「テクストの読み方」という能力
- popeetheclown
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イメージの集積体でキャラ作成というのはCSTの現場でもあったけれど、やっぱり蓄積された物語の重力ってのは、強力なものなんだよなぁ。
2010-05-27 08:08:44ああ、これ再始動させたいな。RT @at_akada: はやしさんがプリンキピアの証明追いかけてるのもエクストリーム読書っぽいです。http://orc.lolipop.jp/misc/category.php?category=principia
2010-05-27 08:09:19@at_akada 人文系の研究がつまるところ読書なら,自然科学系の研究(実験,観測,理論)はつまるところ何なんだろうか…エクストリームパズルとか?
2010-05-27 08:09:31僕は「物語りやるゲームのゲームデザイン」についての批評はまだまだ発展途上だと思っていて、特に僕らの日常言語が、学術なんて関係なくいかに「正しく推論してる」か、ということが全然話されていないと思っている。自分がミクロ社会学やってるのも、結局そこにモチベーションがあるのだった。
2010-05-27 08:12:14これは、@tricken さんの「自然言語に見える人工言語」という言い方を換骨奪胎して言うと、人文学において「文献を読む」ということは、その文献を「人工言語」として受けとり、そこに現れる語彙や文法の「独自用法」に注意すべきなのに、多くの人はそうはしていない。
2010-05-27 08:14:37僕がTwitterで滅多にゲーム批評の話しないのも、検索されないよう「TRPG」と絶対書かないのも、そういう話に需要がなく、むしろ嫌悪感しか持たない人があまりに多くてめんどくさくなったからですね。でも、ここ二年くらいでようやく風向きが変わって来たかなと思う。
2010-05-27 08:15:21そういうふうに、本来はそこに現れる「独自用法」に細心の注意をもって挑むべき文献でも、それが(うわべは)慣れ親しんだ言語で書いてあると、読めばいちおうは読めてしまう。でも、この「いちおうは読めてしまう」というのが、不幸のはじまりだったりする。
2010-05-27 08:17:51というわけで、はい、僕はTRPGには(シリアスゲーム的な意味ではなく)行為哲学、公共哲学、相互行為論と言った学術的テーマが(商業的流行とはべつに)詰まっていると思っているから社会学やってます。
2010-05-27 08:18:34@tricken @thinkeroid @marmalade_macro @at_akada @t_hayashi ひとまずここまでを追加しました.そろそろ席を離れるのでまた議論が落ち着いたところでまとめておきます http://bit.ly/bM83J5
2010-05-27 08:19:07つまり、そういう読み方だと、「自分の読みうるものしか文献に見出さない」という事態が生じる。ありていに言えば、「自分に都合のいい勝手な解釈をしてしまいがちになる」ということだ。
2010-05-27 08:22:04.@t_hayashi 「読書とは自分を世界の中心に置かなくすることだ」ですかね。
2010-05-27 08:23:48そういう試みを僕は最近「ナラティヴゲーム批評」と呼ぶようになりました。それは基本的に以下の仕事を読んでもらえれば。近況は「筑波批評2009夏」で。http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.html
2010-05-27 08:26:18さらにわるいことに(とあえて言おう)、そうした「勝手な読み」をむしろ推奨しようとするような風潮も、あった。「書物」なんぞというのは、「読み手」のスタンドプレーの「素材」にすぎない、とでも言うような。
2010-05-27 08:26:30@popeetheclown ありがとうございます。暫く分けてた関心が綺麗に語り直せる幸運に恵まれたので、このまとめは嬉しいですね。
2010-05-27 08:35:24@t_hayashi 「書物の勝手な読み」の話,芸術としての写真にも通じます.写真もひとつの文法であり,作者が好きなように提示すればいいわけではなく(キャプションを付ける意義はここから),鑑賞者もまたその文法を理解しなければ深く見ることはできない.
2010-05-27 08:36:25言語学って、学問という群れを維持しているハードウェアのなりたち研究にあたるんじゃないか。言語なしでも行為はあるし、言語なしの知識伝達もありうるが(ジェスチャとして観察される学習)、言語なしの(現代的な)学問は考えにくい。言語なしの数学……があるかはわからん。教えてえらい人。
2010-05-27 09:40:22@raurublock 僕も、そういうところが表現として面白いと思ってます。物語りだから面白いのではなく、そういった表現形式だから面白さがある、といいますか。
2010-05-27 09:42:36.@SuzuTamaki どんな人の発話も、その人にとってほんの少しだけ人工言語、なのかも。「常識」なる参照項は擬制であり、実体がない。ありのままの日常言語、というもの自体が、語用においては大いなるフィクションなのかもなあ。「大衆」とか「一般人」とか都市伝説。
2010-05-27 09:46:43常識の話では、中村雄二郎『共通感覚論』が面白いけど、今ならモスコヴィッシ以来の社会的表象理論でアップデートした方がいい。中村本には公共哲学的視点がいまいちたりていなかった。でも良い本。
2010-05-27 09:50:52