弁証法の適用についての一般論

弁証法は現実存在を基礎にして展開すれば、現実を正しく認識する方法として役立つが、概念上の対立を正当化するために使えば詭弁になる。
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木下秀明 @khideaki

弁証法①安冨さんの本はどの本を読んでも心が躍るような新たな視点を発見できる。『経済学の船出』にも冒頭部分に発見した。安冨さんは弁証法について次のように書いている。「私の考えではマルクスの議論が分かりにくくなってしまったのは、…『弁証法的思考法』を適用したためだと考える。」

2012-04-25 08:42:03
木下秀明 @khideaki

弁証法②内容を細かく説明するのは難しいのだが、最初この部分を読んだ印象は、安冨さんが弁証法を否定しているのかと感じてしまった。しかしよく読み返してみると、これはマルクスの弁証法の「適用」を批判しているのであって、弁証法の論理そのものを否定しているのではないことが分かる。

2012-04-25 08:44:17
木下秀明 @khideaki

弁証法③この文章が目にとまったのは、その批判が僕が考えていたことに近かったのと、マルクスその人の批判で納得出来るものを初めて見たからだった。三浦つとむさんはレーニンとスターリンは痛烈に批判したがマルクスは非難しなかった。あの時代にマルクスの間違いを指摘するのは難しかった。

2012-04-25 08:46:03
木下秀明 @khideaki

弁証法④しかしマルクスも時代の制約を受けていたのだからそれから解放された後の時代に誤りが発見されるのは当然といえば当然だ。今まで納得出来るようなマルクス批判を見なかったというのは、それだけマルクスが偉大だったという証拠でもあるだろう。安冨さんの指摘は弁証法一般の観点から納得出来る

2012-04-25 08:49:01
木下秀明 @khideaki

弁証法⑤弁証法というのは現実存在が背負っている対立物に注目して、それがなぜ存在しているかという整合性を考えるところに「現実の矛盾を分析する」という論理的意義がある。あくまでも出発点は現実存在であり、それが存在しているという事実にその整合性の根拠を見る。その矛盾は視点の違いを教える

2012-04-25 08:51:09
木下秀明 @khideaki

弁証法⑥現実存在を一方から見ると結論できることも、他方から見ると全く正反対の結論を得ることが出来る。それは結論だけを見ると矛盾しているが、違う視点から見た解釈であるから、その矛盾は両立する。それが弁証法性というものだ。安冨さんが論じている貨幣でいえば、それはものという側面で見れば

2012-04-25 08:53:37
木下秀明 @khideaki

弁証法⑦ものとしての価値を持っている。いわゆる使用価値というものだ。だが、貨幣としてその側面を見ると、その物としての側面は消えて、商品の交換価値を示す指標が見えてくる。つまり使用価値が否定される。だがそれは全然なくなったわけではない。このような矛盾がなぜ存在するかに注目するのが…

2012-04-25 08:56:20
木下秀明 @khideaki

弁証法⑧弁証法の発想だ。その矛盾はあくまでも現実に存在しているから、分析できるのである。これを概念の上の矛盾から出発してしまうと、弁証法詭弁になる。概念として対立しているものを二つ提出して、その矛盾を弁証法的に捉えると現実にも存在しているのだ、と転倒して考えるのである。

2012-04-25 08:59:30
木下秀明 @khideaki

弁証法⑨概念としての対立は形式論理的矛盾であるから、これは論理展開においては存在させてはならないのだ。もしそれを存在させれば、どのように間違った結論でも正当化されてしまう。というよりも、結論の正しさを論理では確定できなくなる。形式論理における矛盾は、論理の真理を無意味にしてしまう

2012-04-25 09:02:08
木下秀明 @khideaki

弁証法⑩概念というのは抽象化された対象であるから、抽象化の過程で現実に背負っていた対立を捨てている。だから、そこに対立を見て両立させようとすれば、その過程を無視して不当な論理展開となる。弁証法の一般論として、現実を基礎にしていればそれは正しいが概念から出発すると詭弁になると言える

2012-04-25 09:04:21
木下秀明 @khideaki

弁証法⑪放射能の安全性が議論されていたとき、この世に存在するものは危険でないものはないのだから、少しくらいの危険は許容量として受け入れなければならないというようなものがあった。これは僕は弁証法の誤った適用による論理ではないかと気になっていた。危険と安全の概念から出発している。

2012-04-25 09:06:58
木下秀明 @khideaki

弁証法⑫現実の放射能の存在を分析して、そこに安全性と危険性の両方を見出して分析するのは正しい弁証法だ。許容できる危険かどうかも具体的に決められる。しかし一般論として危険と安全を対立させてそれを弁証法的に統一させて、危険も許容されなければならないというのは詭弁になる。

2012-04-25 09:09:16
木下秀明 @khideaki

弁証法⑬現実に具体的な危険性の分析から許容されるかどうかを決めなければならないのに、一般論として許容されるものもあるということから、天下りに現実に問題にしている危険に対して許容されなければならないと展開する論理は詭弁である。それは、「許容する」という結論が最初からある論理展開だ。

2012-04-25 09:11:24
木下秀明 @khideaki

弁証法⑭始めに結論ありきという議論は、弁証法を悪用することによって正当化される。マルクスにもそれがあるというのを安冨さんは指摘している。マルクスが結論ありきとしていたのは「労働価値説」であり、そこから導かれる「搾取をしなければ価値を蓄積できない」という搾取説だ。僕はこれに納得した

2012-04-25 09:14:50
木下秀明 @khideaki

弁証法⑮資本家が搾取しているという前提(結論ありき)がないと、それに対立する労働運動の意義が語れない。この結論を捨てることは出来ない。だから結論ありきの論理展開になる。だが僕の尊敬する板倉聖宣さんは、資本という考え方の発明の偉大さを語っていた。資本家は搾取するかもしれないが資本は

2012-04-25 09:16:59
木下秀明 @khideaki

弁証法⑯資本は、それまで出来なかった大規模事業を可能にするという意味で偉大な発明だったと板倉さんは指摘していた。それまで行っていた大規模事業は奴隷労働を基礎にしていたが、資本の発明によって主体的に大規模事業が出来るようになったと板倉さんは評価していた。資本が現実に存在する意義だ。

2012-04-25 09:19:10
木下秀明 @khideaki

弁証法⑰現実の資本は搾取という矛盾も抱えているが、現実に存在しているのだからその整合性を捉えるのが本来の弁証法だ。しかし、資本家と労働者という概念上の対立を現実に持ち込んで、資本家の打倒を正当化しようとするのは弁証法の詭弁化になる。打倒すべき現実の資本家を具体的に分析すべきだ。

2012-04-25 09:22:08
木下秀明 @khideaki

弁証法⑱一般論として弁証法を展開しようとするときは気をつけなければならない。それは常に現実存在に立ち返って検証しなければ詭弁になる。マルクスでさえも間違えるほど難しいものなのだ。安冨さんの指摘は、もう一度具体的な中身をよく考えて、しっかりと考えてみたいものだ。とても興味深いだけに

2012-04-25 09:25:16