『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

経済思想の変遷について考えるつもりが、「マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む」になってしまいました。せっかくなのでまとめておきます。
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carmine @carmine_RR

経済思想史で習ったこと。経済とは幸せを考えること。そのひとつの方法として、財の増大と分配を考える。「財とは何か、財を生むものとは何か」は時代とともに変遷してきた。大きく見ると経済の基礎はモノから情報に変わってきた。(生き物→モノ→カネ(情報))

2012-02-03 21:30:50
carmine @carmine_RR

塩や米で給料が支払われ、食料を生み出す土地と家畜が財だった時代。金銀財宝を国庫に積み増すことが財を増すことだった大航海時代。需要と供給の発見。

2012-02-03 21:35:21
carmine @carmine_RR

産業革命によって労働力そのものが財だとみなされるようになり、モノそのものではなくその効用が大事だとされるようになった。そしてマルクスによって、財を生み出すのは労働によって作り出された剰余価値であることが「発見」された。

2012-02-03 21:36:38

ここから「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の内容に入っています。
まずは中世カトリックの価値観と、「伝統主義」について。

carmine @carmine_RR

また経済思想の変遷には、技術革新、社会情勢とともに、宗教意識や世界観の変化が大きく影響している。特にキリスト教の影響。教会は利子によって暴利を得ることを否定して、社会秩序を保とうとしていた。

2012-02-03 21:50:35
carmine @carmine_RR

また、必要以上に稼ぐということは道徳的に良いこととはされておらず、商人は教会に寄進することで心の平安を得ようとしたという。ヴェーバーによれば資本主義の発展を大きく妨げる要因となるのは「伝統主義」と呼ばれるべき生活態度である。

2012-02-03 21:56:04
carmine @carmine_RR

近代的経営者が労働の集約性を高めて生産性を上げようとするとき、つまり、労働者に最大限働いてもらおうと考えるとき、よく使われるのが「出来高賃銀制」である。たとえば農業の収穫時、収穫をどれだけ早く終わらせられるかで、得られる利益が変わってくる。

2012-02-03 22:05:05
carmine @carmine_RR

そこで経営者は出来高賃金の率を高くし、短期間で得られる収入を多くすることで、期間内の労働を増大させようと考える。しかし、これはなかなかうまくいかない。なぜなら労働者は出来高賃金の引き上げに対して、一日の労働量を減らすという反応を示すからだ。

2012-02-03 22:09:35
carmine @carmine_RR

労働者にとっては報酬の多いことよりも労働の少ないことの方が大事であり、どれだけ働けば今までと同じだけの賃銀が得られるか、が関心事なのだ。

2012-02-03 22:13:05
carmine @carmine_RR

”人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。”

2012-02-03 22:17:21
carmine @carmine_RR

そこで経営者は賃銀率を引き下げることで強制的に労働量を増やす、という方法をとることになる。しかしこの方法には限界がある。”単に量的にみても、生理的に不十分な賃銀だと労働量は必ず減少し、それが長期にわたれば、まさに「最不適者の選択」を意味するような結果となることも少なくない。”

2012-02-03 22:26:00
carmine @carmine_RR

高度な技能労働には、そして資本主義の発展には、”あたかも労働が絶対的な自己目的ーBeruf「天職」ーであるかのように励むという心情が一般に必要となる(…)しかし、こうした心情は、決して、人間が生まれつきもっているものではない。”

2012-02-03 22:36:31
carmine @carmine_RR

”また、(…)直接作り出すことができるものでもなくて、むしろ、長年月の教育の結果としてはじめて生まれてくるものなのだ。今日では資本主義は堅固な基礎がすでにでき上がっているから、どの工業国でも、(…)労働者の調達は比較的容易だ。しかし、昔は、いつでもきわめて困難な問題だった。”

2012-02-03 22:41:58

天職(Beruf)概念と、カルヴィンによる「予定説」の誕生。

carmine @carmine_RR

それでは「天職」の意識、利益追求を義務と考える思想はどこからきたのか。ヴェーバーはプロテスタンティズムにその思想のみなもとを見た。Berufという概念はルターによる聖書翻訳によって生み出された。この概念の革新性は、世俗職業における義務の実行を道徳的に最高のものとしたことだ。

2012-02-03 23:14:37
carmine @carmine_RR

神によろこばれる生活を営む手段はただひとつ、各人の与えられた世俗的義務の遂行であり、それこそが召命(Beruf)に他ならない。ルターの「信仰のみ」が大切であるという思想のもとでは、修道士の禁欲的生活は神に義とされるには無価値であり、むしろ現世の義務から逃れるものでしかなかった。

2012-02-03 23:21:18
carmine @carmine_RR

しかしルターは伝統主義者であり、農民との抗争などの経験によって、ますますその傾向を強めた。すなわち現世での地位は神によって与えられたものであり、原則として、その職業と身分に止まるべきである。各人の努力はその与えられた地位の枠を超えてはならないと考えるまでになった。

2012-02-03 23:29:02
carmine @carmine_RR

「資本主義の精神」のみなもととなったのは、カルヴァンの禁欲的プロテスタンティズムであり、その教えの中の「予定説」だった。予定説によれば、救済されるかどうかは神によって予め決められており、人間が何をしようとそれを変えることはできないし、それを知ることもできない。

2012-02-03 23:39:43
carmine @carmine_RR

人は皆生まれながらにして罪に堕落した存在であり、自分の力では悔い改めることはできない。しかし神はその自由な愛と恩恵によって、永遠の生命を与えるべき人を選ばれた。これは決して被造物の信仰や善行や何らかの条件によるものではない、とされた。

2012-02-03 23:45:03
carmine @carmine_RR

このラディカルな思想はどのように成立し、カルヴィンに取り入れられていったのか。”キリスト教史の上に繰り返し現れてくる(…)宗教的な救いの感情は、すべてが一つの客観的な力の働きにもとづくものであり、いささかも自己の価値によるのではない、という確固とした感覚に結びついて現れている。”

2012-02-03 23:59:17
carmine @carmine_RR

”すなわち罪の感情の怖ろしい苦悶がとりさられたのち、喜びにあふれた信頼の力づよい情感が、一見まったく突如として彼らの上にのぞみ、そうしたかつてない恩恵の賜物が(…)彼ら自身の信仰や意志の業績あるいは性質に関連をもつなどと考えることをいささかも許さなくなるのだ。”

2012-02-04 00:04:00
carmine @carmine_RR

ルターもまた、”神の「測るべからざる決断」こそ自分が恩恵の状態に到達しえた絶対唯一の測りがたい根源だ、とはっきり意識していた”。しかし、”彼が責任ある教会政治家として「現実政治的」となるにしたがって”この思想は背景に退いていった。

2012-02-04 00:10:39
carmine @carmine_RR

しかしカルヴィンの場合は逆に、”教義上の論敵都の論争がすすむにつれて、この教義の重要性が目にみえて増大していった。”カルヴィンにおいては、”「恐るべき(神の)決断」の教理はルッターのように体験によってえられたのではなく、思索によってえられた”。

2012-02-04 00:15:56
carmine @carmine_RR

”したがって神のみを思い人間を思わない彼の宗教的関心が思想的に徹底されていくたびに、その重要性もますます大きいものとなっていった。人間のために神があるのではなく、神のために人間が存在するのであって、(…)神のみが自由、別言すれば、どんな規範にも服さないのであり、”

2012-02-04 00:21:09
carmine @carmine_RR

”神がわれわれに知らしめることを善しとしたまわないかぎり、われわれは彼の決意を理解することも、知ることさえもできないのだ。”新約聖書では人間的に理解しやすい「天の父」である神が、教義上の論争による純粋さの追及によって、旧約的な超越的存在となったことは非常に興味深い。

2012-02-04 00:26:04