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パブリックな消費とは

消費は一人の人生そのものであり、それが完全に私的なものであると考える近代社会は倒錯していたのではないか?消費をパブリックにすることによって、新時代の経済が始まる。
経済 消費 パブリック 近代
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Eiji Sakai @elm200
工業の時代(トフラー風に第2の波の時代と言ってもいいけど)、ずっと「カネを稼ぐときはパブリックな存在(生産者)、カネを使うときにはプライベートな存在(消費者)」という全く対照的な二つの役割を演じるのが当然だと考えられて来たけど、最近、それに疑念を感じ始めている…。
Eiji Sakai @elm200
どうもいままで人はあまりにカネを稼ぐことに集中しすぎてきたきらいがある。カネを稼ぐのは究極的には使うためではないのか?だが人生を充実させる上で、実際に重要なのはカネを使う部分ではないだろうか?この部分に人々は無関心すぎる気がする。カネを有益に使うのは思っているよりずっと難しい。
Eiji Sakai @elm200
完全に私的な消費ってあり得るのだろうか?コンビニでパンを買って自分の部屋で密かに食べればこれはほぼ完全に私的な消費かもしれない。だが車や家を買うことはどうだろうか?家族で共有されるだろう。社会的ステータスも意識する。そのとき、その消費には仮想的な「世間」が参加している。
Eiji Sakai @elm200
豪邸を買ったとしても、一人ぼっちでそこに住み、通行人も近所の人も誰も注目しなければ、虚しいだけではないのか?多くの消費が実は多くの人たちが関係する社会的なものではないのか?
Eiji Sakai @elm200
自分の「私的な」カネは、「反社会的なもの」の購入に当てられるという「メリット」があると考える人もいるだろう。麻薬・性サービス・武器など。だが、そういう行為は購入者の人生を真の意味で利するだろうか?ある行為が反社会的と呼ばれるにはそれなりの理由がある。本人のためにも良くないのでは?
Eiji Sakai @elm200
近代は「私的」な時代だった。近代以前には「私」が存在しなかったので、それは大いなる解放だった。だが、それが行き過ぎていまや人々は孤独に苦しんでいる。人々が孤立していくのはよくよく観察すると「私的消費」が原因であることが多い。ならば消費をパブリックにすればいいのではないか?
Eiji Sakai @elm200
私たちが幸福を引き出していくのは、消費を通じてなのだ。私たちは消費をより真剣に考える必要がある。どういう消費をしたいのか開示して他の人たちの意見を聞くのはどうだろうか?そもそも消費が社会的なものであるなら、社会的価値をもたらす消費について他者の資金援助を仰ぐのも可ではないか?
Eiji Sakai @elm200
近代において完全に私的だった消費をよりパブリックなものにしていくこと。自分の消費が自己実現に近いものなるほど、社会的になり多くの人たちに関連していく。その消費の社会的価値を立証しつつ資金集めができればカネを稼ぐことと使うことは同じことになる。これが未来の「仕事」なのかもしれない。
Eiji Sakai @elm200
これに近い例を挙げるとすると、冒険家の資金集めに似ているかもしれない。たとえば世界をヨットで一周する冒険家は、ある意味で消費者にすぎない。だが、その消費は私的ではなく社会的であり、価値があると考える人たちが資金援助者(スポンサー)になる。fundraising 型消費だ。
Eiji Sakai @elm200
なにか…非常に重要なポイントに気づきつつあるような気がするんだが、うまく表現できない…。なにかコロンブスの卵的な重大な発想の転換。来るべき社会は20世紀的常識からするとかなり奇妙なものになりそうだ。
Eiji Sakai @elm200
貨幣経済では『商品からカネへ「命がけの飛躍」』が必要だった。つまり商品はそれが本当に欲せられるのか分からないまま生産されるしかなかった。だが fundraising 型の経済ではその心配は無用だ。消費駆動型の生産が行われるので。 http://t.co/S6pH01sR

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