【シューニャリアーナ】テレビゲーム史と反省【まだ途中】
- L_O_Nihilum
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米も増えれば、レビューもそれだけ注目される。 意外とゲームのパチンコ化指摘・批判はまだまだ少ないので、これが注目され同じような意見増えれば メーカーも改めるようになるだろう。パチンコ・ネトゲ化すれば質の低下・先細りは確実なのだから。
2012-04-27 23:13:00「日本のゲームは糞だ」とカナダ人のあるゲーム作家が発言したけど、これは海外シェアを考えたゲームを日本が出してないから、っていうあの論調には僕は異論を憶える。いまだに、人に勧められるゲームっていうと日本のゲームが上がるし、寧ろ面白くないと感じているのは日本人も同じだと思う。
2012-04-30 18:43:00今の日本のゲームは「面白くしよう」として造られているという感じは、言ってしまうけど、しない。ゲームが「面白い」とは思われなくても、買ってもらえる、消費してもらえるという事を企業が知ってしまい、(続く)
2012-04-30 18:43:53買い手もそういうローな気分でゲームを企業が作っていることを、知ったうえで消費しているし(≒享受に至らぬまま享受している)、
2012-04-30 18:44:29そしてそれをコントロールしているのは、宣伝扇動しているマスコミや雑誌、所謂メディアといわれる提供者団体、という状況である。
2012-04-30 18:44:59ZUNは「ゲームはゲーム性だという言われが出てきてから、世界観と様々な部分的要素が乖離した」と言ってる。どういう事かと言うと、ゲームが一定の流行を持ったことで創造的な発展が削がれてしまったって事である。
2012-04-30 18:46:57「売れたい」という欲望、儲けたい、という欲望と、「もっと面白くしたい、楽しませたい」という欲望が、乖離しているがゆえに、企業各々に起る共通の事態だと思う。よくよく「今もうゲームのアイデアはネタ切れしてしまった、出切ってしまった」と批評家をして言わせてるのもこれ。
2012-04-30 18:49:01「PONG」というゲームが出てきて、ゲーム、つまり「試合」をPCデータ上に出力することから始まり、「ブレイクアウト」を経て、それを超えんとしてタイトーが出した「スペースインベーダー」。ここである”テレビゲームの本質”が完成していると思う。
2012-04-30 18:53:44それは「世界観」というもの。多根氏のゲーム史に於いては、「他者性」と言われるものが創り出すもの。「PONG」の次に彼が紹介した「ブレイクアウト」――――タイトーが第一に超えようとした、とあるコレと比較しながら考えてみれば。
2012-04-30 18:56:53PONG,ブレイクアウトの2作では他者性がゲーム内で薄かった。ゲーム中で変化を見せる「他者」がいなかった、と言えばいいか。
2012-04-30 19:02:26ブレイクアウトはPONGと同じアタリ社の作品。ここで、彼がブレイクアウトを「他者性への過程」というふうに語るが、実際コレ、他者性の「成立」への、文字通り”橋渡し”であって、他者性の成立に至ってはいないのがわかる。
2012-04-30 19:03:44それは、そのゲームに「世界観が存在しないこと」にある。もっと言うなら「ルールしかない」。ゲームにはそれがゲームと言われるべき「ルール」がありうるが、その「ルール」しかないのである。
2012-04-30 19:04:30多根氏曰く、ブレイクアウトには背景に「テニスボールを打つふりをして囚人が部屋を破壊しようとしているという物語」があると語っていたが、それはゲーム上で再現されておらず、また、「小さな球を反射してブロックを消滅させる」というルールはその物語を表現するに値していない。
2012-04-30 19:08:56また、アイコンが非常に単純な図形のみであったことも興味深い。これにより、さっき紹介したブレイクアウトの「背景」を表現できるべきと言える「必然性」のような物が無いわけである。あるのはただ、「ブロックという形状の変化による環境の変化」だけで、それが何を表現しているか、は存在しない。
2012-04-30 19:10:49「スペースインベーダー」はこの点が大きく違った。こちらは、インベーダー、砲台、トーチカ、攻撃弾というかたちで、「ルール」にその「意味」が加えられ、そこからひとつの世界観…すなわち、表現されるべき物語…というか、場所。そして操作対象たる「キャラクター」が成立している。
2012-04-30 19:12:26「PONG」「ブレイクアウト」では<自分のみ>であった。そこに表現されるべき「ほかのもの」がなかった。ところがスペースインベーダーは「宇宙人」という<他>を与え、よって対置される自分も「砲台」という<他>となった。
2012-04-30 19:14:30自分は、この砲台を操作することが出来るようになった、わけである。そして、”この砲台をして、インベーダーと戦うのである”。…つまり、このゲームを遊ぶこと、と言うのがすでに”インベーダーと戦う地球Vs宇宙の戦い”という表現に、つまり世界観になっているのである。
2012-04-30 19:15:52ただ、「ブロック」をデザインし、脚色し「宇宙人」にしただけ。なのに、なぜそういうことが起ったか?そこにはタイトルの魔力があろう。というか、実際、タイトルが無くてもそうした魔力がゲームは持てるが、「インベーダー」の場合、(Cont.
2012-04-30 19:18:42スペースインベーダーは、タイトルからゲーム画面、サウンドに至るまでのあらゆるものでその3つ(キャラ、場所、現象)を成立させ、ゲームに何かを表現する、世界観を描き作品を完成させる、という事をしている。
2012-04-30 19:23:16さてこれと同じことなんだが、実際の処非電子のゲームでも言えることだ。トランプの「婆抜き」を考えてみよう、やってることはカードの取り合いであるが、婆抜きという名前が付き、ジョーカーがジョーカーでなく「婆」になることで、婆抜きという世界観が出来ている。
2012-04-30 19:24:26それは、「名前が付いたから」という単純な理由ではなく、寧ろ、名前が付いたことで、「ババ」というキャラクター、現象。そして婆抜き用のフィールド、と言う形で一つの場所が出来て「婆抜き世界観」が出来たというところにこそ名前の意味がある。
2012-04-30 19:26:35ただジョーカーなすりつけのゲーム、という形では、ゲームはただの「ルールを持った試合」でしかない。しかし、名前を持ち、その言語ゲームで扱われることにより、ある種(例えば)「婆抜き国家」みたいな感じで、ゲームに世界を(無意識ながらにも?)与えていたのである。
2012-04-30 19:28:53無理なゲームレベルの高さを要求するのは無理があるけど、だからと言って一つの作品としてのカードリッジ(額縁)としてのゲームを完成させなくなる風潮が出来てしまったのは明らかにこうした通念が生み出したウィークポイントだと思.. http://t.co/NRCcDU7x
2012-05-01 12:37:37えっと、昨日の続きです。スペースインベーダーは、ブロック、つまりオブジェクト(対象)をキャラクター化、<他者>化して、それにより一つの「作品世界中の関係」を作りだし、世界観を構成する、という基礎図式の完成、ってこと。
2012-05-01 12:41:52