東日本大震災の「リマインダ装置」について考える。~知恵を出そうニッポン~
- yummy_okashi
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看板から、博物館がもう機能しなくなったことがわかる。もと博物館の看板が、復興した牡蠣のお店の看板に上書きされている。象徴的。
釜石市鵜住居地区河口。片田先生の防災教育の積み重ねにより、ほとんど児童が津波てんでんこで逃げることが出来た、鵜住居小学校と釜石東中学校が、この写真のすぐ右に並んである。
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ジオパークの構想とは、これら一連の(まだ申請未確定のものもありますが)災害遺構を、「ジオサイト」として見て回れるようにし、多くの人に”そのままの恐怖”や自然の営為や、その地理地形を感じて学習してもらい、防災教育い役立てる、あるいは観光にも役立てる、というものかと思います。
そこでは、「ガイドさん」の役割も重要です。
防災・地理学関係の方は、このような遺し方を想定されているように思いますが、違ったらごめんなさい。訂正して下さい。
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まとめ
と、このようにまとめてみると、
カタチ
1.美しい形で残す
2.ランドアートとして残す
3.ありのまま恐ろしいまま残す
4.ARとして残す
目的
5.鎮魂のために残す
6.観光・地域振興のために残す
7.防災教育のために残す
(他にもあるでしょうか?)
というような選択肢がいくつか組み合わさって、残したいものの姿が、それぞれに浮かび上がっているように感じます。
ただ、以下のことは、どの組み合わせの場合でも、大切なことのように思います。特に、語り継ぐ人が、語り継ごう、という思いをもたれるかどうかは、大事なポイントだと思います。
・生身の人間の言葉を大切にする(伝承・ガイド)
※ガイドは、どのような立場の方がやるのかによりますが。
・定期的に自然と思い出すことが出来る
これとこれの組み合わせは許せるが、それは許せない、など、いろいろな葛藤があると思います。それが、この問題の難しさです。
被災された方の間でも、立場の違いは様々です。
三陸大津波の碑を残さなかった人は、たくさんいたけれど、その人達は、当然だけど、今非難されてはいない。
でも、碑があったことで、助かった人もいる。
また、碑が作られていたのに流されてしまったものもある。
私は、これ以上実際的に関わることは出来ないので、どれがいいとは言えません。
地域ごとに、複数分野の専門家が議論して、また住民と対話して、決めて行けばよいと思います。
何を大事にするか。何を地域として選択するか。
それは自由です。
でも、いろいろな選択肢があるので、知恵は働かせた方がよいのではないかなとは思います。
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前回のまとめに引き続いて、あさみさんからコメントをいただきました。
(まだお話の途中なのに、載せてしまってすみません。)
これは異端の意見とおもっていただきたいのですが、100年単位で考えるからこそ、「頑張って」残さなきゃいけない程度のものは淘汰されていくような気がします。自然遺構と違って、街は常に人の手が入り続けます。 @yamiramira @nied_inok
2012-02-15 01:00:29@adonis_fish リプ遅くなり、すみません。「頑張って」残す作業をするのは、災害遺構保存をプロデュース・コーディネートする人間で、頑張る必要がないのが、そこで暮らし続ける人間ということかなと思いました。地元の人が頑張らない残し方。@nied_inok
2012-02-15 12:07:04仰るとおりに人心は移ろうものなので、「災害の痕跡を見たくない」という気持ちが薄れるのと同じくらいの勢いで「これを残さねば」という人の気持ちも弱まっていく、ような気がします。 @yamiramira @nied_inok
2012-02-15 01:03:20@adonis_fish 先ほどのリプライにも通じますが、残していくための装置・場・システムの設定内容によるのではと思います。博物館を初め、文化財の伝承も一応続いていますし。(理解されない部分もありますが)よいアイデアがあれば、きっと何か残るのではと。 @nied_inok
2012-02-15 12:17:56わたしが、こんなまとめを作ったのは、こういう理由からです。
読んでくださった方、ありがとうございました。