災害遺構と地域と防災―それぞれの「時間」と感情、モノのちから―

東日本大震災から、もうすぐ一年が経とうとしています。復興計画はまだ先が見えない部分もありますが、瓦礫の撤去やインフラの整備は、確実に進んでいます。そんな中、津波によって喰われてしまった悲惨な状態の建物もまた、解体され、消えつつあります。もちろん、土地の再利用のために当たり前のことですし、心情的にも当たり前のことだと思います。しかし、自然災害によって被害を受けたモノ(物的証拠)を残す試みは、日本中で例があり、「災害遺構」と呼ばれます。これは、一種、100年スパンの人類のリマインダです。 今回は、その「災害遺構」に関する昨年11月からの議論を、私の視点からまとめてみました。※まとまったツイートをしている方のみ選ばせていただきました。ご容赦ください。
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地質学者の「時間」、考古学者の「時間」は、おそらく特殊だと思います。
でも、自然・自然災害の「時間」は、きっとそれに近いのです。

羊文庫 @sheepbooks

河はいやでも人に時の流れを思わせる。河なくしてわれわれは、時という概念、過去と現在と未来の概念を得られただろうか。/池澤夏樹

2012-02-08 00:00:16

では、どんな風に残すのがよいのか。そのまま?囲って博物館?ガイドは必要?復興計画の中での位置付けは?
・・・それは、また次回のまとめにて。
(戦争遺跡についてのお話も、また別にします。)

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