「道」について

日本の市の歴史、江戸時代から現代までの「道」についての考察をまとめました。
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TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

「道」について。ヨーロッパの広場には、今でも定期的に市(いち)がたつ。市はモノの売買だけでなく、人と人とのネットワーク作りの場所であり、地域を越えた情報交換の場所でもある。日本の市の歴史を調べると、すでに室町時代には「三斎市」「六斎市」とよばれる市が鎌倉街道で開かれていたそうだ。

2012-01-23 18:59:37
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

人が住み、集落となり、道となり、地域と地域をつなぐ、街道が作られた。まるで、キリスト教の国々が教会を中心に、イスラム教の国々がモスクを中心に、その土地の集落や村を形成していったように。調べてみると面白いことに、どうやら日本でヨーロッパの広場的役割を果たしてきたのは、街道のようだ。

2012-01-23 19:00:19
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

「道」はある土地からある土地へ、モノや人や情報を運ぶ役割のみならず、その土地とそこで暮らす人々を目に見えるかたちで結んでいた。日本の道はパブリック・スペース=広場として存在し、地域を越えた情報交換と新しい発見と出会いの場、創造的な何かが生まれるセレンディピティの場だったのだろう。

2012-01-23 19:00:57
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

江戸時代の「道」からは、新しい文化が数多く芽生え、松尾芭蕉の「奥の細道」、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、歌川広重の「東海道五十三次」などの傑作が生まれた。江戸時代の人たちは、暇なとき、誰かに会いたいとき、ふらっと広場に行くように、目的もなく「道」に行っていたかもしれない。

2012-01-23 19:01:26
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

さらに面白いのは、日本の「道」は、日本の長い歴史のなかで、物理的な意味を超え、精神的な側面も開花させていった。「茶道」「華道」「香道」「書道」「柔道」「剣道」「弓道」「合気道」のように、日本人としての精神性を表し「芸事」を「人としての生き方を示す精神」=「道」の次元で受け入れた。

2012-01-23 19:02:01
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

江戸時代の日本の「道」は、モノや人や情報を運ぶ、物理的スペースから文化的スペース、そしてそこからさらに昇華して、精神的スペースとして存在していた。戦前の日本では、この3つのスペース:物理的スペースー文化的スペースー精神的スペースが、同時に存在していたということは、大変興味深い。

2012-01-23 19:03:06
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

江戸時代にはようやく、橋詰広場と呼ばれる、ヨーロッパ的概念の「広場」が出現した。この橋詰広場はパブリック・スペース=広場としての役割を果たしていたようだ。橋詰広場には、市(いち)、芸人が曲芸を見せたり、僧侶がゴザをしいて説法を説いたりする、一つの文化を形成する場所であったそうだ。

2012-01-23 19:04:13
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

現在も姿を残す橋詰広場は、空地であったり、整備されていなかったり、整備されているにも関わらず利用する人がいなかったりするそうだ。そして日本の「道」は従来の3つのスペース:物理的スペース、文化的スペース、精神的スペースが分割され、ただの物理的な「交通手段」の場所に成り下がっている。

2012-01-23 19:04:39
TOMOKO TAKE / タケトモコ @TTAKE_NL

本来、日本の「道」は、3つのスペース:物理的スペースー文化的スペースー精神的スペースが、同時に存在しているのが自然なかたちなのだと思う。これは仏教の教えや、禅の精神からきているのかもしれない。シルクロードやローマの道よりも、ずっと奥が深い日本の「道」はどこに続いているのだろうか?

2012-01-23 19:05:19