:10夢の世界、ファントマイルなどからクロノアとともに抜け出し、別れていったあと、名前を登録したプレイヤーは眠っていた夢から覚める、という寸法であった。
2012-01-18 23:50:01また、以前も話をしたけど、「ゼルダの伝説」もこのことに気付いていたと言われる。 http://t.co/PTwQlvcO
2012-01-18 23:50:59そして、ソラ様は「ロックマンX」の事例を挙げてくださった。ロックマンXでは、EDにすべてのキャラクター、敵、ボス含めすべての登場人物をスタッフロールで振り返り、最後に「Thank you as Rockman X」として締める。
2012-01-18 23:52:03私たちがゲームを「鑑賞する」という事に対する本質への問いは、従来数多くのゲーム会社がだいたい気づいていた、という事が出来そうである。
2012-01-18 23:53:22「FF」は「究極の幻想」という意味であった。TAITOの「ダライアス外伝」には、VISIONERZ,FAKE,SELFなど統一してそれが幻想であることが音楽として説かれていた。
2012-01-18 23:54:10さて、本題のサンホラ、東方の件だが、サンホラや東方はいずれも、「同人出身」と言う点が共通している。サンホラは今こそ、商業レーベルの存在ではあるが、がんらいは同人から進出した集団である。同人時代の代表作が、「Chronicle」などであるのは国籍長い民なら存じであろう。
2012-01-18 23:55:52当初から(?)サンホラにはこうした思想があった――――「幻想音楽を聴かせる国」という発想だ。だから、それを描く国を自分たちの集団(正確にはRevo一人、だったりするが)を、幻想浮遊王国とし、その音楽に魅せられる人の心を、その領土とする、という設定がある。
2012-01-18 23:57:24フラン「あ、 ちゃん」レーベルの少女「何よ アンタ」 フラン「あんた、人間じゃないよね 名前もなければ私にまで捕まって(ウフフ」レーベルの少女「人間って人の間って書くのよね。人の間にいないあなたも人間じゃない」フラン「飲み物しか思ってない」 レーベルの少女「うん同じ」
2012-01-19 00:00:19また、クロニカ学習帳…すなわちファンサイトを一瞥してきたところ、この王国にはなんと建国神話まで存在する。 http://t.co/5JSSQbC1 この建国神話以降、この領土は王国、となるわけである。
2012-01-19 00:01:27最後に、東方では、「幻想郷」というタームが出現する。「幻想郷」にある二つの結界の話は何度もしたとは思うけれど、その幻想が「想像される限り実在している」という発想が設定の根底にある。また、蓬莱人形にもそんな記述が出現している。
2012-01-19 00:02:39「妖怪?いまどき非常識な。」 しかし、僕は知っている。妖怪達は、人間にそう思わせとけば平和に暮らせるという事を。 妖怪は人間よりずっと平和で現実的だという事を。(二色蓮花蝶~Red and White)
2012-01-19 00:06:06“言葉は悪いけど、ゲーセンに行くと「あ。俺みたいなダメな人はたくさんいるんだ…」てきな居心地の良さがあった。” この一文を見て、ゲームセンター=幻想郷とか考えてしまう程度の東方脳w | ゲーセンで出会った不思議な子の話:哲学ニュースnwk http://t.co/j2Priz1f
2012-01-19 00:07:20@null http://t.co/vYEGIkm6 蓬莱人形の端くれとしてはっきり言わせてもらう。世の中の自殺志願者よ、首吊り以外で死ねる正直者になれ。首と体が離れれば誰だって死ぬんだよ。想い人が消えるとか誰だって死にたくなるんだよ。だけど私はそんな瑣末な事はどうでも良(ry
2012-01-19 00:09:14なお、妖々夢のパッケージを見てみるとこんな一言まで書いてある。「シューティングゲームは、シューティングである以前にゲームである。 然し此のゲームは、ゲームである以前に結界である。」と。
2012-01-19 00:09:38つまり、ゲームである以前に、このゲームを遊ぶという事はその結界の中(≒幻想郷)に半ば没入することでもあるわけである。 東方旧作第一作から、この着想は存在した。 High Responsive to Prayers…東方霊異伝のころから。
2012-01-19 00:11:01以上のことから、ゲームを遊ぶとはいかなることなのか?ということがおのずと開けてくる。それは、ただゲームを遊ぶ、という事にはとどまらない。キャラクターという操作媒体に出会い、そしてそれになりきって、そのキャラクターの世界を体験する芸術媒体だったのである…まぁ、日本独自の発想だけど。
2012-01-19 00:12:20