「売れるアート」を考える
アート業界(?)では非常によく取り上げられる問題がある。「売れるアートとはどのようなものか」だ。この問いは芸術家なら誰もが通る道だと思うし、ある意味で、これを超克していかなければ芸術家として生きていくのは難しい。
2012-03-19 01:48:48ただ、この問題で非常に興味深いのが「アート」と「売れる」が根本的には結びつかないという点である。これは芸術をどう捉えるのかにもよるが、例えば「本当の芸術は時代を先取りしたものである」という主旨の発現をしている歴史的芸術家は結構いる。
2012-03-19 01:53:43僕が記憶している限り、カンディンスキー辺りがそんなことを言っていた気がするが、それはともかく、「時代を先取り」ということは、今の時代にはマッチしない、つまり時代に合っていない作品が「芸術的である」と評価される傾向にあるということになる。これはビジネス的にいかがなものだろうか。
2012-03-19 01:55:47ビジネスでは「時代に合った商品を作る」というのがある種の至上命題とされている。もう少し突っ込んで言えば「売れるためには時代に合ったものを作らなければならない」とされているワケだが、これはさっきの芸術の定義と矛盾しないだろうか。
2012-03-19 01:58:00「時代に合ったもの」は売れる。これは結果論的なものではあるが、なんとなく感覚的には妥当な気がする。ただ、逆に「時代に合わないものは売れない」と完全に言い切ることができるかというと、それは怪しい。例えば時代を一切無視したとしても実用性のあるものは日常的に売れる。
2012-03-19 02:01:01洗剤や歯ブラシ、ティッシュペーパー、食品などは時代に関係なく売れる。それは欲されているというより、「無いと生活できないから仕方なく買っている」に近いが、それでも売れていることには違いない。けれども、だからといって芸術はこのポジションにはほぼ入らない。
2012-03-19 02:03:57大きな理由の1つは「無くても生活できる」からだ。これが日常品と芸術の決定的な違いの1つである。もちろん値段を比べてみても大きな違いがあるが、そこはあまり重要ではない。例えば家の修繕など、「仕方なく大金を払う」ということも日常的には有り得る。そういう意味で値段は関係ない。
2012-03-19 02:07:11ここで軽くまとめておこう。芸術は「時代を先取りした(時代に合わない)もの」であり、「無くても生活には困らない」である。これが今話したことの要点だ。つまり、この2つを克服できれば、少しぐらいは芸術活動が生活の糧になるようになるのではないだろうか。
2012-03-19 02:11:03まず先に考えたいのは「無くても生活に困らない」という点だ。これは現代のビジネスでは当たり前の話で、実際そういうものばかりが売れている現実がある。音楽やマンガ、映画、DVD、ノベルティーグッズなどなど、売れている商品は必要のないものばかりが目立つ。
2012-03-19 02:15:22しかしながら、この視点に立つと、僕らの買っているもののほとんどがこの類に入る。電気のない頃でも人は生きていたこと基準に考えると、電気すら「無くても生活には困らない」というカテゴリーに含まれてしまう。これでは文脈違いもはなはだしい。
2012-03-19 02:18:08要するに、現代には現代特有の「無ければ困るもの」があるということだ。例えばほとんどの人にとっては今や携帯電話やパソコンは必需品と言える。これが無くなったら生活できなくなる人も少なくないだろう。しかし、僕らが困るのはこれだけだろうか?
2012-03-19 02:20:51個人的にだが、AKB48のDVDが買えなくなることによって、死んでしまう人というのが実際に一定数いるような気がしている。もしこれが実際にあったなら、それは「AKBのDVDを買って見る」ということが、その人にとっての生活の一部になっているからではないだろうか。
2012-03-19 02:23:36東京都での性的描写に関する条例があんなに問題になったのも、これと同じことのような気がする。つまり、僕らにはその人固有の「無くては生きていけないもの」が存在するのだから、その個人の生活の一部に食い込む方法さえ分かれば、芸術の「不必要性」とも言える側面を解決できるのではないだろうか。
2012-03-19 02:29:23次に時代という側面を考えてみる。もう一度定義の確認をしておくが、芸術は「時代を先取りした(時代に合わない)もの」である。ここでは「時代とは何なのか」という問題が立ち現れるワケだが、これは話し出すと長いので取り敢えず「全体的な価値観」ということにしておく。
2012-03-19 02:35:09言い換えると「芸術は全体的な価値観に合わないものである」ということになる。さて。人が自分の価値観に合わないものを自分の生活の一部として取り入れようと思うことなどあるのだろうか。これはかなり根の深そうな問題である。
2012-03-19 02:38:24ここで僕が問題をすり替えようとしたことに気がつかなければならない(たまたま書いてしまっただけだけど)。全体的な価値観と自分の価値観は別物だということである。そこで少し細かく見てみたいのだが、「全体的な」の「全体」とは一体何なのだろうか。
2012-03-19 02:44:03あっさりと僕の考えを書いてしまうが、ここで言っている意味での「全体」は「日本人全体」のことである。もう少し突っ込んで言うと、日本人全体の98%以上が「大衆」なのだから、その大衆の価値観が「全体的な価値観」ということである。
2012-03-19 02:49:03大よその人にとって、大衆の価値観と自分の価値観は一致する。なぜなら、今言ったように大半の人は大衆だからだ。つまりさっきの話を繰り返すとこういうことになる。人が大衆の価値観に合わないものを自分の生活の一部として取り入れようとすることなどあるのだろうか、と。
2012-03-19 02:51:55結論は「ある」だ。ただし、それは日本人の2%の「大衆ではない人」にとってであって、普通に考えてそれ以外には有り得ない。またその2%の人が必ずしもお金持ちであるとも言えない。この恐ろしく狭い門をくぐってこそ、本当の芸術が経済的に生き残る道が与えられるのである。
2012-03-19 02:58:08「この絵が、この彫刻が、無ければ私は死んでしまう」。そういう心境になりうる人が極々少数の限られた人だけであり、そういう心境を引き起こすことのできる作品も同じぐらい限られた数しかないとなれば、その難しさたるや、単なる経済的成功の比にすらならないだろう。
2012-03-19 03:02:47