足立啓二新著から京大「中国史研究会」をめぐって (2012年3月)
@kaikaji ウィットフォーゲルは10年ちょっと前に読んだことがありますが正直な話、おもしろさが全くわからなかったですね。梶さんがたびたび触れられているので逆に興味がわいてきたという感じです
2012-03-22 21:55:59
@tomojiro 宮嶋博史さんの議論は『両班』くらいしかちゃんと読んだ記憶がないのですが、小農社会の成立が東アジアにおいて西洋とは異なる独自の発展経路を生んだ、というのはあの学統の共通認識といっていいと思います。その点は足立氏も同じで、必ずしも単純な停滞論ではない。
2012-03-22 22:24:02@kaikaji 確かに経済史的観点から見ると停滞論ではない。ただその後、足立氏も宮嶋氏も社会あるいは政治に対する見方が問題なのだと思う。足立氏の場合は経済基盤としての小農制の独自性は捉えていても「中間団体の欠如」と政治的専制を単純に結びつけて論じている。
2012-03-22 22:31:33@tomojiro 小農社会論のミソは封建性に関する議論を棚上げにして東アジアを一つにくくれるところ。しかし同じ小農社会であっても強固な集権的国家の下に成立するのと、自律的な地方権力の下で地縁的な自治を形成するのとでは大きく違う。そこに注目するとどうしても足立氏のような議論になる
2012-03-22 22:32:38@tomojiro そういう単純化の側面は確かにあり、ウィットフォーゲルがかつてさんざん批判されたところ。小農社会論はむしろウィットフォーゲルの「水力社会」論を実証的に徹底批判するところから出発しているといってよいかと。その点では確かに足立氏の理論的背景には微妙な面も。
2012-03-22 22:36:28@kaikaji 生産制から社会構成体・政治や文化のあり方まで総体として下部構造から捉えるマルクス主義の論理が破たんすると途端に社会や政治・文化に関するいわゆる「上部構造」の捉え方が訳わからなくなる方が特にマルクス主義から脱しようとする人に見かける頻度が多いような気がします
2012-03-22 22:37:19これ禿同! RT @kaikaji 小農社会論のミソは封建性に関する議論を棚上げにして東アジアを一つにくくれるところ。しかし同じ小農社会であっても強固な集権的国家の下に成立するのと、自律的な地方権力の下で地縁的な自治を形成するのとでは大きく違う。そこに注目するとどうしても足立氏の
2012-03-22 22:39:27まあそうなんですが中共の民族政策をみても「奴隷制」「封建制」といった段階論が未だに力を持っているのは事実なわけで、それをトータルに批判する理論として専制国家論は一定の意味があるかと RT @tomojiro 途端に社会や政治・文化に関するいわゆる「上部構造」の捉え方が訳わからなく
2012-03-22 22:46:43いかに現代的でrefineされた「専制国家論」を築きあげるかが勝負ということですね RT @kaikaji まあそうなんですが中共の民族政策をみても「奴隷制」「封建制」といった段階論が未だに力を持っているのは事実なわけで、それをトータルに批判する理論として専制国家論は一定の意味
2012-03-22 22:56:27@tomojiro ええ、この問題はとかく政治化しがちなので、議論の政治性を批判しつつ本質を深めていく議論が必要ですね。あとはとりあえず足立さんの重厚な研究書に目を通してから考えることにしましょう。
2012-03-22 23:11:08
(参考)
- 谷井俊仁 [書評] 足立啓二 著『専制国家史論──中国史から世界史へ』柏書房 〔「東方」219号(1999年5月)収載〕|東方書店
http://www.toho-shoten.co.jp/review/review219tanii.html
▽「現代国家の歴史的基礎論」谷井俊仁(三重大学)
▽「著者足立啓二氏の研究は明清時代の農業経営の分析から出発した。『沈氏農書』に関する論考(〔註〕一)はその頃の代表的業績であり、評者なども氏を社会経済史の専門家だと思っていた。
ところが「中国専制国家の発展(二)」以降、氏は精力的に国家論関係の論考を発表しだした。評者のように明清制度史を専門としている者にとってそれらの論考は、漠と感じつつも概念化しかねていた問題を明快に客体化し、しかも中国にとどまらず日本、西洋、ひいてはサルにまで論及するというスケールの大きさにおいて、まさに快哉をさけばしむるものであった。今回このような形で足立氏の専制国家論の全貌が明らかになったのは喜ばしい。
しかしなぜ氏は国家論へ研究対象を移してきたのであろうか。」
▽「〔足立〕氏の研究活動は、氏もその一員である中国史研究会の歩みと離して考えることはできない。
中国史研究会は、いままで『中国史像の再構成』〔文理閣, 1983〕、『中国専制国家と社会統合 〔:中国史像の再構成II〕』〔文理閣, 1990〕の二册を世に問うている(三)。
前者は中国における小農民経営のあり方を歴史的に分析したもので、社会経済史的な視点に強く貫かれている。氏も各論を執筆しているが、総論「中国前近代史研究と封建制」をも担当している。/ この論考は中国史に封建制段階を設定することの非を論じたものであるが、そこで氏は、中国を一般的共同業務が国家によって遂行される社会、日本をそれが私的に分割されて遂行される社会とし、両者を二つの社会類型に弁別している。『専制国家史論』に社会類型論として結実する基本的視点は、すでにこの段階で胚胎されていたのであり、氏の国家論への関心は当初からのものだったのである。」
▽「もっとも関心があったにしろ、それが結実するかどうかは一概には言えない。
氏がそれをなし得たのは、八九年の天安門事件が大きな動機となったことは間違いない。これはその翌九〇年にだされた『中国専制国家と社会統合』の島居一康氏序に明らかである。本書の中で足立氏は総論「専制国家と財政・貨幣」、各論「明清時代における銭経済の発展」を執筆しており、ここに専制国家論が自覚されてきている。しかしそれらはまだ社会経済史的性格を引きずっており、国家論にまで純化していない。
『専制国家史論』の基本的着想は、九三年の「中国専制国家の発展」であることが明言されている(あとがき)。この三年のタイムラグ、その間足立氏の胸中に何が去来したのかは知る由もないが、その後の国家論関係の論考が五年後『専制国家史論』に集大成されたのは、「専制は、あるいは現代の先駆けである」(三頁)といった現代に対する強烈な危機意識があったためだと推測される。」 〔※後略〕
(参考)
▽@kaikaji さんによる書評エントリー。
- 日本は果たして中国化するのか?−足立啓二著『明清中国の経済構造』を読む(前)−〔2012-04-05〕|梶ピエールの備忘録。 http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20120405/p1
- 日本は果たして中国化するのか?−足立啓二著『明清中国の経済構造』を読む(後)−〔2012-04-09〕|梶ピエールの備忘録。 http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20120409/p1
(参考)
- 足立啓二『専制国家史論』〔2013-09-04〕|コバヤシユウスケの教養帳 http://d.hatena.ne.jp/yu-koba/20130904/1378300926
- 足立啓二『専制国家史論』 その2〔2013-09-08〕|コバヤシユウスケの教養帳 http://d.hatena.ne.jp/yu-koba/20130908/1378638073
- 脆弱な「ムラ」社会とデモクラシー 足立啓二「専制国家史論」を読む〔2013年12月23日〕|北海道言論プラットフォーム
http://hokkaidogenron.ldblog.jp/archives/7012712.html