『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

経済思想の変遷について考えるつもりが、「マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む」になってしまいました。せっかくなのでまとめておきます。
0
carmine @carmine_RR

ユダヤ人は商業的に成功していたが、ユダヤの神そのままでは近代的資本主義を生み出すことはなかった。パウロにより異邦人にひらかれた愛の神となり、普遍性を獲得したのち、カルヴィンの純粋な思弁によってふたたび超越者として回帰した神、この神こそが、近代資本主義を生み出した。

2012-02-04 00:35:40

「予定説」の生み出した内面的孤独と、神秘主義や感覚的な要素の排除。

carmine @carmine_RR

”この悲愴な非人間性をおびる教説が、その壮大な帰結に身をゆだねた世代の心に与えずにはおかなかった結果は、何よりもまず、個々人のかつてない内面的孤独化の感情だった。”宗教改革時代の人々にとって決定的に重要だった永遠の至福という問題に、彼らはたったひとりで向き合わねばならなくなった。

2012-02-04 00:46:00
carmine @carmine_RR

”誰も彼を助けることはできない。牧師も助けえない、―選ばれた者のみが神の言を霊によって理解しうるのだからだ。(…)救いのためのあらゆる呪術的方法を迷信とし邪悪として排斥したあの呪術からの解放の過程は、ここに完結をみたのだった。”

2012-02-04 00:50:36
carmine @carmine_RR

”真のピュウリタンは埋葬にさいしても一切の宗教的儀式を排し、歌も音楽もなしに近親者を葬ったが、これは心にいかなる<superstition>「迷信」をも、つまり呪術的聖礼典的なものが何らか救いをもたらしうるというような信頼の心を、生じせしめないためであった。”

2012-02-04 00:57:10
carmine @carmine_RR

”こうした人間の内面的孤立化は、一切の被造物は神から完全に隔絶し無価値であるとの峻厳な教説に結びついて、一面で、文化と信仰における感覚的・感情的な要素への(…)絶対否定的な立場―そうした諸要素は救いに無益であるばかりか被造物神化の迷信を刺激するからだ―”を導いた。

2012-02-04 01:05:49
carmine @carmine_RR

”また他面では、この内面的孤立化は、今日でもなおピュウリタリニズムの歴史をもつ諸国民の「国民性」と制度の中に生きているあの現実的で悲観的な色彩をおびた個人主義(…)の一つの根基をも形づくっている。”典型的なのは、アメリカだろう。

2012-02-04 01:10:28

「救いの確信」を得るために生まれた行為主義。意志的で合理的な方法(メソッド)によって生活のすみずみまでコントロールすることを良しとする価値観の誕生。

carmine @carmine_RR

”誰も信頼せず、迷惑のかかるようなことは誰にも言わないのがよい、神だけが信頼しうるかただ”というような考え方の登場、懺悔の聴聞の消失。信者は恒常的な不安にさらされる。彼らにとっては「救いの確信」こそが最も重要であった。どうすれば知りうるのか、確かなしるしを求めた。

2012-02-04 01:24:36
carmine @carmine_RR

正当な教理の上では知ることができないという原理が放棄されることはなかったが、こうした問いに答えずに済ますことはできなくなったため、様々な方法がとられた。”その一つは、誰もが自分は選ばれているのだと「考えて」すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥ける”ことを無条件に義務付けることだった。

2012-02-04 01:33:00
carmine @carmine_RR

”自己確信のないことは信仰の不足の結果であり、したがって恩恵の働きの不足に由来すると見られるからだ。”ここでは、日ごとの戦いによって主観的確信を獲得するのが義務とされている。”こうして、(…)今日でもなお見られるような、あの自己確信にみちた「聖徒」が練成されてくることになる。”

2012-02-04 01:41:32
carmine @carmine_RR

”いま一つは、そうした自己確信を獲得するための最もすぐれた方法として、絶えまない職業労働をきびしく教えこむということだった。つまり、職業労働によって、むしろ職業労働によってのみ宗教上の疑惑は追放され、救われているとの確信が与えられる、というのだ。”

2012-02-04 01:44:22
carmine @carmine_RR

”宗教的達人が自分の救われていることを確信しうるかたちは、自分を神の力の容器と感じるか、あるいは神の道具と感じるか、その何れかである。前者のばあいには彼の宗教生活は神秘的な感情の培養に傾き、後者のばあいには禁欲的な行為に傾く。(…)カルヴィニズムは第二の類型に属していた。”

2012-02-04 01:53:09
carmine @carmine_RR

”カルヴァン派の信徒は自分で自分の(…)救いの確信を(…)「造り出す」のであり、しかも、それはカトリックのように個々の功績を徐々に積み上げることによってではありえず、どんな時にも選ばれているか、捨てられているかの二者択一のまえに立つ組織的な自己審査によって造り出すのだ。”

2012-02-04 02:06:29
carmine @carmine_RR

”カルヴィニズムの神がその信徒に求めたものは、個々の「善き業」ではなくて、組織(System)にまで高められた行為主義だった。(…)こうして、人々の日常的な倫理的実践から無計画性と無組織性がとりのぞかれ、生活態度の全体にわたって、一貫した方法が形づくられることになった。”

2012-02-04 02:15:18
carmine @carmine_RR

ピュウリタニズムの”どの教派においてもつねに、宗教上の「恩恵の地位」をば、被造物の頽廃状態つまり現世から信徒たちを区別する一つの身分(status)と考え、この身分の保持は(…)「自然」のままの人間の生活様式とは明白に相違した独自な行状による確証、によってのみ保証されうるとした”

2012-02-04 03:12:41
carmine @carmine_RR

このことが、”生活を方法的に統御し、(…)神の意志に合わせて全存在を合理的に形成する”という生活スタイルを生んだ。意志と合理性への信頼は、修道院の禁欲とスコラ学のような神の叡智、ロゴスへの信念が、かたちを変えたものだろう。

2012-02-04 03:21:54
carmine @carmine_RR

まことに「はじめに言(ロゴス)があった。言は神とともにあり、言は神であった」。そして「神はロゴスを通して自らを表す」。ロゴスは「合理性」にかたちを変え、世俗の中に、個々人の中に住むようになった。「ストイシズム」もまた、かたちを変えて回帰した。

2012-02-04 03:29:35
carmine @carmine_RR

もちろん物欲は禁じられていたが、”富を目的として追求することを邪悪の極致としながらも、(天職である)職業労働の結果として富を獲得することは神の恩恵だと考えた(…)利得したものの消費的使用を阻止することは、まさしく、それの生産的利用を、つまりは投下的資本としての使用を”促した。

2012-02-04 03:47:15
carmine @carmine_RR

”厳格なカルヴィニズムが真に支配したのは七年間にすぎないオランダでも、真剣な信仰の持ち主たちが、巨大な富をもちながら、一様にきわめて簡素な生活にあまんじていたことは、度はずれの資本蓄積熱をもたらした。”そしてまた、ピュウリタンは「貴族化」を嫌悪し、封建貴族的生活へ移行しなかった。

2012-02-04 03:54:29

ピュウリタニズムの世俗化と「資本主義の精神(エートス)」の誕生。

carmine @carmine_RR

しかしピュウリタニズムの理想は、”ピュウリタン自身も熟知していたように、富の「誘惑」あまりにも強大な試煉に対してまったく無力だった(…)これはまさしく、世俗内的禁欲の先駆者、すなわち、中世の修道院の禁欲がくりかえし陥ったのとまったく同じ運命だった。”

2012-02-04 04:04:05
carmine @carmine_RR

”修道院のばあいにも、厳格な生活の規制と消費の抑制がおこなわれて、合理的な経済の運営がその作用を完全に発揮するようになると、獲得された財産は(…)貴族化の方向に堕していくか、でなければ修道院の規律が崩潰の危機に直面して、いくたびも「改革」の手が加えられねばならなかった。”

2012-02-04 04:08:39
carmine @carmine_RR

所有の世俗化作用との格闘。ピュウリタニズムにおいても、18世紀、イギリス産業の興隆にさきだってメソジスト派の「信仰復興」の運動が起こった。この運動の指導者ウェズリーの文章はとても興味深い。

2012-02-04 04:25:12
carmine @carmine_RR

”私は懸念しているのだが、富の増加したところでは、それに比例して宗教の実質が減少してくるようだ。それゆえ、どうすればまことの宗教の信仰復興を、事物の本性にしたがって、永続させることができるか、それが私には分からないのだ。”

2012-02-04 04:27:18