しゅーにゃんと! 魔理沙の! 音楽とワタシタチ ゼロの哲学者のミニ講義その2!!
- L_O_Nihilum
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@kirismemarisa http://t.co/bttdDDu9 カオスラウンジ、というのは藝術集団なんだ。で、その創作のやりかたにはいろいろ受け入れられないところもあってね。
2012-03-15 18:28:47@kirismemarisa まさにそれ。CGM(民-民)ではなく社-民の関係では、いっつも社>民という前提があってこその行動ですべてが動いてしまう。それは危険なことだと分かっていながら、CGMが2chとかマイナーだったから平然としていたんだね。今まで。
2012-03-15 18:30:17すっごい決めつけ臭いこと言ってしまうとあれだけど、事実、オタクを差別・利用してきた歴史≒CGMを差別・利用してきた歴史≒民を無視・利用してきた上層の歴史、ってことなんだよね。暴力的であまり好みじゃない考えだが、経験的な事実だと思う。
2012-03-15 18:32:35@kirismemarisa それだけじゃないさ。なんと、そのカオスラウンジのやりたい放題を、超優秀なアニメや漫画の評論家が大絶賛しちゃったんだ(笑)。その掲示板にもあるけど要はアンディー・ウォーホル。それに近いっていう彼の考えだね。
2012-03-15 18:34:20@kirismemarisa アンディは商品のデザインをよく描いていた画家…というかデザイナーだな。商業に勝てなくなった藝術が、商品のコピーとしてばら撒かれる。それをそれでいいとして創作していた人だ。それと彼は同列視したかったらしいんだよね(昔っからそうなんだ、東先生…w)
2012-03-15 18:35:42@kirismemarisa そう思うだろ? ウケというか、批判されても怖くない耐性が付いた。結局、批判するには作品を視なければならない。見るためにはお金を払う。お金が動く。経済が潤う。批判。それに(良かれ悪かれ)対応する。また作品できる、お金動く。それが気持ちいいってことだろう
2012-03-15 18:40:10@kirismemarisa だから、その辺絡めて神主は「アンチ商業」って言ったのさ。そういう在り方には限界がある。可能性を広げない。今やってるみんなの二次創作は、それ自体が商業への回収から逃れるパワーなのだ、と創作を認める意味あいもあったと思うんだ。
2012-03-15 18:45:02東の痕跡そのものを超越し無化することこそ、たぶんだけど東先生自身の願いだと思う。彼はそうした作品群が評価できる道具立てを用意したけど、彼にできることが、たぶんこの日本の構造のなかで精いっぱいだったと思ってるのではないかな。
2012-03-15 18:46:04@kirismemarisa タイトーの落とし子だぜ?そりゃあね(笑)そう思って、楽園を作ろうと決めた。そしてできた世界の名前…それは僕より、目の前にいる白黒のキミが唱えてほしい。それはどこだ?Call The Name of World you Living in!
2012-03-15 18:47:49あ、何故オタクやCGMの歴史が民衆無視の歴史と直感できるかについて、話してなかった(汗)。良く考えてみな、小室ミク騒動なんかでさ。私たちがどういう作品を望み、作っていくのか、そのことを考えずにお金さえ動けばで行動する。
2012-03-15 18:49:07ホワイトキャンパスもその思考で調子に乗っていた。カオスラウンジは無関係に見えるかもしれないが、「商業化される藝術」を肯定したという東先生の行動が絡むんだから一緒だ。藝術のプラットフォームとは商品なのだ、という考え。私たちが嫌がった考えが根底にある。
2012-03-15 18:50:12それはちょうど、原発事故にもかかわるんじゃないか?なぜあの事故から今のような事態が起こっているのか?それは、人が住んではならないとされた場所に原発を作り、お金が欲しいからと安全神話を振りまいて、安くした周辺土地に人を住まわせたってことが根幹の問題じゃないか。
2012-03-15 18:51:14@L_O_Nihilum ………それは幻想郷、Lostrand、忘れられた楽園。 「幻想郷は全てを受け入れる それはそれは残酷な話しですわ」
2012-03-15 18:51:27民の願いは豊かで安全な暮らし。それを、無視した結果が去年の天罰だ。そう考えるのはたやすいと思わない?
2012-03-15 18:51:46さあ皆さん、私たちとともに復唱しましょう: RT kirismemarisa:@L_O_Nihilum ………それは幻想郷、Lostrand、忘れられた楽園。 「幻想郷は全てを受け入れる それはそれは残酷な話しですわ」
2012-03-15 18:52:38@kirismemarisa それは幾多もの想像に絡められ創作にて表現される。しかしその対象はつねにここでないどこか、ちょうど魔理沙が住んでるそこがあるように、確かにあるモノなんだ。空想や想像ができるのは幻想があるからなんだ。そういう「他者」を大切にできるか?と僕らは問われている
2012-03-15 18:54:02「他者」というのは哲学においては「人としての他人」だけを指さないのだ。「自己」の対として考えるのだけど、つまり「自分、もしくは自分のさしてる領域ではないモノ」という意味だ。つまり「男」が自己なら「女」が他者。
2012-03-15 18:57:04@L_O_Nihilum 目に見えない何か……空想幻想思想、人がヒトである限りは存在してるんだな。わたしは全部大切にしたい、大切に…
2012-03-15 18:57:51「この世界」(つまりここの現実)が自己であるなら?(つまり、此の世に生きてる僕らは「この世界の住人」である(現存在である)と言う事はある意味みんな同じ自己だという事だ!) …「あの世界」が他者になる。「あの世界」とは幻想?目に映ればそうだろう。しかし、その中の当人にとっては現実だ
2012-03-15 18:58:46