【三国志】諸葛亮の南征
華陽国志には、五月に諸葛亮が瀘水を渡り、孟獲を捕え、七度捕え七度放したことが記されるのみである。瀘水を渡り益州郡に入った後の行動は分からぬ。手がかりは讀史方輿紀要であろう
2012-05-05 01:48:25龔禄のいた安上県ってどこだろう。唐代の曲州朱提がもとの安上らしく、曲州は現在の魯甸県。とりあえず、朱提郡にいながら越嶲郡を治めたということか。
2012-05-05 02:05:56あれ、でも『華陽国志』で安上は越嶲にはいってるじゃん。越嶲を朱提に限りなく近づけた時の極限値が安上ってことか。うん数学も安上の位置もわからん
2012-05-05 02:19:20@my_birthday0128 他の記述から、諸葛亮が水路を通って越嶲に入ったことは分かります。その水路は金沙江、すなわち幾つもの水を合して僰道にて長江に注ぐ川のことでしょう。また、諸葛亮は安上から卑水に出たことが示されております。安上は金沙江沿いでしょうね
2012-05-05 02:21:20@Jominian ありがとうございます。金沙江は越嶲と朱提、犍為の国境となってる川なんですね。安上はその三郡の国境付近にありそうですね。
2012-05-05 02:28:08越嶲に行くために、建興の初めに諸葛亮が使ったルートと、後に張嶷が回復したルート。諸葛亮が使った道の方が長く、険しいらしい http://t.co/ZUU7WGSo
2012-05-05 14:15:35さっきの地図の卑水ってところの少し北東、金沙江沿いから眺めてみましょう。いやあ、険しいですね。越嶲は遠いです http://t.co/z9c4fIHV
2012-05-05 14:26:48続いて旄牛ルート。一見険しく見えるが、谷間を縫うように行けば越嶲郡治まであまり高低差なく行ける。なぜ張嶷がこの道の回復を行ったかが、地形を見るとよく分かるね http://t.co/6Qq5WpEX
2012-05-05 14:35:43@yunishio そうですね。険しい道を進んで一個一個分散する陣地を落とすより、誘い出した方が格段に良いです。また、卑水を落とせば郡治まで地形以外に大きな障害が無いので、敵としてもこちらに戦力を集中しようとするでしょう。
2012-05-05 14:47:26@Jominian 『太平寰宇記』巻七十九 戎州宜賓縣の条に「宜賓縣、本漢南安縣地屬犍為郡。蜀諸葛亮南征於此置【存β】鄢戍。後改【存β】鄢縣。唐開元十七年為義賓縣、後移狼川即今理也。皇朝開寳九年改為宜賓縣。」とあります。唐代の地図などあれば位置の推測は可能かも知れません
2012-05-08 00:50:10@Jominian いろいろ調べたところ、郁鄢戍というらしく、黄元が捕らえられたところだそうです。場所はよくわかりませんでしたがw
2012-05-08 01:04:42昨日ちょっと話題になった、南征時に諸葛亮が築いた城。中継点としてはあっても構わないと思うが、城を築く必然性がいまいち感じられない。よく分からないな http://t.co/JtcKdRTv
2012-05-09 01:10:55物資を集積するのなら、僰道の方が水路が他方に通じて便利である。蜀郡の旄牛から越嶲に出る旧道に繋がるわけでもない。完全に僰道、ひいては安上から益州へ出るための交通線上の中継点に過ぎない。すくなくとも南征に関してはあまり恩恵が無い
2012-05-09 01:15:59@my_birthday0128 なので、ますます意味が分からないんですよ。仮に周囲の土地が肥沃で、県として建てられそうだとしたら、南征の途上の簡易な築城ではなく、もっと県城として整備すると思うんですよね。まあ、南征の途上でたまたま確認して、とりあえず築いたのかもしれませんが
2012-05-09 01:17:47まだ途中だが、讀史方輿紀要をもとにした諸葛亮遺構と、それに応じた南征時の諸葛亮進軍ルート。武侯さん城築きすぎ http://t.co/ny3j5YB4
2012-05-09 02:22:51旄牛周辺にも諸葛亮の築いた城があり、戦闘があったと伝えられている。したがって、諸葛亮は卑水に向って敵の集結を誘ったが、それは上手くいかなかった可能性がある。
2012-05-09 02:24:38実は、記載していないが、江陽の方にも諸葛亮南征時の遺構がある。それらは江陽から僰道のほうに向っている。安上で合流したのかもしれないし、道が険しいので、時間差で二つの軍が進んでいたのかもしれない。或いは、江陽を経由したのは馬忠かもしれない
2012-05-09 02:27:26また、地図には書いてないが、諸葛亮は帰還の際に旄牛方面から帰っている。そして、その少し北の川で青羌を撃破している。そこが平羌江と呼ばれている。諸葛亮が自軍に編入した青羌は、蜀郡属国辺りに居住してた人々かもしれない
2012-05-09 02:37:22