狂人演説(2012/04/25):他者性いろいろと公共性と世間の違いと太宰メソッド

太宰メソッドについて思ったことをつらつらと書いただけ。 これを書いた時は若干体調が優れなかったので、書きながら考えるような形になったと記憶している。
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犬神工房 @nokkaranoumu

あんまり「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」という意見には乗れない。聞き手には公共性という概念がないのかな、と思う。他者一般の意見を紹介したら「それが他者の意見である」と矮小化するような視点。あなたは他者一般の意見が分からんのか。百歩譲ってそれで他者を軽蔑するのか。

2012-04-25 12:11:44
犬神工房 @nokkaranoumu

他者一般という言い方が嫌いなら、「三人以上」でもいいぞ。世に出て三人以上から「お前はおかしい」と言われたら、ちょっと自分が何かおかしい可能性について考えた方がいい(二人までなら偶然かも知れない)。

2012-04-25 12:21:05
犬神工房 @nokkaranoumu

特に「集団の違う」三人だとより「他者一般」に近づく。「同じ集団」だと実はサンプルにならんかも知れん。集団の違う三人から同じことを指摘されたら、さすがに「こりゃ何かおかしいぞ」ってなると思うんです。

2012-04-25 12:24:00
犬神工房 @nokkaranoumu

他者性といってもいろいろレベルがあって、目の前にいる(人間関係や集団を考慮しないレベルでの)目の前の他者と、特に何にも個人的な関係を結んでいない他者と、何か個人的な関係を結んでいる他者と、同じ集団の成員と、集団外の他者に対する反応は違うと思うのよ。(何か頭が回ってないが)

2012-04-25 16:17:11
犬神工房 @nokkaranoumu

んで、公共性ということを突き詰めると、集団外の他者に対するものになると思う。この手の公共性というのは即外交につながる。世に外交というのはいくつかあって、外交そのものの他に、婚姻・貿易・戦争とあると思うんです。

2012-04-25 16:21:19
犬神工房 @nokkaranoumu

動物の群同士での婚姻や戦争はチンパンジー等でみられる。外交そのものと貿易は知らん。つまり動物も群れを超えた公共性に立ち向かわざるをえないのだが、問題は「群れの外の他者をどうするか」とか「異なる群れは滅ぼす」とかそういうレベルなので、(続く)

2012-04-25 16:23:19
犬神工房 @nokkaranoumu

「群れ同士で共存せざるを得ない場合」の公共性って多分ないと思うんです。これがヒトの直面せざるを得なくなった局面なのだと思う。具体的には定住以後、生産性に差異が生じて、首長が出てきて「ムラを統合したら強い」と言い出した時からだと思う。

2012-04-25 16:25:09
犬神工房 @nokkaranoumu

多分ここで神理念や宗教が絶大な効果を発揮したのだと思う。他者を際限なく延ばすと現われる公共性と、無限の原因に関わる神が、ここでつながって、真の意味での公共性が生じたのだと思う。そしてキリストなりブッダなりが世界宗教になった。

2012-04-25 16:27:45
犬神工房 @nokkaranoumu

太宰メソッドとかで出てくる「世間」ってのが何かというと、やはりある程度はその高度に人工的な「公共性」とやらだと思うんです。「複数の群れを含んだ開かれた他者一般」。でも、「公共」と「世間」が違うということはよく言われる。今日はちょっとこれについて考えてみようかしらね(ゆっくりね)。

2012-04-25 16:29:54
犬神工房 @nokkaranoumu

世間という言葉には集団的な規範が伴う。「贈与・互酬の関係、長幼の序、共通の時間意識、差別的で排他的、神秘性」(今「世間」でWikipediaで鴻上尚史「”世間”と”空気”」引いてるだけだけど)。これらの要素は、集団の中でアルファが地位と財を規範に基づいて配分する時に必要になる。

2012-04-25 16:37:24
犬神工房 @nokkaranoumu

一方、公共の規範は、外交官の規範や世界宗教の規範ということと広く関わってくる。外交においては相手への敬意はものすごーく重んじられるし、そのために(一見無駄な)儀礼が重要になってくる。

2012-04-25 16:41:27
犬神工房 @nokkaranoumu

世界宗教は地方ルールを無視した単純な規則(十戒・五行・五戒)、平等意識(神の下の平等・山川草木悉有仏性)を重んじる。というかそうでないと世界に伝わらん。ある種、公共性は分かりやすさであるともいえる。

2012-04-25 16:43:27
犬神工房 @nokkaranoumu

だから世間は、本来シンプルな公共であるべき社会に、集団の論理を持ち込んだ場合生じる錯誤の空間なのではないか。

2012-04-25 16:47:13
犬神工房 @nokkaranoumu

こういった世間は、ナショナリズムに基づいた国民国家でならば可能なのかも知れないが、国民国家に弊害が山のようにあることは言うまでもない。集団ではない公共の場というのがどんどん侵されるからね。だからこのままじゃダメだ。

2012-04-25 16:49:52
犬神工房 @nokkaranoumu

国民国家が単なる公共性を踏みにじったデカイ集団であるなら、それはやはり公共性を持った世界宗教や外交によって踏みにじられるだろう。いや、カルトやグローバリゼーションが本当に公共性を持っているかといわれると困るけど、それらは貿易の巨大化した場である市場でしばしば「勝っちゃう」のよね。

2012-04-25 16:51:22
犬神工房 @nokkaranoumu

カルトやグローバリゼーションが思想・表現市場(本屋とか)で勝っちゃうと、それらが集団的な国民国家or世間に締め出された公共を食って大きくなって、やがて集団vs公共の不毛な争いになってしまうだろう。それは人類の歴史の退歩ではないのか。世間をあまり丸ごと信用しちゃいかんのだ。

2012-04-25 16:54:41
犬神工房 @nokkaranoumu

やはり集団と公共の棲み分けって大事だと思います。世間は集団の論理を公共で実現しようとする錯誤の結果だから、それを信じちゃいけないのよきっと。みたいな結論になってしまった。何か小論文を書きながら考えてみるようなグダグダ感だが、そういうことです。◆本日の狂人演説は体調不良のため終了◆

2012-04-25 16:57:05
犬神工房 @nokkaranoumu

そういう意味では太宰メソッドの「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」というのは「集団でも公共でもない、あなたが、ゆるさないのでしょう?」ということになる。でも、それならなおのこと、集団も公共も認めない太宰メソッドってどうなの、と俺は思っちゃうな。◆今度こそ本当に終了◆

2012-04-25 17:02:30