天保の金環食

江戸時代の科学史がご専門の佐藤賢一先生による、天保10年の金環食についての連ツイをまとめました。
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保10年8月1日の金環食観測記録】(1)以前も紹介しましたが、前回の金環食を江戸の天文学者が観測した記録です。(西暦1839年9月8日、Oppolzer No. 7262)小石川で日の出から観測した記録です。  http://t.co/VuuHpiCS

2012-05-20 20:19:01
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(2)この観測を指揮したのは、幕府の天文方、山路弥左衛門・金之丞親子。別働隊が築地でも観測をしている。このスケッチはよく記録されていると思います。資料出典:日本学士院所蔵『天保十年己亥八月朔日出帯食 交食細細測記』 http://t.co/2YQK46EK

2012-05-20 20:25:11
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(3)この記録の冒頭には次のように当日の様子が記されている。「天保十年己亥八月朔日甲子晴天日出帯食を測験す。乃卯三刻前、正東稍北、樹林中に日出。是時蒙気厚く(寒暖儀六十六度晴雨儀二十九寸五分二厘)樹枝繁く且日体の四周鋸歯の如くにして食象を認め得ること能はず」→

2012-05-20 20:32:51
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(4)「須臾にして樹枝の疎なる処に出つ。此時第一測を施す。殆ど金環食なるべきを見得たり。又須臾にして地高一度許正に金環食を精測す。蓋是食甚なるべし。此を第二測とす。其時肉眼にて月体を見れば、其中心に薄墨色を生じ、四周に金環の如し。金環と薄墨色との間に銅色を為す」→

2012-05-20 20:37:53
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(5)築地で観測したチームの様子を見ると、金環食のクライマックスを観測するぞ!というその瞬間、運の悪いことに、目の前を船が通りかかって、その帆影で観測を逃した、ということが記されている。観測にはいつもこのようなアクシデントがつきまとうのだなあ。。。 (>_<)

2012-05-20 20:44:50
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(6)この日食は日の出時点から既に食が始まっており、幕府の天文学者たちは予測と観測に相当難儀していた。大体そのことが分かっていたのなら、樹木の密集する場所で観測などしないと思うのだが、不思議にも築地・小石川で彼らは、樹木のせいで最初は見えなかったとぼやいているw

2012-05-20 20:53:49
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(7)先に引用した資料の用語解説。「寒暖儀」=温度計、「晴雨儀」=気圧計。他の観測道具としては当時、「望遠鏡」「垂揺球儀」=時計、「象限儀」=星の高度を測る分度器、「子午線儀」=星の南中を確認する道具、が用いられていました。現物が残っていれば国宝級なのですが。。。

2012-05-20 21:02:33
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【天保の金環食】(8)人物紹介:観測の総責任者、渋川景佑(1787-1856)→渋川春海で有名な渋川家を嗣いだ天文学者。兄はシーボルト事件で獄死した高橋景保。/小石川の観測担当は山路親子だったが、この山路家から、後に明治のジャーナリスト、山路愛山が出る。(但し養子。) 了

2012-05-20 21:22:43

リンク www3.nhk.or.jp 江戸時代の金環日食観測は NHKニュース 21日の朝、各地で観測される「金環日食」。東京で、前回観測されたのは江戸時代、実に173年前の1839年です。現代のような計算機もコンピュー&
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

@hashimoto_tokyo 当時の記録を見ると、様々な器具を幕府は購入して天文台に設置してますね。残念ながら、明治になる時にほとんど全部、行方知れずになってしまったんです。それを探し出すのも、今は一つの目標ではありますが (^-^)

2012-05-19 21:26:05

--おまけ。金環日食当日、佐藤先生は墨汁水面+日食グラスで観測

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

洗面器の水に墨汁入れて、水鏡観測でもしてみるか。これも江戸時代の人がやっていた観測法。

2012-05-21 06:32:09
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

とりあえず、日蝕観察グラスで見てます。まだ光が強いので墨汁水面はダメですよ。

2012-05-21 07:01:42
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

墨汁水面に反射させて日蝕グラスで見ると、意外にくっきり見えるな。風で水面が微妙に揺れるのが難点。

2012-05-21 07:08:28
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

こんな金環蝕を望遠鏡と遮光グラスだけで観測・記録した江戸時代の天文学者たちはすごいは〜!

2012-05-21 07:16:57
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

墨汁水面でも観測できるくらいの曇りになりました、さいたま。

2012-05-21 07:29:22
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

墨汁水面の様子は、やはり光量がつよいですね。直視は避けるべき。くもりだとちょうど良いくらい。江戸時代では、やはり遮光ガラスを使っていたのではないかなあ。

2012-05-21 07:41:59

--古代の日食

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

古代日本(平安時代)も、中国の真似して日蝕の予報をしていた。でも外れると朝廷の面子に関わるから、片っ端から候補日を挙げてごまかしてた。その極めつけが「夜食」。夜中の日蝕ってありえないけど、地球の裏側で起きるかもしれない日蝕も拾ってたわけ。その晩は皆でどんちゃん騒ぎ。いい時代だ。

2012-05-21 08:27:29
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

古代(中国あたりでは)、日蝕は不吉の象徴だったと言われているが、予測できる日蝕は別に何でもないわけで、逆に、予測できない時に日蝕が起きてしまったら大変なことになる。そもそも昔の中国の暦は新月を一日(ついたち)にしていたから、日蝕が一日に起きるのは古代人にとっては当然のこと。→

2012-05-21 09:03:28
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→北宋王朝の皇帝・徽宗などは、「日蝕なんて規則的に起きるものだからさあ、一々俺のところまで報告上げなくてもいいよ〜」的な勅令を出している。そのくらいには日蝕が普通に思われていたわけですね。日本だと平安時代の終わりぐらいかな。

2012-05-21 09:08:40
Tsuji_Gaei @marici_jp

@ke_1sato 天文に関する密教経典に「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経(宿曜経)」2巻がございます。弘法大師のご請来です。胎蔵曼荼羅最外院に、星宿が神格化されて描かれています。もちろん日食も図像化されています。真言八祖の一人、不空三蔵は天文学者です。

2012-05-21 09:46:49
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

ありがとうございます!宿曜経はインドの占星術が平安時代に伝わっていたことを示すもので本当にびっくりですね。紫式部の時代に、蠍座がどうとか乙女座がどうとか話題にしていたかと思うと、興味深いです。 @marici_jp

2012-05-21 11:02:04
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

「金環食を観察していて講義に遅刻しました!」と言い訳する教員があまりにも情けないことになると予想できるので、そろそろ東工大に向かいます。

2012-05-21 12:04:31