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@tamurais あとあれですね、お二人は、違う根拠(Mの他の文献、ラッセルの読み)であれ、「因果→法則性」をMが否定するという考えですよね。これだと、自然の領域、自然科学の対象ではない因果性が存在するという含意がありますが、いいんですかね。@autochromatics
2012-05-23 06:52:45@kasa12345 マクダウェル解釈としては、いいと思います。"Gadamer and Davidson on Understanding and Relativism"ではMは因果性概念の「科学主義的ハイジャック」に反対しているので。(続く)@autochromatics
2012-05-23 09:00:35@kasa12345 ただし、「自然」の領域にはない因果性を認めているとは言わないと思います。自然は自然科学の専有物ではないというのがMの「第二の自然の自然主義」(「自然化されたプラトニズム」)の主張なので。もちろん、どこか自然主義だよという批判はずっとあるわけですが。
2012-05-23 09:07:38@tamurais なるほど、それで整合的にはなるわけですね。しかし、するとここのラッセルの話はほとんど無関係で、なんでもちだすのかなあ、と思いますね。強引どころの話ではない。
2012-05-23 09:20:05@kasa12345 確かに。それどころか、ラッセルの話は下手をするとMに不利になると思います。Mの他の文献では目にした記憶がないのですが、昨夜、それに関連しそうな記述をMの文献(またしてもその注)に見つけました。ツイートがさらに錯綜しそうなので、触れるのはまた今度にします。
2012-05-23 09:30:41@tamurais ラッセルの読みについてですが、「(実際にはさらに強い主張をしていますが)」で意図していたことはmriさんのご指摘下さった通りです。マクダウェルであってもさすがにラッセルの因果性排除の主張をそのまま認めてはいないだろうと忖度して書きました。
2012-05-23 15:09:13@kasa12345 補足説明ありがとうございました。私とkskさんの間で論理空間の捉え方にそれほど差はないように思います。しかし、論理空間が無数に増殖してしまうというご指摘のポイントはまだ理解できていません…。
2012-05-23 15:10:27@kasa12345 私は、論理空間の数は、(kskさんのお言葉を借りれば)「項の必然化」に関わりうる関係性の種類によって限定されると考えています。その上で、(必然化に関わりうる)ある二つの関係における外延の違いは、(続)
2012-05-23 15:10:55@kasa12345 両者が完全に重なり合う同一の関係ではないと言えるための十分条件であり、この点で外延の違いは論理空間の区別に効いていると考えています。とはいえ、ご指摘のように、論理空間はセラーズもマクダウェルも未定義の概念ですからね…。
2012-05-23 15:14:42@kasa12345 @tamurais 因果性の法則論的性格に対してマクダウェルが批判的な立場をとっているという点はその通りだと思います。そして、その批判を貫徹するのは困難だ(というか反自然主義者に限りなく近づく)というのも同意します。
2012-05-23 15:16:21@kasa12345 @tamurais それはともかく、マクダウェルが因果性の法則論的性格を批判しなければならない動機は注2&6での主張から出てくるように思えます。
2012-05-23 15:17:00@kasa12345 @tamurais マクダウェルは、理由関係は因果関係でもありうるという点から、因果関係は理由関係と「正しい対比」に立つものではないと述べています。ここから、「正しい対比にある二つの論理空間は相互排他的でなければならない」と考えていると推察できます。
2012-05-23 15:17:48@kasa12345 @tamurais しかし、因果の空間が法則の空間の部分集合だとすれば、因果関係である理由関係は同時に法則関係でもあることになり、理由の空間と法則の空間は部分的にせよ重なってしまうことになります。
2012-05-23 15:18:11@kasa12345 @tamurais この相互排他性の問題を解決するためには、因果の法則論的性格を否定し、理由関係でもある因果関係は法則的ではないとする必要があると考えられます。まあ、こういう動機から因果の法則論的性格を否定するというのも無茶な話ですが。
2012-05-23 15:18:47@autochromatics 僕と@autochromaticsの考えていることは、変わらないと思いますよ。その議論は、最初から論理空間に属するものは何らかの「意味」で必然化と呼ばれる性質を満たさなければいけないという外延的でない(概念的)必要条件を最初に課し、
2012-05-23 16:06:13@autochromatics その上で、それらを満たす個物の集合が異なるとき、論理空間は異なると言えるとしているので、外延に関する考察のみで、論理空間の違いを定義できないという、僕の最初からの主張と同じです。
2012-05-23 16:08:43@autochromatics うーむ、つまり「因果→法則的」という条件の否定として、「ある因果関係は非法則的だ」ではなく、「いかなる因果関係も法則的でない」を持ってくるのですね…しかし、それはおっしゃるように、@tamurais
2012-05-23 16:48:22@kasa12345 なるほど、論理空間に関するご指摘のポイントは分かりました。概念的な条件を考慮しないで外延的な条件だけで論理空間を個別化すると無限増殖を引き起こすということですね。この点では私も異論はないです。
2012-05-23 16:49:50@autochromatics ただ単に自分の「対比」の意味を正しくするというだけの動機で、かつ実質的な議論なしなので、あれですね。そもそも、批判されているローティ自身、Mの意味で原因と理由を対比させてるわけじゃないですし、@tamurais
2012-05-23 16:50:24@autochromatics ここの批判、動機共に単に勝手な主観的な意見にすぎないとして、拒否するほうがよっぽどましだと思いますね。しかも、先に言ったように、ラッセルの話ともうまく整合するのか激しく疑問ですし。@tamurais
2012-05-23 16:52:24@autochromatics ただここの注に関しては勉強になりました。ありがとうございます。いや、ローティの対比に、こんな含意はなく、Dの理由は原因でもありうるという見解に同意してもいるのに、何を言ってるんだろうかと思っていたんですよ。@tamurais
2012-05-23 17:01:00@autochromatics しかし、僕が探していた概念的前提とは、「対比されるものは相互排他的でなければならない」という、(さしあたりここでは)根拠なき意見だったという、すさまじいオチがつきました。@tamurais
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