@frroots まぁ確かにこれは大変重要なことですな。(EMを「言語主義」だと勘違いしている人もいることだし。)<日常語の表現に対応物を持たない仕方で行為やアイデンティティが個別化されて理解されていること
2012-02-29 12:21:45F&Q[1]人間は自己記述する動物であるというのは言語に依存しているのか [2]自然言語にとくに分節化、命名されていないありふれたジェスチャーは、自己記述に該当するのか [3]該当しないのなら、そのジェスチャーはEMの対象になるのか
2012-02-29 12:38:12メモ)おっと。「ある記述の下での行為」という表現は、記述する人物が書き手だと思われたら、真逆の誤解が生じるらしいってことか。。語との一対一対応、ほかもろもろ。そんな表現使ったことないけど。@contractio @frroots
2012-02-29 12:47:09疑問メモ)でも批判的EMを理解するにあたってもこのあたり誤解があると、読者はついて行けないよね。。批判的EMって「記述の下での行為」なんつー自分に跳ね返りそうな表現は使ってたりするのかな。このあたりは規範とかを押して、お茶を濁しているのだろうか。そのうち確かめよう。
2012-02-29 12:50:45疑問メモ)てかあれだな、批判的~に違和感がある読者層は、そのあたりの問題がクリアではないから疑念を持ってるって可能性もあるね(あくまで憶測だけど)。
2012-02-29 13:00:01疑問メモ)そして、批判的~から入った読者層は→前述の疑念→オルタナティブとしてのWMへ→でもあんまりよくわからない→疑念続く、みたいな流れもありうるな(勝手な妄想だけど)
2012-02-29 13:03:07メモ)超えるとき=実際に特定して示すとき。ならばその表現自体はどこに置くべきか問題ー学史?方法論?QT @frroots:@contractio (前略)単に代替表現を探すというだけでなく、積極的に超えていきたいものです。
2012-02-29 13:35:19@contractio @frroots 分析の中で全然使いたくないですお!あ、だから代替するのかww〉「記述の下の行為」、ちょっと考えておきますね。
2012-02-29 13:44:00@igamoto でも、「記述の下での行為」という表現は、「学的研究者が記述を開始する以前に、対象の側ですでに記述が生じている」と主張するときの一つの手だてになっているわけでね。 @frroots
2012-02-29 13:49:41先行研究批判の根拠を示す為に使う定型語(マジックワード)ですねQT @contractio:@igamoto でも、「記述の下での行為」という表現は、「学的研究者が記述を開始する以前に、対象の側ですでに記述が生じている」と主張するときの一つの手だてになっている @frroots
2012-02-29 14:01:34( そういう語使うことと分析することは、似て非なるものなりと思うけど、まあ分析の含意する範囲が違うのであろう。)@contractio @frroots
2012-02-29 14:05:07@igamoto いや、分かりにくかったかもしれないけど、もともと「語」だけの話はしてるつもりないんだ。「分析」と呼んでいるものが、何をしていることなのかということに「も」関わることなのよ。 @frroots
2012-02-29 14:09:47@contractio @frroots ああ了解です~。確かにそのあたりもっと共通見解として深めておく必要がありますよね。あまり使わないのは、そのあたりが自分でも弱いからかも。まずはプレゼンとして胸張っていけるようにしたいものです。
2012-02-29 14:13:07最初からそういう意味だったかww QT @frroots:@contractio 単に代替表現を探すというだけでなく、積極的に超えていきたいものです。
2012-02-29 14:20:15