ゲームデザイン談義

@lucifuges@yas_kawamura によるゲームの演出に関する話。 連絡:有 返信:有
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仙人 @lucifuges

@yas_kawamura ゲーム独自ではない、でしょうか?例えばCivilizationで味わえる興奮を、作劇の文法で説明できるとは思えない。僕が詳しくないだけかもしれませんが。

2010-06-15 00:23:39
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura えーと、ドラマ演出が必要だ、という話ではなくて、テトリスで、右端1ブロックを開けるように我慢して我慢して積み上げて、やっと来たテトリス棒をブチ込む時の快感は、時系列にそった感情の起伏、つまりドラマですよね?

2010-06-15 00:27:41
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges べつに、インタラクションという部分ではゲーム独自のものだが、物語作劇法ではそういうものは「自由展開法」という。作家が起承転結や序破急などの構成(本来人間が最も気持ちよく受け入れられるリズム)にこだわらず物語を乗りと勢いでつむぐ技法。

2010-06-15 00:27:50
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges また、演劇ではよく「独り芝居」などで自由演技を行う。テレビで「女優力」とか「スジナシ」とか見たことないかな。あれのように、簡単なシチュエーションだけ決めて、その場のノリでドラマを作るから、出来あがってみないと役者にも演出家にも経過も結末が分からない。

2010-06-15 00:29:52
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura 作劇法で作られた作品では、最後まで劇作家が展開に責任を持てますけど、ゲームはユーザーが動かしてくれないと何も起きないですよね。つまりゲーム作家は舞台を用意するところまでしかできない。どこまで自動的に作動する舞台にするかは作家がコントロールできますけど。

2010-06-15 00:31:34
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges だから、勘違いするな。よく読んで考えてみなされ。俺がシナリオなんて言っていないことが分からないか? ドラマ演出を「作為的にやれ」なんて言っているか? 作為的にやるというのは構成論で、簡単にいえば起承転結にはめるってことだ。その逆の話をしているし、

2010-06-15 00:34:49
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges そういう手法や作品の出来上がり方、作り方というのは何もゲームだけのものではない。

2010-06-15 00:35:36
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura 自由演技とゲームの共通点……これはちょっと勉強してみないとわからないですね。自由演技に関するノウハウの蓄積などがあるなら是非知りたいです。

2010-06-15 00:35:41
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges ゲームが特徴的なのは、「客も舞台に上がる」ということだ。そして客は芝居を見るのではなく参加することが出来る。それ以外は芝居や小説の技法内で説明できることだよ。

2010-06-15 00:37:46
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura なるほど、勉強不足を痛感しました…出直してきますw

2010-06-15 00:41:42
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges ゲームというのは、あらかじめ「プレイヤーの自由演技」を想定して作られた芝居の塊なんですよ。演出家や役者は、プレイヤーという役者の行動を予測して、誘導したり適応したりして物語を構築してゆく。プレイヤーはあたかも自分が劇を作ったかのように感じる。

2010-06-15 00:41:58
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges これがうまく仕込めているゲームは、正統の体験ゲームになるだろう。で、自由展開を強めてゆくということは、「誘導」や「構成」という考えを極力捨てた設計で芝居を組む。「適応」のウェイトを増やす。偶発的なことにあえて乗っかってゆく。芝居にもそういう芝居はある。

2010-06-15 00:44:38
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges ゲームでこれをどうやっていくかというと、一つの技法としてはこの前の「社会AI」などの技術が必要となるだろうな。演出家はメタAI。

2010-06-15 00:46:41
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura なるほど。プレイヤーが予測不可能なら、ゲームデザインも予測不可能にしてしまえと!(違

2010-06-15 00:51:44
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges 一方に収束させるゲームが物語でも映画でも正統だしよいと思うが、たとえば収束しないものだってある。よく引っ張るリンクだけど、これを主眼にしたゲームもいいだろう。http://artifact-jp.com/2008/05/10/ai_gamerealism/

2010-06-15 01:00:01
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges 落ちに向かわせるゲームデザインをしながら落ちに行ってくれないとしたらそれは何だろうが、落ちに向かうことが重要でないゲームなんていくらでもあるじゃん。「そういう設計」という思考が無いのはちと堅い気がするのう。

2010-06-15 01:01:56
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura ん?収束しないゲームを否定なんて全然してませんよ。むしろそういう方が好きですしw ただそれは「収束しないからこそ面白い」というのが大前提にあって、そのためのシステムやルールを設計して組み込んでいくわけですよね?

2010-06-15 01:05:09
仙人 @lucifuges

@yas_kawamura そこにゲームならではの技法や文脈が存在するんじゃないかなーと思ってたんですが、そこから先は川村さん諭された通りです。

2010-06-15 01:06:50
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges まあ、プレイヤーの自由展開を許容するおおらかな仕組みにゲーム世界を設計するということなんだけれどね。いやなんか、話の通りが悪いからさ……作劇の自由演技とか自由展開の話をしたら、ピンときてほしかったわー

2010-06-15 01:09:24
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@lucifuges もちろん同じ系統の技法を使っても結果(客の受け取るもの)はまったく違ってくるだろう。なぜなら舞台と映画と小説はゲームとはまた違う表現だ。ただ根っこは同じだから、その根っこに立ち戻ることは大切。人にものを伝えることにかけてはゲームの数百倍歴史があるんだから。

2010-06-15 01:13:57
ぴぎー @piggest0965

@yas_kawamura @lucifuges プログラムは機能を「作る」のではなく機能を「絞る」ものです。舞台にあがった役者のできることは僕たちによって「絞られて」います

2010-06-15 00:45:18
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@piggest0965 熱が高すぎて眠れんので起きてきましたが……。ふうむ、どうやらちゃんと我々が語っている内容や主旨をご理解いただけていないようで……。どなたかがまとめておられるようなので、最初からよくお読みになるとよいです。

2010-06-15 03:06:47
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@piggest0965 役者が出来ることが絞られているのは当然のことです。人間の役者にだって演技の限界はあるし、芝居で出来ることしかできない。しかし物語、ゲームで言えばプレイ体験というのは一つの結論(確定した結論)に収束させる見通しの良いものだけではない。

2010-06-15 03:12:58
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@piggest0965 こちらの設計を越えた、本来見えていない(想定されていない)不確定性の物語が生まれるようなゲームも今は生まれているわけです。GTAの例はまさにそれで、環境を用意して、こちらは「ゆらぎが大きくなる」ように手をくわえてやれば、プレイヤーだけの体験が生まれる。

2010-06-15 03:16:26
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@piggest0965 こちらが仕組めるのは「プレイヤーの取りようが如何様にでも生まれる世界の仕組み」までであり、そこで実際プレイの過程で生まれたドラマは我々作る側が全て計算ずくのものにはならない。そういうゲーム設計もあるよという話です。

2010-06-15 03:19:04