- contractio
- 3093
- 0
- 2
- 0
@kasa12345 @tamurais 「理由関係でもある因果関係は法則的ではない」というのは「同時に理由関係でもあるような一部の因果関係に関しては法則的ではない」という意味なので、私が意図していたのは「ある因果関係は非法則的だ」という方です。
2012-05-23 17:19:46@kasa12345 @tamurais 「いかなる因果関係も法則関係ではない」に比べると、「一部の因果関係は非法則的だ」というのはまだ救いようがあるかもしれません。たとえば、同時に因果関係である理由関係に対して、もし「心的なものの非法則性」が適用できるとすれば、(続)
2012-05-23 17:28:27@kasa12345 @tamurais その場合の理由関係=因果関係は法則関係ではないということになります(よね?的外れなことを言っているかもしれません)。それでも、他の動機づけが存在しないとすれば「拒否するほうがよっぽどまし」というのはあまり変わらないと思いますが。
2012-05-23 17:33:11@kasa12345 @tamurais 私もお二方にいろいろ教えていただいたので勉強になりました。ありがとうございました。
2012-05-23 17:35:54@autochromatics うーんと、僕はご意見は、Mの論理空間の個別化規準は、任意の空間xとyが対比されるのは、それらの外延が互いに素であるときに限る、というものだと思っていたのですが、違いました?「ある因果は法則的である」を認めるならば、@tamurais
2012-05-23 17:49:02@autochromatics この規準から結論できるのは、「理由の空間と対比されるのは「因果的かつ法則論的な空間」である」ですね。同時に、「理由の空間と(単なる)法則の空間は対比されない」も含意します。これだとMの他の主張と整合しなくなるんじゃないですかね。@tamurais
2012-05-23 17:53:34@kasa12345 @tamurais 対比基準の理解は私も同じです。ベン図を示せれば楽なのですが、私の考えているマクダウェルの描像は、論理空間全体が理由の空間と法則の空間で二分されていて、両者にまたがって真ん中に(「日の丸」の丸のように)因果の空間があるというものです。
2012-05-23 18:13:10@autochromatics そもそもローティの対比は…「含意する」と言っているので、一般的な規準を想定しているはずだと思うんですよ。そうでなければ、理由の空間に特有の対比条件を勝手に持ち出していることになって、「含意」と書かないと思うんですよね。@tamurais
2012-05-23 18:14:57@autochromatics ある因果は法則的でない」も認めるからですね。すると、理由の空間は、(a)法則的かつ因果的な空間と(b)法則的かつ非因果的な空間両者それぞれと対比されるが、(c)非法則的かつ因果的な空間、(d)非法則的かつ非因果的な空間とは対比されない。
2012-05-23 18:43:50@autochromatics このとき、ベン図の因果を表す範囲は、理由、法則両者の表す範囲に囲い込まれていると考えますか?もしそうだとすると、「理由のみが(c)非法則的かつ因果的なものである」ということになり、
2012-05-23 18:59:19@autochromatics そうでないとすると、「理由ではないが、(d)非法則的かつ因果的なもの」の存在を認めることになります。
2012-05-23 19:00:40@autochromatics Mは前者をとるのですかね。最初の「いかなる因果も法則的でない」を含めて、これが可能な選択肢の全てですかね。実質的な議論がまるでないので、これ以上は進めないですね。一番シンプルな選択肢は、やはり「独自の対比規準を放棄する」のような気がしますね(笑)
2012-05-23 19:10:41@kasa12345 マクダウェルが因果性の法則論的性格をどのような論拠で否定しているかによりますが、もし心的なものの非法則性だけに基づいて否定するのだとすれば、前者ということになります。
2012-05-23 19:15:01@autochromatics 「心的なものの非法則性」を持ち出すポイントが分かっておりません。Dもそれを認めるわけで、それを持ち出すことは、信念トークンが理由として(物理的出来事タイプに属するからでなく)、原因となるというようなMの法則的でない因果の可能性とは無関係では。
2012-05-23 19:25:08@autochromatics 空中戦だけをやる哲学というのはほんとにつらいです(まあ、Mにはそうでないときもありますが)…Mが分析系でほとんど読まれないのはこれが理由ですよ。逆に言うと、何故日本やヨーロッパで皆これだけ読もうとするのか、僕はほんとに分からんです。
2012-05-23 19:31:43@kasa12345 「理由関係が心的なものであり、非法則的なのだとすれば、因果関係の一部が理由関係となりうる限り、その一部の因果関係も非法則的だ」という推論とのつながりです(こういう推論をマクダウェルが使っていると仮定した話として出しています。実際のところはmriさん待ちで)。
2012-05-23 19:57:30@kasa12345 私もその一人なので申し訳ないところです…。私の場合は昔受けた門脇俊介先生からの影響が強いです。
2012-05-23 19:59:02@autochromatics うーん、その推論は一見したところ「非法則的」という語を多義的に使っているだけに見えるので…まあ、mriさんを待ちますか。
2012-05-23 20:06:13@kasa12345 その可能性は大いにあります。注2の推論を救うにはこういう路線があるかもしれないという話として出しただけです。真相はmriさんに丸投げします(笑)
2012-05-23 20:11:12@autochromatics ごめんなさい。いま出先なので。僕の場合の影響のきっかけだけ。いくつかありますが、分哲のスタンダードにしっかり触れる前に石黒ひで先生の演習でココセカを読んだのが大きかったと思います。
2012-05-23 20:20:18