教員養成系大学・学部の教員のすべきこと
ときどき、これは指導要領に載っているからとか、教採に出るから、なんてセリフを大学教員が口にしているのをたまに聞くんだけど、違和感を覚える事があります。
2012-05-28 19:33:37もちろん、事実の確認として、載っている、出る、というのはかまわないと思うのだけど、しかし、これに「だから〜せよ」みたいな言葉が続くとなんか違うんじゃない?とか思ったりするんですね。
2012-05-28 19:35:35とりわけこうしたセリフが学生に向かって発せられると、違和感マックスになりますね。あれは小中高校の児童生徒たちが学ぶべき内容を記しているのであって、大学生が学ぶべき内容ではないですからね。ものごとの順序から言えば、それは大学生になる前に身につけていなければならないことなのですよ。
2012-05-28 19:41:19とはいえ、別にそれらのすべてが大学入試で課されているというわけではないから、身についていないものがあるからといって学生を責める気は全然なくて、むしろ教員の側で大学生を指導するにあたって、それら指導要領とか教採を参照するのはどうなのかと思うのです。
2012-05-28 19:44:18もちろん、教員養成という目標がある限り、たとえば指導要領に何が載っているのか、といった情報を知っていることは必要だし、それを適切に解釈しうるよう学生を導くことは重要な仕事だと思います。でも、大学ではそれ以上のことが学ばれなければならないのではないかと思うのですね。
2012-05-28 19:48:32なんか、あまりにも当たり前のことを言っているように思うけど、でもこの1年に限っても、指導要領の記載内容にしばられた物言いをしている教員を複数見てしまったのですよね。教採に出るから、というのも。まぁ、目の前の課題として指導の成果が見やすいというのはあると思いますけれどもね。でもね。
2012-05-28 19:56:21指導要領とか教採の問題とかって、誰が作ってると思ってるんですかね。多くは我々と同じ大学の教員ですよね。天から降ってきたものではなくて(えぇ、常套句ですが何か)、我々と同じ専門分野の誰かが作っているのですよ。それは決して無謬、完璧なものであることはない。
2012-05-28 20:09:41紙幅の都合などがあるかぎり、あるものを入れるために別の何かを捨てねばならないという判断だって当然あったでしょう。最新の知見だって、オーソライズされていないとかなんとか言って掲載が見送られるということもあったかもしれない。そういういろんな限界を踏まえて、今の形があるはずなんですね。
2012-05-28 20:12:22なのに、指導要領に縛られていない大学という場で、教員がその内容に立脚して指導を行うということがある(らしい)。繰り返しになるけれども、参照する必要がないというのではなくて、それに乗っかるだけで足れりとするのはどうか、と思うのです。
2012-05-28 20:16:21これまで積み上げられてきた学問的知見の中からどれを学校教育に還元するか、すべきかを考えることができるのは専門家以外にないはずだし、少なくとも我々の領域ではそれは大学教員と≒です。とりわけ教員養成系大学教員には、指導要領や教採の妥当性・有効性、そして限界性までを検討する責務がある。
2012-05-28 20:23:52すべての教員が等しくそれをすべきとは思わないけれども、しかし少なくとも所属の学生には、記載内容の向こう側に何があるのかだけでなく、記載に当たってどのような取捨選択がなされた(と想定される)のかを示し、可能的には、彼らが自らこれを一から再構成できるよう指導していくべきではないか。
2012-05-28 20:33:11とはいえ実際には、多岐にわたる専門的知見が必要となるから難しいだろうけども、しかしそれぞれのド専門の中でそういうベクトル性を持っていることは大切だと思う。したがって、教員が指導要領に載っているからとか、教採に出るよ、なんて言うときには、語尾に(笑)と付けねばならないと思う次第。
2012-05-28 20:39:05ていうか、そういう「向こう側」を少しでも示すことができたら、学生さん、あとは自分でいろいろ考え出すと思うんですよね。彼らの知性、なめちゃいかんです。だから、あとは専門家である教員のやる気と能力の問題。
2012-05-28 20:50:31