内田樹氏のエントリー『マンガ脳』に対する喜多野土竜氏の一連のTweet

http://blog.tatsuru.com/2008/06/18_1048.php 内田樹氏の 「マンガ家を見て知れることの一つは、「画力のあるマンガ家は、話も面白い」ということだからである。絵はめちゃめちゃうまいが、話は穴だらけ、とか、ストーリーは抜群だが、デッサンがどうも狂っている・・・というようなマンガ家は(あまり)いない(青木雄二くらいである)」 に対する喜多野土竜氏の一連のTweetをまとめました。
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喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

画力の定義が不明。 RT @l_taro マンガ脳 (内田樹の研究室) http://t.co/s4otmHda "日本人にとって「マンガを読む」というのは左右の脳を例外的に活発に刺激する経験なのではあるまいか。/(略)「画力のあるマンガ家は、話も面白い」ということだからである"

2012-02-23 12:13:32
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

http://t.co/s4otmHda あんまり飯の種をばらすのもなんだけど、青木先生の絵をもってデッサンの狂いと画力を混同するのは、ちょっと違うと思うので。マンガの絵は記号と喝破したのは手塚治虫だが、自分も基本はそれに賛成。矢印の→とか↑とかと本質は同じものと思う。

2012-02-23 12:18:50
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)言葉で説明してもわからない投稿者には論より証拠、まず「男性でも女性でもいいので、愛する人を見て自然とこみ上げる喜びで微笑みを浮かべている人物の立ち姿全身を描いてください」と言う。で、出来上がった絵を三分割する。三分割した絵を、三段割りのコマに、脚部→胴体部→顔の順に挿入。

2012-02-23 12:22:38
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)で、出来た3コマ漫画の2コマ目を、ナイフを持った手に書きなおす。そうするとアラ不思議、恋人とか赤ん坊とかペットとか、とにかく愛おしものを見て笑みを浮かべていたはずの人物の表情が、とんでもない狂気や殺意を秘めた、空恐ろしい顔に見えて来ませんか? 書き手が込めた思いと真逆に。

2012-02-23 12:26:43
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)ココらへんは、映画の編集という概念と同じです。映画は例えば、泣き崩れる女性のカットと交互に掲揚された旗が抜けるような青空の中、風にはためくシーンに編集することで、彼女は今は悲しみの淵にいるけれど、希望を失わずやがては復活するんだという意味を、見る側は感じるわけで。

2012-02-23 12:29:13
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)例えば、スピルバーグ監督『ジョーズ』では、予算を切り詰めるために、水中カメラマンが自然の雄大さや美しさ、荒々しさを表現しようとして撮影した映像を、予算軽減のために流用したわけで。そこに、例のダーダン……という音楽をかぶせることで、その海中シーンが物凄く恐ろしく感じます。

2012-02-23 12:31:37
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)先程のマンガの手法もその応用で、書き手が込めた意味は、事前の情報をちょっと操作して誘導することで、「愛しい物を見た微笑」が「突き抜けた殺意を持った狂気の笑み」へと、チェンジしてしまう。ここの誘導がちゃんとできていれば、本来は意味の絵さえ、記号になってしまうわけです。

2012-02-23 12:34:17
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)一枚の完結した絵で勝負しない絵画と違って、映画にしろマンガにしろ、一連の流れの中に物語とかキャラクターが浮かび上がってくるわけで、逆説的にかつては舞台中継と同じような、舞台を記録したものに毛が生えたような存在だった映画が、編集という概念を加えることで、独自の芸術になったと。

2012-02-23 12:36:44
すがやみつる @msugaya

この「編集」という作業が「視点の変化」をもたらしました。 RT @mogura2001: 逆説的にかつては舞台中継と同じような、舞台を記録したものに毛が生えたような存在だった映画が、編集という概念を加えることで、独自の芸術になったと。

2012-02-23 12:46:08
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

@msugaya その視点の変化が、イマジナリーライン理論へ発展したのですが、最近の若手の作品はそこがグチャグチャで読みづらいです。元アニメーターの漫画家さんに話を聞くと、アニメーの専門学校のほうが、そこら辺の教育体系がしっかりしていて、彼我の「教える技術」の差に愕然としました。

2012-02-23 13:22:40
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)この要は編集の技術は、モンタージュ理論とかイロイロと小難しい方法論が付加されましたが、トキワ荘世代のマンガ家はとにかく映画好きで、その方法論を貪欲にマンガに移植したわけです。ところが、そういう点をすっ飛ばした投稿者や編集は、記号としてのマンガと、絵画を混同してしまいがち。

2012-02-23 12:39:23
すがやみつる @msugaya

プラスして、当時のミステリーやSF雑誌もテキストになっていた。 RT @mogura2001: 承前)この要は編集の技術は、モンタージュ理論とかイロイロと小難しい方法論が付加されましたが、トキワ荘世代のマンガ家はとにかく映画好きで、その方法論を貪欲にマンガに移植したわけです。

2012-02-23 12:43:03
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)しつこく書きますが、記号という点なら写真のようにリアルに書かれたサンシャイン60と、四角いビルのシルエットをベタで黒く塗りつぶし「池袋」とだけ書かれたコマは、後者のほうがマンガとしては優れた表現です。そのコマで表現すべきは「どこで?」なのですから、確実に池袋とわかる方が上。

2012-02-23 12:42:23
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)東京都庁とか東京タワーとかぐらい、アイコン性が高い建物ならばそれを書けば良いが、サンシャイン60(http://t.co/S1nnBPpI)と東邦生命ビル(http://t.co/Yw5SqMJT)を見分ける労力を読者に求めるのは、作家の側の傲慢、あるいは自己満足。

2012-02-23 12:48:08
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)極端な話、池袋と字幕が打たれてビル群のシルエットがベタ塗りされた絵を指し、「池袋のどのビルか特定できないからダメ」とか「一番高いビルをサンシャイン60と仮定すると、縦横比率のデッサンが狂っている」とか指摘することは無意味。ところがそういう評論モドキが、近年幅を利かしすぎ。

2012-02-23 12:52:45
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)口はばったいが、拙著を評価してくれたプロは、それが実在感の表現であるとか、男女差の表現であるとか、顔の角度による感情の表現とか、根本的な記号となる部分だと気づかれたからと、自負している。前述した絵の意味の組み換えがわかれば、意味としての具体的作画技術や表現は、枝葉だから。

2012-02-23 12:55:54
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)どんなに心からの笑みを浮かべる絵も、それが俯角になればどこか客観的・冷めた感じが記号として付加されるし、逆に仰角も浅い角度では積極性が、深い角度では傲慢とかの記号が付加されるので。マンガの作画技術が洗練され、密度が高まった結果、そういう根本的な部分を見失っている気がします。

2012-02-23 12:59:11
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)内田先生は自分も著書を何冊も持っている学者ですが、絵画表現やマンガ表現の専門家ではないので、こういう見方は仕方ないし、非難するような部分では無いです。ですが、どうも曲がりなりにもプロを目指そうとする人間や、編集者というプロに寄り添うべき人間が、勉強不足だと思うことしばしば。

2012-02-23 13:01:24
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)そこら辺も含めて、もう一度マンガの文法を見直そうというのが、自分の20年来のテーマ。まぁ、自分もまだまだ勉強中の身ですが、でもそういう文法がわからないから、流れを分断・無視した盗作トレース決めカットに編集が気づかない。マンガのコマはほとんどが連鎖して記号を形成しているのに。

2012-02-23 13:08:08
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

そういう視点が持てれば、この本は宝の山なんですが、モノの真贋を見分けるのにも直感的才能が必要なんだなぁと。それがないなら知識を猟色し、体系化し、多様な議論を重ね、判断能力を地道に高めないといけないのですが、浅い知識で断じる人多すぎです。http://t.co/uLX4F85V

2012-02-23 13:14:22
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

あ、結論を書き忘れました。青木雄二先生の絵はシニフィアン(記号表現)として登場人物の感情を的確に読者に伝え、シニフィエ(記号内容)としての「青木雄二的な絵」という機能を果たしているので、何を伝えたいのかわからない絵や、デッサンはできていても他人と見分けがつかない絵より、上です。

2012-02-23 13:33:13
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

なお、「憎みながらも愛している」とか、「怒りながらもどこか嬉しく思っている」といった、多層的な感情表現と、記号としてのストレートなわかりやすさちは、また別の話なので、一知半解さんは突っかかって来ないでくださいねm(_ _)m そこら辺の解説は、夏目房之介先生の著書に詳しいです。

2012-02-23 13:36:28
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

承前)一枚の完結した絵で勝負しない絵画と違って、映画にしろマンガにしろ、一連の流れの中に物語とかキャラクターが浮かび上がってくるわけで、逆説的にかつては舞台中継と同じような、舞台を記録したものに毛が生えたような存在だった映画が、編集という概念を加えることで、独自の芸術になったと。

2012-02-23 12:36:44
喜多野土竜 ⋈ @mogura2001

あ、さっきのツイート『一枚の完結した絵で勝負しない絵画と違って』は『一枚の完結した絵で勝負しないといけない絵画と違って』ですね。これでは真逆の意味になってしまう(汗)。

2012-02-23 14:30:23
Yusuke Sode™ @YusukeSode

@mogura2001 エイゼンシュテインのモンタージュ理論ですよね

2012-02-23 12:33:13