渡邊芳之先生ynabe39の「「役に立たない」というのは「客観的評価」ではなくて「感情表現」である。」

「学問の自由」というのは別に「そうあるべき」という理念から始まったわけでなく「学者には最低限の金を与えて放っておいたほうが成果が上がって社会のためになる」という経験から生まれてきたものだと思う。理念ではなく帰結。by 渡邊芳之 前編:渡邊芳之先生@ynabe39の「「知的財産権」の名のもとに「研究プロセスや研究結果の共有」という19世紀以来の科学の進歩を支えてきたシステムが壊れつつある。」http://togetter.com/li/295623
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沼崎一郎 @Ichy_Numa

たとえば、アメリカ合衆国憲法には、「学問の自由」の明文規定はない。そのため、表現の自由から間接的に導出しなければならないという苦労がある。

2012-04-30 17:12:45
渡邊芳之 @ynabe39

そうは思いません。 RT @chikahiro: 学の独立は王権から独立し、市民社会に研究成果を還元すべきというのが趣旨ではないでしょうか?権力主体が変わったいま、その内容も変わっているのでは?

2012-04-30 17:34:34
渡邊芳之 @ynabe39

研究して成果を挙げる義務です。 RT @chikahiro: 権利には当然義務が伴う。学会は特別な学問の自由という権利と引き換えに、いかなる義務を果たたでしょうか?

2012-04-30 17:35:36
渡邊芳之 @ynabe39

現に火事を消している消防士に「あなたは給与と引き換えにいかなる義務を果たしたか」と聞く人はいないでしょう。与えられた仕事をすることが義務であり仕事をしていれば義務は果たされています。 @chikahiro

2012-04-30 17:38:30
沼崎一郎 @Ichy_Numa

これも何度も呟いているが、「○○の自由」は免責特権ではないから、「学問の自由」も“結果責任“は問われる。しかし、結果責任を問うことと、「○○の自由」そのものを否定することとは違う。そこを混同した議論は困る。

2012-04-30 17:39:17
渡邊芳之 @ynabe39

何度も書いているように「学問は権力から独立であるほうが社会に還元できる成果を挙げやすいことが世界のほとんどの国で歴史的に同意されている」ということです。 RT @chikahiro: では、学の独立の趣旨を教えてください。

2012-04-30 17:39:51
渡邊芳之 @ynabe39

まさにまさに。問うべきは「研究してるのか」「成果を挙げてるのか」だけだしいま学問が社会から不信を持たれているのもそこ。

2012-04-30 17:41:16
渡邊芳之 @ynabe39

自然や社会や人間についての知識の増分です。 RT @IchiroMori: 仰る「成果」とは何ですか? RT @ynabe39: 研究して成果を挙げる義務です。

2012-04-30 17:41:50
沼崎一郎 @Ichy_Numa

研究の場合、失敗も立派な成果ですから。 RT @ynabe39: 研究して成果を挙げる義務です。 RT @chikahiro: 権利には当然義務が伴う。学会は特別な学問の自由という権利と引き換えに、いかなる義務を果たたでしょうか?

2012-04-30 17:42:09
渡邊芳之 @ynabe39

学問の自由自体がもともと「学問の社会的役割」を遂行するために与えられているのであって,それに対応する「特別な義務」などありません。RT @chikahiro: 単に仕事をするだけでは学問の自由に応じた特別な義務を果たせない。一定の成果と、社会への還元という視点が必要です

2012-04-30 17:49:51
渡邊芳之 @ynabe39

具体的にどのようなことが「学問と社会の乖離」でしょうか? RT @chikahiro: …学問と社会との乖離が目につきます

2012-04-30 18:40:02
渡邊芳之 @ynabe39

素晴らしい絵を描くが「他人が見ているとまったく描けない」絵書きがいて,金持ちが彼に金と「誰にも見られない部屋」を提供して絵を描かせた。でき上がった絵は素晴らしいものだった。このとき金持ちは「誰にも見られない部屋を与えたのだから絵を描く以外にそれにも見返りをよこせ」と言うか。

2012-04-30 18:43:02
渡邊芳之 @ynabe39

問題は「できあがった絵が素晴らしいかどうか」だけだ。学問の自由の問題も結局「学問の成果を素晴らしいと思えるかどうか」だけの問題だと思う。

2012-04-30 18:43:46
渡邊芳之 @ynabe39

まさにそういうことですね。 RT @sakura_osamu: 社会にこの増分が見えない、あるいは増分の内容に納得できないという状態なのだと思います。だから増分とその「意味」を真剣に社会にデモしないといけないんじゃないでしょうか。

2012-04-30 18:44:03
渡邊芳之 @ynabe39

一般の国民はパトロンであって画商ではないだろうと思います。政府や行政は画商ですね。画商が絵描きをダメにする例は多いw。 RT @sukeza: 言わないのがパトロンで、言うのが画商。

2012-04-30 18:48:39
沼崎一郎 @Ichy_Numa

大学の外の「学問の自由」の保証をもっと考えなければならない。それが十分でないことが、(一部の)学者不信、研究不信につながっていると思う。そのためには、従来の狭い「学問の自由」観を変えないといけないだろう。

2012-04-30 19:13:41
渡邊芳之 @ynabe39

その職業の社会的役割を果たすために必要に応じて「社会から乖離した状態におかれる職業」というのはそれほど珍しくないと思います。たとえば僧侶や聖職者など。 RT @chikahiro: 社会から乖離した学問にいかなる意味があるのでしょう?個人的な自由研究として趣味でされるべきです

2012-04-30 19:35:01
渡邊芳之 @ynabe39

センター試験の出題者も作問会議中には外とは電話連絡もできなくなる。これも社会的役割を果たすために社会から切り離される一例。

2012-04-30 19:38:17
渡邊芳之 @ynabe39

研究は「自然や社会や人間についての知識の増分」という社会的ニーズに応えているわけです。そのために「学問の自由」をいただいています。 RT @chikahiro: 宗教もご利益、精神的安寧という社会的ニーズに応えています

2012-04-30 19:48:54
渡邊芳之 @ynabe39

これは前にも議論になったけれど,学問には「全体として知識や技術を増分させる」ことによって社会に貢献することが求められるけれど,そのことと「個々の研究者が社会貢献を意識すること」は別のことだと思う。

2012-04-30 19:52:17
渡邊芳之 @ynabe39

研究者個人は純粋に個人的興味だけで研究していたり,あるいは功名心や復讐心だけが動機で研究していても,その成果が各分野の研究共同体によって共有され評価されることで全体としては社会に貢献するというのが古くからのあり方だ。

2012-04-30 19:54:35
渡邊芳之 @ynabe39

ワトソンとクリックがDNA構造を明らかにした時の経緯や彼らの行動についての資料を読むと,彼らが「研究による社会貢献」など考えていたようにはとてもみえない。しかし彼らの発見の社会的貢献は巨大である。

2012-04-30 19:56:08
渡邊芳之 @ynabe39

要は「学問で何がわかってそれがどんな意味があるか素人にもわかりやすく説明してその価値を理解させてほしい」ということですね。 RT @chikahiro: 単に知識の増分だけでは社会的期待に応えられない。増分知識が如何に社会的意味を持つかを示すべきです…

2012-04-30 19:58:08
渡邊芳之 @ynabe39

一般的に(あくまでも一般的に)「研究の成果をわかりやすく素人に説明する仕事」は「研究の最前線に立っているわけではない学者」の仕事です。現に私がそういう仕事をたくさんしていることでもわかりますw。

2012-04-30 19:59:47
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味じゃ私なんかむしろ「社会への義務をさかんにこなしている学者」なのではないか。そうだとすればそういうことがときにどれほどくだらなくバカバカしいことであるかも私を見ればわかるであろう。

2012-04-30 20:28:10