東日本大震災の「リマインダ装置」について考える。~知恵を出そうニッポン~

※このまとめは、「災害遺構と地域と防災―それぞれの「時間」と感情、モノのちから―」http://togetter.com/li/257651の続編です。 が、内容は全く違うので、連続して読まれなくても理解していただけるかと思います。 いわゆる、「災害遺構」の問題について。 「災害遺構は残すべきか、残さざるべきか」。 続きを読む
48
Hiroyuki Goto @eqxhiro

ルミナリエはその美しさが素直に価値あるもので,肯定的に受け入れられていますが,それと共に鎮魂の光であって,自然と震災を想起させるものです.また,神戸の人たちがルミナリエには行くんですね.受け入れていること.これが大事だと思います.

2012-02-14 20:54:00

「神戸ルミナリエ」は、1995年1月17日に兵庫県南部地方を襲った阪神・淡路大震災の記憶を次の世代に語り継ぐ、神戸のまちと市民の夢と希望を象徴する行事として開催しています。
大震災が起こったこの年の12月、年初の悲しい出来事による犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めた「送り火」として、また、間もなく新しい年を迎える神戸の復興・再生への夢と希望を託して「神戸ルミナリエ」が始まりました。未だ震災の影響が色濃く残り、復旧途上にあった神戸の夜に初めて灯った、イタリアからやってきた荘厳な光の芸術に連日感嘆の声があがり、震災で打ちひしがれた神戸のまちと市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。そして、会期終了直後から継続を求める強い声が市民や各界から寄せられ、翌1996年の開催が決定しました。
(ルミナリエHPよりhttp://www.kobe-luminarie.jp/

・・・

「美しく」遺すということは、やはり「鎮魂」という意味合いが強いように思います。
それを私が感じたのが、気仙沼の被災地で見たものす。
気仙沼市役所を下って、海へ向かう途中、廃墟と化した街の一角に、こんなものが作られていました。

IMG_4041

yamiramira

「気仙沼のグラウンド・ゼロ」です。
気仙沼の町らしく、漁業用のガラス玉が美しく配置され、キラキラ光っていました。真ん中には、誰にも使われない、真っ白なテーブルと椅子が置かれていました。どなたが設置されたのかはわかりませんでした。

IMG_4045

yamiramira

その上では、たくさんのメッセージが書かれた大漁旗がはためいていました。漁業に支えられ、作られてきた町なんだ、ということへの強い意識が、感じられました。

IMG_4055

yamiramira

(ちなみに、気仙沼駅の隣、鹿折唐桑地区では、「めぐろ気仙沼まちづくり会議」という建築家の方々の集まりによって、非常に斬新な復興計画が提案されていました。これは、気仙沼市役所に、1/13に展示されていたものです。町全体を物理的にレイヤー構造にし、上段には生活機能、下段には生産機能などを配置し、均等に上段に上がれる階段や、高所避難塔を作るというものです。この中で、町の中心に、しんさいガレキでつくった山を造成し、それを公園として活用するものです。)

気仙沼復興へ「妙手」 人工地盤と高架構造 東京・目黒の建築家ら提案
河北新報 2011年12月14日

 気仙沼市と友好都市を結ぶ東京都目黒区の建築関係者でつくる「めぐろ・気仙沼まちづくり会議」が、津波被災地域の土地利用について、人工地盤方式を導入した高架構造を提案した。大掛かりな土盛りによらず効率的な住宅確保策に結びつく可能性があり、関心を集めている。
 気仙沼商工会議所の関係者や市議に対する説明会が12日、商議所役員室であった。試案によると、高強度のPC工法で地上15メートルの高さに人工地盤を整備。7階建て程度の高層棟を組み込みながら、高架構造を面的に広げていく。
 下の地面は水産加工場や倉庫、駐車場などの用地とし、上階の人工地盤に復興住宅、緑地などを造る。試算では、高さ15メートルの地盤の整備で1平方メートルあたり8万6000円という。
231214.jpg 同会議の棚橋廣夫代表は「浸水した低地を何メートルも土盛りするには膨大なコストと時間を要す。この方式だと安全で美しい基盤整備を迅速に進められる」と強調。防潮堤の建設、道路のかさ上げと並行して施工することで、被災地再生のモデルにしたい考えを示した。
 参加者からは「素早い避難ができるまちづくりに応用が利く」「集団移転事業の土地確保で参考になる」などの意見が多く出されたが、事業化に向けては法律的な検討など課題もあるという。
 プランは市側にも説明した。菅原茂市長は「短期間でできる点など合理的なアイデアだ。どこかで使えるのではないか」と評価している。
 同会議は、目黒区の建築関連3団体が結束。9月に現地調査を行い試案をまとめた。今後も地元側と連携し、市民への説明の機会を設けていく考えだ。

・・・

はなしを元に戻します。

Bedamuni @Bedamuni

「災害の記憶」って多くの人が言っているが、それまでの生活が一変したことの衝撃であり、それにともなる様々な情動と生き方のことだとしたら、災害遺構を保存することで「災害の記憶」を伝える、というのはどこか違うように思える。

2011-12-29 10:58:20
Bedamuni @Bedamuni

自分のFBからの転載→ 被災地では災害以前に人びとの生活の営みがあったことをも、記録として残し、想起のための資源とする取り組みを忘れてはならないだろう。災害で分断された時間の記憶を再び繋ぎとめる作業こそ、そこで生きていこうとしている人々にとってとても大切なことだと思う。

2011-12-29 11:07:36

やはり、生身の「人間のにおい」が伝わってくることは、記憶の理解(想像)のためには、とても重要なことなのではないかと感じました。

そこで、リンクしてくるのが、首都大学東京の渡邉英徳先生が、ずっと取り組んでおられるGoogle Earthを利用したアーカイヴ手法です。
「東日本大震災アーカイブ」

ニューヨーク・タイムズ他に掲載された100枚以上の被災地写真、また学生さん達が現地に行って撮影してきた写真をGoogle Earth上で閲覧し,被災前・後の状況を比較することができるというプロジェクト。写真一枚一枚を、被災前のマップに手動で重ね合わせた、丹念なアーカイヴです。被災地で収録されたバイノーラルの臨場感ある録音音源もマッピングされています.

URLはこちら→ http://nagasaki.mapping.jp/p/japan-earthquake.html
リンク先でわかる通り、このアーカイヴは、ヒロシマ・ナガサキアーカイヴの基礎の上に生まれたものです。そこでは、被爆者の証言や、爆心地の写真などをマップ上で見ることができ、また現在の日本とオーバーラップさせることが出来ます。

渡邉英徳 wtnv @hwtnv

過去の記憶は未来の時のなかにある。

2012-01-28 23:10:09

…と、渡邉先生。
新しい技術を用いた、記憶を残す方法です。未来にも、AR上で永劫的に残る記録。

以下、いくつか「記憶の伝承」に関する具体的なニュースをいくつかピックアップしてみます。戦災・震災ともにあります。

47NEWS @47news

被爆体験の「伝承者」養成 広島市、15年デビューへ http://t.co/5KyvH9A6

2012-02-07 11:35:49

被爆体験の「伝承者」養成 広島市、15年デビューへ

 広島市は7日、被爆者の体験を次世代に語り継ぐ「伝承者」として、原爆投下を直接体験していない人を養成する事業を始めると発表した。

 被爆から66年以上が経過し、被爆者の高齢化が進んでいることから、体験を継承し、原爆の悲惨さを訴え続けていくことが狙い。2012年度当初予算案に関連費約180万円を計上した。

 市によると、体験の証言活動をしている被爆者約30人を「師匠」として、それぞれの伝承者になりたい「弟子」を今年春ごろから公募。相性を確認した上で約3年の「修業期間」を経て、15年春ごろに一人前の伝承者としてデビューさせる計画。
2012/02/07 11:29 【共同通信】

神戸新聞 @kobeshinbun

記録残す意義再確認 「記録しつづける会」が集い:  阪神・淡路大震災の手記集を発行していた「阪神大震災を記録し... 【神戸新聞】 http://t.co/mHaVtrye

2012-02-12 12:05:04

神戸新聞

阪神・淡路大震災の手記集を発行していた「阪神大震災を記録しつづける会」の執筆者の集いが11日、神戸市中央区の県民会館であり、自宅や職場を失い、復興までの歩みをつづった14人が近況を報告。東日本大震災の被災者が撮影した被災地の写真を収集している仙台市のNPO法人を招き、災害の記録活動について意見を交わした。(若林幹夫)

 同会は阪神・淡路大震災から10年間、公に残らない個人の手記を募り、毎年1巻ずつ計434編をまとめた。代表を務めていた故高森一徳さんが最終巻の発行前に57歳で急逝して以降は活動を縮小している。

 高森さんのめいで、人と防災未来センターで震災資料専門員を務める高森順子さん(27)が事務局を引き継ぎ、2010年から執筆者の“同窓会”として集いを始めた。3回目の今年は東日本大震災後初の集まりとあって、「あらためて震災を経験した者の気持ちを伝えたい」「17年たって記憶が薄れたと感じる。記録の大切さが分かった」などの意見が相次いだ。

 招かれた仙台市のNPO法人「20世紀アーカイブ仙台」は、震災直後から市民が撮影した被災生活の写真を集めており、3月に写真集を出す。佐藤正実副理事長(48)は「震災の中の暮らしぶりを残したい。撮影者がどんな体験をしたかも聞き取った」と説明。給水を求めて長蛇の列を作る被災者や、ろうそくをともして夕飯を食べる子どもの写真を紹介した。

 震災から年月が経過すると、寄せられる手記が減るなど、記録を残す上での課題についても意見を交換。高森さんは「それぞれの被災者が体験を残し、関係を結んでいきたい」と話した。

(2012/02/12 11:38)