学者と非学者の二項対立は誰を利するか?
- hirotatessai
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学者が「反原発派」でも「反反原発派」でもないのは言うまでもない前提だ。学者としてまともな訓練を受けていれば自分の専門と関係のある問題で「○○派」になることなどできない。しかし学者の言動が誰にどう利用されるかはその限りではない。
2012-04-15 14:43:57極端なのは、例えば「(ひとくくりにして)福島に住むのは自殺的だ」っていう言明。例えば「反原発派はおしなべて福島の惨状を(自己の主張の補強のために)歓迎する」という歪曲。どちらも想像力や人間観が貧しいよ。
2012-04-15 16:28:11な、なんだってー。>『学者としてまともな訓練を受けていれば自分の専門と関係のある問題で「○○派」になることなどできない』 http://t.co/xXHs1j26 https://t.co/FTCz5PSL
2012-04-16 10:35:55極端なのは、例えば「(ひとくくりにして)学者は・・・だ」っていう言明。例えば「学者はおしなべて「信じることを頑なに拒否する人」だから、「信じてる人」や「信じたい人」とは、必然的に対立する」という歪曲。学者と非学者の二.. http://t.co/EsAgO0ID
2012-04-16 10:44:24『学者としてまともな訓練を受けていれば自分の専門と関係のある問題で「○○派」になることなどできない』→クーン流に言えば、「学者としてまともな訓練」を受けることがすなわち、「○○派」になることだろうが。こいつらバカじゃ.. http://t.co/EsAgO0ID
2012-04-16 10:45:46まさか「真の学者とは」とか言い出すんでは? 渡邊センセが「真の逆張りとは」と口走ったのと同様に。笑https://t.co/xsJQ50W3.. http://t.co/EsAgO0ID
2012-04-16 11:00:55「学者としてまともな訓練を受けていれば」すくなくとも「明確に矛盾した発言」はしないはずだ。どうでしょうか、渡邊センセ? http://t.co/EsAgO0ID
2012-04-16 11:02:20今回の「まともな訓練」という言い回しは、「ほんとうの訓練」「真の訓練」と言い換えることもできますよね。「真の学者」の「本質」は二枚舌なのかな?笑 http://t.co/EsAgO0ID
2012-04-16 11:04:52これで連続コメントは最後にしますが、「学者」と「非学者」を二項対立的に捉える発想は、知識社会学的には「学者」のインタレストを反映しています。この命題は、心理学のいかなる命題よりも科学的であり、経験的にも確実な命題だろ.. http://t.co/EsAgO0ID
2012-04-16 11:14:41専門知識を欠いた人が、専門家の言動を知識内容からは判断できないので、その専門家が信用できるかで判断することがあり、そのため対人論法を用いるのはやむをえない。他方、専門家がもし対人論法を用いているとしたら、それは専門家としてよりも素人して論じていると考えるべきなのだろう。
2012-04-26 18:43:00あれ、伊藤さん、こう書いていた人なのに。「他方で、Goldmanの分類には、大きな問題が幾つかあるようにみえる。STSの観点から明らかに指摘できる問題は、専門家と素人という単純な二分法である。」http://t.co/jnRaNqlZ
2012-04-26 18:56:46続き。もちろん、Goldmanがしているのは理論的な議論であって、専門家と素人を理論的な構築物として想定することは一応、妥当であるとしてもよい。ただ、そうだとしても、そのような理論がどの程度、現実の問題に適合するかについては、詳しく検討されなければならないだろう。
2012-04-26 18:57:00伊藤さんは、専門家と非専門家の境界線を引くことがきわめて困難だと言っているのかもしれない。専門家も多くの場合「非専門家として」発言している。伊藤さんの発言をそう解釈したい。
2012-04-26 19:15:53「専門家」が論理や事実に基づく論法ではなく、対人論法、より一般的には「権威に基づく論法」を展開することは、想像以上に多いのではないか?
2012-04-26 19:20:17提起されている問題が実際に存在する社会的問題であっても,特定の人が特定の時と場所でその問題を提起しようとする動機づけが個人的な問題であることはいくらでもあります。 RT @ayumew そらそうだろうけど、問題の在処を個人に還元できるかっていうと、難しいんじゃないの。
2012-05-01 11:59:55@ynabe39 「個人的な動機」というものが、そもそも社会的に規定されているのではないでしょうか? 「個人的な動機」を社会集団の利害に帰する知識社会学的な分析ならいいのですが。。。方法的個人主義はともかく、心理学至上主義にはおおいに疑問を抱いてきます。
2012-05-01 12:00:54もちろん研究者であっても「社会的な問題を個人的な動機で提起する」ことはあるわけですが,個人的な動機を相対化する訓練を受けている研究者がそれを「隠蔽すること」は比較的容易です。いっぽうその訓練を受けていない人が「個人的動機をダダ漏れにしている」のに気づかないことは難しいです。
2012-05-01 12:02:54あなたがご自分で作ったまとめに延々とご自分でコメントされているのも拝見しましたが,端的に言って私には明確な論点が発見できませんでした。おそらく勉強不足なのでしょう。 RT @hirotatessai: 「個人的な動機」というものが、そもそも社会的に規定されているのでは…
2012-05-01 12:05:09@ynabe39 ええ、勉強不足は自覚しております。しかし、「勉強不足を自覚していない人」ほどには、勉強不足ではないとおもいますが。笑
2012-05-01 12:09:24書いたのはいうまでもなく「私が勉強不足」という意味ですが,不思議な読解をされる。 RT @hirotatessai: ええ、勉強不足は自覚しております。しかし、「勉強不足を自覚していない人」ほどには、勉強不足ではないとおもいますが。笑
2012-05-01 12:10:35@ynabe39 失礼いたしました。愚論を読んでおられるなら、「真の・・・」「本当の・・・」を信用しないという渡邊さんの発言についてのわたしの批評について、一言コメント(ご教示)をいただけると有難いのですが。
2012-05-01 12:14:20@hirotatessai それについては「自分が信じない言い方を冗談や戯言として用いる」というものの言い方や書き方があるということにつきると思います。
2012-05-01 12:16:37