災害遺構と地域と防災―それぞれの「時間」と感情、モノのちから―
- yummy_okashi
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行ったあと、もやもやしながら、これといったことをつぶやけないで、ブログでもにゃもにゃ言っているだけだった(http://blog.ap.teacup.com/yamira/)のですが、「石巻百景」の日下さんご主人が、この問題について言及してくださいました。それが、今日このまとめが出来たきっかけです。
津波で壊れた建造物を「津波の怖ろしさを後世に伝えるために保存しよう」という動きが、いくつかある。地元外の人が保存に積極的で、地元の人は保存に消極的なパターンが多い。私自身、遠離れた地区に保存される分には「どちらでもいい」けど、自宅の目の前に保存されるとしたら、それはちょっと勘弁。
2012-02-14 10:40:05…遠く離れていれば、色んな面で気楽だ。気が向いた時に被災地を訪ね、遺物を眺めて津波の怖ろしさを感じ取ろうとし、そして遠い町に帰っていける。でも近所の人は否応なしに、その遺物を、毎日のように眺めて暮らさなければいけない。あまり心地の良い生活ではないだろう。慣れるかもしれないけど。
2012-02-14 10:45:04被災した建造物を「津波の怖ろしさを後世に伝えるため」に保存する動き…それで思い出したのは、以前、広島で原爆ドームを見たこと。周囲は美しい公園だった。補強や補修が重ねられたドームの前で観光客が記念写真を撮っていた。夜にはライトアップされていた。「原爆の恐怖」を感じにくい遺跡だった。
2012-02-14 10:45:33…津波被災の建造物を残すことで、各地から見学客が集まるかもしれない。でも具体的な物体を残しても、その物体の傷跡は少しずつ風化し、まわり風景と中和し、穏やかな印象の遺跡になっていくと思う。記憶は風化し、物体も風化する。風化に逆らって生々しさを残そうとしても、それはむずかしいだろう。
2012-02-14 10:46:09…いちばん大事なのは、写真、映像、被災者の体験談を、しっかりアーカイブして、誰でもアクセス可能にしておくこと。あとは、今回の津波の経験を元に、防災のシステムを考えなおすことだと思う。被災した建造物を遺すのは…うーん、やっぱりどっちでもいい。自分の家の近所はいやだ(笑)。
2012-02-14 10:57:07今は復旧・復興が先決という気持ちは良く分かる。だが長い目で見たら地元にとっても残した方が良いと思う RT @sheepbook: 津波で壊れた建造物を「津波の怖ろしさを後世に伝えるために保存しよう」という動きがいくつかある。地元外の人が積極的で、地元の人は消極的なパターンが多い。
2012-02-14 12:46:20極限的な被災体験を思い出したくないので遺構は残してほしくないと言う気持ちだろう。ただ、年月と共に人の気持ちも変わる。戦争体験を秘めていた方が晩年になり後世に残したいと重い口を開くのも同じだと思う。難しい問題だが、災害研究者としては災害遺構は将来の国民も含めた財産だと感じる。
2012-02-14 12:51:24初めまして。もしご面倒でなければ、どのような点が「財産」なのか教えて頂けますか。一定期間きっちり研究して記録に残すことと比較して、遺構をそのまま残すことの長所はどういった点でしょうか? RT @nied_inok: 災害研究者としては災害遺構は将来の国民も含めた財産だと感じる。
2012-02-14 15:18:00井口先生と日下さんのやりとりに、わたしが口を出はさんでしまった・・・(少し後悔している)
@sheepbook @nied_inok 横からすみません。一つには、記録化したものは自ら希望する人が見るもので、建物そのものは、嫌でも目に入る、或いは嫌でも何らかの障害になる、という点で違うのではないでしょうか。
2012-02-14 17:32:58@sheepbook @nied_inok 「財産」というのは、防災教育上の良好な教材ということになるのではないかと思います。津波工学的な研究対象としては、私は素人ですが、記録だけで構わないのではないかと思っています。
2012-02-14 17:33:14@sheepbook @nied_inok 今となっては原爆ドームのもつモノとしての働きも風化し、むしろ伝承の力が重要に感じられるのもわかります。私は広島行ったことがないので何とも言えませんが、考古学を勉強してきた立場としては、細部を見ることで、ドキリとさせられることがあります…
2012-02-14 17:34:31@sheepbook @nied_inok そこに生きていた人や、それを使っていた人の生々しい情報が、痕跡からわかることがあるからです。モノは、言葉よりも忠実に何かを残す部分があると思っています。ということで、レクチャーする人間も必要だと思いますが。
2012-02-14 17:34:42陸前高田市博物館。職員は全員亡くなった。中はぐちゃぐちゃで、キャプションボードや、はりぼての展示品の残骸があった。
陸前高田市立図書館。入口には、しおしおの本が集められていた。
陸前高田市立体育館。ここは避難所で、それでもたくさんの方が亡くなった。ここに置かれたヘルメットの意味がはじめわからなかったが、陸前高田の地域消防団の話を後で聞いた時、その意味がわかって、心臓がシュッとした。
これらの施設は、保存されるという話も聞いた。(確かではないです。)
図書館のものであろう本が、体育館の天井の梁にひっかかっていた。博物館の壁には、大きくひっかかれた傷があった。周りに何もなくなっても、そういうところをよく見ると、何も言わなくてもわかることがある。
@sheepbook @nied_inok 残し方は、いろいろと案があるようです。五十嵐太郎さんを代表として、いろいろです。今は、何をどういう形で残すのが、意味があるか、考えなければ、立場に意見が左右されるだけのような気がしています。関心のある話題ゆえ、長々横から失礼しました。。
2012-02-14 17:34:57@yamiramira 嫌でも目に入るということは災害直後には被災者にとっては重圧になると思いますが、時とともに災害の記憶としての役割・存在感は大きくなると思います。@sheepbook
2012-02-14 18:40:12@yamiramira 原爆ドームはいろんな意味合いを持っていると思いますが、被爆当時もそこに存在したモノが、元々あった場所に被爆した後も今なお存在するという象徴的意味合いも大きいと思います。レプリカや移築ではなく、時間を超えて当時に繋がる存在としての意味@sheepbook
2012-02-14 18:47:00