暗黙知の概念について

暗黙知の概念は非常に難しいので、後で考えるためにまとめてみた。
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木下秀明 @khideaki

暗黙知26:安冨歩さんは、細部にこだわると全体性が見えなくなると言うことを暗黙知の解説の中で語っていた。手に触れているものの感触の細部に意識を集中するとそれが全体として何であるかが分からなくなるという指摘だった。構造主義も個々の構造を見ることに集中すると全体の主義が分からなくなる

2012-05-30 09:59:50
木下秀明 @khideaki

暗黙知27:構造主義という考え方は、構造そのものが見えてきたらその構造に支配されることはなくなる。構造が見えていないからこそ、自分では気づかないうちに構造に支配されて思考のパターンが狭くなってしまう。構造を見ていないからこそ、構造主義という方法に気がつくと言うことがある。

2012-05-30 10:01:33
木下秀明 @khideaki

暗黙知28:合理的な思考をして正しい結論を出したと思っていても、その枠組みは暗黙の前提に支配されており、それが構造として存在している。そのような視点が構造主義だと気づいたときに、構造主義というものが分かったという感覚を持った。構造主義の理解に構造の細部を知る必要はなかった。

2012-05-30 10:04:12
木下秀明 @khideaki

暗黙知29:構造主義的な視点というのは、弁証法的な見方にも通じるものであり、すでに知っていたと言えるもののようにも感じるが、それを「構造主義」と呼ぶことは知らなかった。それを内田さんに教えてもらった。内田さんを知るまでそれが分からなかったと言うことに暗黙知の一端を見られるだろうか

2012-05-30 10:06:56
木下秀明 @khideaki

暗黙知30:構造主義にもう一つ付け加えておくと、数学的な構造は自分で設定する構造だが、現実の構造は社会の背後に存在するものを発見するものだと言えるだろうか。発見という現象が見られると言うことは、この発見の過程にも暗黙知というものを見つけることが出来るかもしれない。

2012-05-30 10:09:21
木下秀明 @khideaki

暗黙知31:暗黙知は何かを「知る」という現象においてその姿を現す。ということは単純の言葉の記憶の現象ではそれは見られないのではないか。僕は学校で日本語も教えているが、同じような現象に対して複数の表現があるとき、その典型的な言い方を教えるがそれは記憶なのか概念理解なのかは難しい。

2012-06-02 09:57:32
木下秀明 @khideaki

暗黙知32:「歩く」という動詞を教えるとき他の動詞を知らなければ、歩く姿を見てそれを覚えるのだが、その動作は見方を変えれば「動く」「移動する」などとも言える。これらと区別がついたとき概念を知ったと言えるがその評価は難しい。「行く」「来る」「着く」などの区別も難しい。

2012-06-02 10:01:34
木下秀明 @khideaki

暗黙知33:言葉を単語の翻訳のように覚えている人はなかなか会話が出来ない。言葉の対応を記憶しているだけだからだ。概念として身につけていないので対象を見た認識が表現に直結してこないのだ。ここには暗黙知が働いていないように感じる。失敗をステップにして知ることに暗黙知があるのではないか

2012-06-02 10:04:38
木下秀明 @khideaki

暗黙知34:暗黙知の場合その働きは自覚できない。だが何かを知っていてそれが思考の流れ・感覚に影響を与えている。勘のようなものが働いて何かを判断している。それはしばしば間違えるがはっきりと知ることが出来たとき暗黙知は自覚的な知識となるのを感じる。ここに至る過程で暗黙知の発見がある

2012-06-02 10:09:27
木下秀明 @khideaki

暗黙知35:概念は抽象的認識であるから、教師の頭の中にある概念をそのまま生徒に伝えることは出来ない。概念を連想させる対象を幾つか提示して、生徒の頭の中に概念が形成されるのを助けるという教育法を取る。生徒自身が概念形成の努力をしなければこの教育は失敗する。暗黙知を働かせるのが鍵だ。

2012-06-02 10:14:49
木下秀明 @khideaki

暗黙知36:僕は単純記憶が苦手な子供だった。そのおかげで概念形成の方に多大な関心を払えるようになった。数学は最小限の記憶であとは概念を展開していけばほとんど理解できる。僕にはぴったり合った知識だった。しかもこれは概念形成さえ出来ればほとんど独学出来る。暗黙知が見える対象ではないか

2012-06-02 10:18:20
木下秀明 @khideaki

暗黙知37:僕は中学での図形の証明問題が好きだった。特に難問と呼ばれる問題では、一本の補助線が問題の構造を浮かび上がらせてひらめきが生まれる瞬間が何とも言えず気分が良かった。それまでは全く分からなかったのに、一瞬で解答が見えてくる。ここに暗黙知という過程が働いているのではないか。

2012-06-02 10:22:57
木下秀明 @khideaki

暗黙知38:補助線の引き方は経験を積むと幾つかアイデアが浮かんでくる。恩師だった先生は「中線を延長せよ」などという格言を教えてくれた。これは、そうすれば解答が得られるという公式ではないが、試行錯誤の第一歩を踏み出すためのものだ。暗黙知は過程であるから、第一歩を踏み出すことが重要だ

2012-06-02 10:25:36
木下秀明 @khideaki

暗黙知39:図形の証明の場合、それまでに学んだ知識と新たな問題との間にどのような結びつきが見えてくるかが解決の鍵になる。それは解決する前は見えていないがある瞬間に見えてくる。それはすでに知っていることにつながりをつけるもので暗黙知という名前にふさわしい。試行錯誤という失敗が重要だ

2012-06-02 10:28:31
木下秀明 @khideaki

暗黙知40:今僕は文章をずらずらと書き連ねているが、作文という行為も暗黙知に関係しているように感じる。作文をする前は自覚していなかったもやもやした思考が、作文後にはっきりと自分に見えてくると言うことがしばしばある。思考というつかみ所のないところで働いている暗黙知を見る手段が作文だ

2012-06-02 10:31:16
木下秀明 @khideaki

暗黙知41:作文をすると自分にとって新しい発見がいくつも見える。僕は作文をすることが楽しいので、膨大な量の作文を書いている。作文を嫌がる人は教員の中にも多いが僕は苦に思ったことはない。数学の学習も苦に思ったことはない。暗黙知が働いているときは楽しいものになるのだろう。

2012-06-02 10:34:12
木下秀明 @khideaki

暗黙知42:自分が書いた古い文章「形式システムは自らの構造を把握できるか?」http://t.co/TvTJ2NECで考察していた構造について、暗黙知を考える上でヒントになりそうなものを見つけた。それは不可能性の証明というものだ。不可能性は構造の把握なしに証明することが出来ない。

2012-06-03 10:12:51
木下秀明 @khideaki

暗黙知43:不可能性の証明で考えたのは、それはやってみたけれど出来なかったという経験をいくら積んでもその現実性だけでは証明にならないと言うことだ。それはやり方を間違っているからでいつか出来るかもしれないという可能性を排除することが出来ない。誰がやってもダメだと示さなければならない

2012-06-03 10:17:05
木下秀明 @khideaki

暗黙知44:不可能性の証明は、構造に注目し全体性を把握して初めて達成できる。それができない間は「不知」にとどまる。いくらやっても出来ないからと言って、一般論として不可能とは言えない。それは自分には出来ないという現実性を示しているだけだ。では構造の把握はどのようにして出来るのか。

2012-06-03 10:19:17
木下秀明 @khideaki

暗黙知45:構造は、構造として働いている限りでは自分には見えてこない。自分に見えているのは、構造が押しつけてくるルールであり、そのルールに従っているかどうかは分かるのだが、ルールの全体像は見えてこない。自分のものではない構造は第三者として高見から眺めることが出来るのでそれが出来る

2012-06-03 10:22:15
木下秀明 @khideaki

暗黙知46:数学的構造に関しては自分は常に第三者の位置にいられるので全体像の把握はしやすい。不可能性の証明で有名なのは一筆書きにおけるものだが、これは一筆書きの図形を、線が集まる点と、点と点を結ぶ線という二つの対象に成り立つ構造と見ることで全体性を把握する。これが不可能性を示す。

2012-06-03 10:26:04
木下秀明 @khideaki

暗黙知47:点の構造は3つに分類される。一筆書きを書き始める「出発点」、途中で通過する「通過点」、一筆書きが終了する「終着点」だ。「出発点」と「終着点」は交互に交換することも出来る。一筆書きの図形にはこの3つの点しかないというのが全体把握としての構造を把握したことになる。

2012-06-03 10:29:05
木下秀明 @khideaki

暗黙知48:「出発点」は最初に出ていく線の他にも線があれば、それは通過していく線になる。通過していく線だけを持つ「通過点」では、入る線と出ていく線がペアになるので、その点に集まる線は常に偶数本になる。もし奇数本あれば、どれか一本が出発する線になり、その点は「出発点」となる。

2012-06-03 10:32:39
木下秀明 @khideaki

暗黙知49:一筆書きの図形は有限個の点と線で構成されているので、すべての点を3つのどれかに分類できる。その時奇数の線が出ている点が2つであれば、どちらかを「出発点」にし他を「終着点」にする。これが4つ出来てしまえば「出発点」を二つ作らなければならないので一筆書きは不可能になる。

2012-06-03 10:36:05
木下秀明 @khideaki

暗黙知50どうしても出来ない一筆書きは、それは誰がやっても出来ないのではないかという思いは浮かんでくるものの証明という形で示すことは難しい。天才数学者オイラーの登場を待たねばならなかった。この発見はいかなる暗黙知の作用によって行われたのか。すでに不可能性を知っていての想像は難しい

2012-06-03 10:40:34