加藤典洋『日本の無思想』まとめ

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H.Takano @midwhite

具体的には討論、政治、軍事などはポリスに、労働、蓄財、家事、育児、葬礼などはオイコスに属する行為である。ポリスが人間と人間のそれぞれの違い(徳)を基礎に生まれる空間だとすると、経済は人間の互いの共通性(本性)を基礎にした空間である。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 02:24:46
H.Takano @midwhite

これが西洋における政治と経済の最も基本的な二元論である。特に立つポリス原理は本性に立つオイコス原理を侮蔑した。前者が光の世界だとすると後者は色の世界である。前者の場合は関係の重なりが空間を明るくするが、後者の場合は同じことが空間を闇に近づける。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 02:27:35
H.Takano @midwhite

アーレントは二つの自由の概念を二元論的に挙げている。その一つであるfreedomは「何かへの自由」、公的な空間を新たに創出する自由である。一方、liberationは「何かからの自由」、不足分の解消である。例えば隷属や貧困からの解放などである。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 02:30:47
H.Takano @midwhite

中世に入り土地に基礎を置くゲルマン的な社会秩序が流入すると、公的領域としてのポリスは消滅した。しかしポリス対オイコスの縦型の構図は消えず、キリスト教の世界像における天上世界と地上世界、つまり境界の世界と世俗の世界との対立に形を変えて生き残った。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 14:45:53
H.Takano @midwhite

古代から中世まで生き残ったポリスとオイコスの縦型関係は、近代に入って横型関係へと姿を変える。その第一の原因が、産業と商業の勃興である。これはオイコスの領域に変化を起こし、それがポリスの領域にまで変質させた。これがマルクスの言う唯物史観である。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 15:00:30
H.Takano @midwhite

産業革命はオイコス、経済、下部構造と呼ばれる領域を肥大させ、ポリス、政治、上部構造と呼ばれる領域の比重を落とし、逆転させた。そして、それまで個体と種族の持続、生命維持を本質としていたオイコスの領域に、三つの変化をもたらした。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 15:04:29
H.Takano @midwhite

第一に、産業革命による生活水準の向上は、オイコスの領域における動因を「必要」から「欲望」へとシフトさせた。第二に、「必要」を満たす家族という単位より「欲望」を満たす個人という単位が高い地位を獲得し、「家」という自然的共同体が内側から解体された。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 16:32:02
H.Takano @midwhite

産業革命は家庭の中に商業、産業の要素を呼び込み、家族関係を利害を主とした疎遠な関係と利害を度外視した親密な関係とに分化した。こうして家共同体の要素だったものが家の外部にはみ出すと同時に、それに対抗してかつての家の領域に別のものが生まれた。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 16:44:51
H.Takano @midwhite

そこで現れるのが第三の変化である。かつての家は「応接間/仕事場」という社会的な空間と、分断された「居間」という親密な空間とに分かる。そこで家の外のかつての公的な空間に「社会」が生まれ、かつての家の空間に「家庭」が生まれるのである。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 16:48:16
H.Takano @midwhite

古代ギリシャにおける「公的」とは弱い者が強い者に合わせる在り方であるのに対し、近代における「社会的」とは強い者が弱い者に合わせる在り方である。古代ギリシャの市民は平等だったので同情は相手への侮辱を意味したが、近代においては全く逆の価値を持った。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 17:10:25
H.Takano @midwhite

アーレントは、今やかつての公的領域全体がオイコス原理に覆われ、「国民経済」「社会経済」「集団的家計」といった考え方が現れてきた近代を指して「社会的なものの制覇」と呼び、それが「公的なもの」を駆逐してしまうだろうと考えた。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 17:21:28
H.Takano @midwhite

これまで「公的なもの」は、人間の複数性に立脚して人を隔てつつ結合させるというテーブルの原理を持っていて、そのための道具が言葉と活動だった。しかし近代の新しい「社会的なもの」の原理は、人間の「本性」が誰でも共通であるという単一性に立脚している。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-06 17:34:01
H.Takano @midwhite

現代の我々が持つ近代的な意味での「公的なもの」「私的なもの」は、近代においてオイコス的な原理を持つ領域が外部と内部に分化してできたものである。よってアーレントの強調する古代ギリシャ以来の「公的なもの」、ポリス的な原理はそこに存在しない。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-07 10:56:31
H.Takano @midwhite

こうして同じpublicとprivateという語が示す意味は、近代以降から「発語が支える場」としてのテーブルの原理が消失した。その結果、発語の意味は失われ、考えられたことを発語することは単に社会的な名声を得るためであると見なされてしまう。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-07 11:02:36
H.Takano @midwhite

1889年に井上毅が大日本帝国憲法の第28条において「内面に信仰を持つことは自由だが、それが外面に出た時は国家の法に従うべし」という巧妙な「内と外の分断」の考えを示した時、それは西欧近代の「公的なもの」「私的なもの」に則った最新の思想であった。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-07 11:08:49
H.Takano @midwhite

アーレントによれば、近代以降の「公的なもの」、即ち「社会的なもの」は発語の価値を金銭や名声という世俗的なものまで貶めたが、それに対して近代以降の「私的なもの」、即ち「親密なもの」は「何も語らない」以外の対抗法を持たず、ナチズムなどに無力である。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-07 11:21:31
H.Takano @midwhite

もちろんアーレントは、この状況の打開策としてポリス的な「公的なもの」の復興を提案した。しかし彼女は、その実現のための課題に十分に答えられていない。アーレント以後、今までに数多くの公共性の確立の試みがあったが、どれも新しい原理を提示できていない。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-07 11:28:14
H.Takano @midwhite

アーレント及び彼女に続く政治学者たちの市民社会論の試みがヴァレリィ的な沈黙を打破する期待が持てない理由は、アーレントがポリス的な「公的なもの」の消失の第一原因が「オイコスにおける必要から欲望への転換」であるということを見逃しているからである。(加藤典洋『日本の無思想』1999)

2012-02-07 11:34:30