- korekorebox
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会稽太守王郎・徐州牧陶謙・揚州刺史劉ヨウ・広陵太守趙イク・丹楊太守呉景・呉郡太守ゼイチ・予章太守華キン これら全部袁術と馬日禪による任命じゃないかな?
2012-04-29 13:33:58おそらく孫策が江東への攻撃を始めたのは195年の末以降の事で194年じゃない。曹操が帝を手中にした時に、劉ヨウ達は反旗を翻したんだと思う。
2012-04-29 13:41:35@korekorebox 陶謙は長安に貢物を送って徐州牧になってますね。王朗と趙昱もこの時の任命です。呉景は袁術、華歆は馬日禪の任命ですね。劉繇は馬日禪っぽいですね
2012-04-29 13:45:09@sweets_street @kashiggggg 何となく何ですが、袁術と行動を共にしてそうな気がします。孫堅も陶謙と同じ頃に張温指揮下に入ってますんで、それなりに気脈が通じていそうです。
2012-04-29 13:54:40@sweets_street @kashiggggg 呉志の記述って、初期の赤壁までの記述にすごい引っかかりを感じるんですよね。
2012-04-29 14:07:04@kashiggggg @sweets_street 袁術が孫堅を豫州刺史に任命したように、陶謙を徐州刺史に任命し徐州牧になったのかとも考えましたw
2012-04-29 14:11:40袁術派の陶謙が死んで、反袁術の劉備が徐州を支配。孫策が徐州から逃げ出す。この方が、孫策の行動に納得できる。徐州は父親の孫堅が10年以上各地の県長を務めたので知己が多いはず。でも、陶謙に嫌われてるの知ってるのにその地に居るはねぇ?
2012-04-29 14:20:54曲りなりにも友好国の君主に酷い事されたと書くのを呉の史官が恐れはばかったか、劉備が勘違いで呂範を拷問したのを陳寿が劉備を陶謙と書き換えて隠したか!?
2012-04-29 14:25:30呉の真の支配者は朱家だと思ってます。陸遜の一族・顧雍の一族・全ソウの一族・歩隲の一族も力は持っていたけれど、真の意味で影響力があったのは朱治や朱然の一族だと最近は考えるようになりました。
2012-04-29 14:36:21初期は孫呉は、徐琨と朱治が在地豪族として孫呉政権を支え徐琨死後は朱治の朱家が孫呉政権を支える。朱治死後は、陸遜 歩隲 全ソウ 顧雍 朱然が並び立つ。しかし、やはり隠然として朱家の影響力が一番大きかったのだと思う。
2012-05-01 09:49:21