nonalemmaさんによる、マルクス・アウレリウス『自省録』引用ツイート
マルクス・アウレリウス『自省録』読了。最近よくある美辞麗句を並べたてただけの薄っぺらい自己啓発書を読むくらいなら,これをじっくり読みこむほうが圧倒的に為になるんじゃないかと。あっと思えるところは大体ツイートで垂れ流したので,気になる人は過去ログを参照してください。
2012-04-21 22:22:26事物自体は心に直接触れることはなく,侵入することもなく,向きを変えることも動かすこともできない。心は心だけで自分の向きを変え動かす。そして,自分が持つに相応しいと見なす判断に合致するようなものへと外からやってきたものを自分のために作り上げる。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-09 23:27:59おまえの心を愉しくしようと思うなら,共に生きる人々の長所を想え。例えば甲の行動性,乙の廉恥心,丙の気前良さ,その他各人のそれぞれの長所を。共に生きる人々の人柄の内に現れる徳の,能う限り集って組をなしている映像の数々ほどに心愉しますものはない。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-13 11:41:19一刻のうち三度己を呪う人間にお前は褒められたいか。我が身に満足しない人間に満足されたいとおまえは思うか。ほとんど成すこと毎に後悔する者が我が身に満足するであろうか。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-13 18:17:48ひとが何をなしたり言ったりしようとも私は常に良き者であらねばならぬ。あたかも黄金やエメラルドや紫貝が常にこういうであろうように。すなわち,「ひとがどうしようとあるいはどう言おうと私はエメラルドであり自分の色を保持しなければならない」と。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-14 10:31:33顔の瞋りの表情は極めて自然に反するものである。もし顔面の品位がしばしば死に絶えるということになれば,品位は遂には二度と点火されぬほどに完全に消されてしまうであろう。まさにそのことによって,それが理性に反するものであることを納得するよう努力せよ。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-14 10:51:07助けを受けることを恥じるな。おまえは攻城戦に参加した兵士のごとくに,課せられた務めを果たす任務があるからだ。されば,おまえが足萎えゆえに独力では塁壁に登ることはできないが他の者と組んですればそれが可能な場合,どうするか。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-14 10:58:50話に関しては,語られることばに,またそれぞれの欲求に関しては,なされる行為に注目しなければならぬ。そして後者にあっては,その関係づけられる目標が何であるかを直ちに観取し,前者にあっては,その意味されるものが何であるかをしかと見守らねばならぬ。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-14 11:56:56人格の完全とは,日々を己が終の日のごとくに過ごし心激せず無気力にもならず見せかけを弄ばぬを,その内容とする。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-15 19:35:21おまえが親切を尽くし相手が親切にされたと言うなら,なぜに愚か者よろしくそれ以上になお第三のもの,親切を尽くしたという世の評判を得るとかそのお返しを受けるとかいうことを求めるのか。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-16 11:15:57すべては,馬であれ葡萄の木であれ,何かある目的の為に生じたのである。…太陽も言うであろう,「ある仕事を果たすために我は生じた」と。…しからば,おまえは何のためにか。愉しむことか。この観念が懐くに耐えられるものかどうか,考えて見よ。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-16 13:19:13枝は隣の枝から切り取られたら木全体からも切り離されずにはすまない。まことそのように人間もまた一人の人間から切り離されたら彼は社会全体から離脱してしまう。…人間にあっては身近な者を憎み背を向けることによって我が身をその者(と公共体)から遠ざける。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-17 08:32:01健康な眼は見えるもの全てを見,「黄緑色のものだけを見たい」と言うことは許されない。なぜなら,それは病んでいる眼の言うことだからである。…「自分のなすことは何でも人々が褒めてくれますように」と言う精神は,黄緑色を求める眼である。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-17 22:29:45もはや,善き人とはいかなるものかを討論するのはきっぱりやめよ。そうでなく,実際にそのような人間であること。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-18 22:56:19事物,活動,原則,意味に注目せよ。おまえがそのような目に遭うのも当然のことである。今日善き者であるよりもむしろ明日立派な人間になることを欲しているのだから。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-21 13:40:10名声に愛着する者は,他人の行動を自身の善きものとして捉え,快楽に愛着する者は,自己の感覚を通しての受動をそれと捉える。しかし理性を保持する者は,自己の行為をそれと捉える。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
2012-04-21 22:06:20