岡﨑乾二郎氏(@kenjirookazaki) 「災害と事前の作品構造」+反応
承前4)天心の意志が図ったかのように.1939年泊林古美術展覧会でヒトラーは雪村「風濤図」を絶賛、日独合作映画「新しき土」で顕著なように日本が地震、台風、火山の国で死の覚悟をもった国という美学は浸透しつつあった。先陣として横山大観指揮の1930年「羅馬開催日本美術展」の成功。
2012-06-03 13:13:10承前5)ちなみに48年ロンドン大会までオリンピックには芸術競技(賞あり)が併催(文化プログラムとして現在も存続)。国威を競う場としてピークは36年ベルリン。同時期ファシスト党が自立した芸術競技会の場としてヴェネチアビエンナーレを梃入れ。1936年ヒトラー、ベネチアビエンナーレ訪問
2012-06-03 13:17:12ところで吉阪隆正設計による日本パビリオンは、当初は天上に天窓が空き(空が見え)、雨水は館の中央を瀧の如く落下し床の同じく開口を通り抜け、地階の庭園に落ちるよう設計されていた(実施は異なる)。自然の恐ろしさを知らぬのでなく、その不可避を示す日本美学をヤケクソに組み込む(脱構築)案。
2012-06-03 13:19:05補>吉阪設計の日本館http://t.co/KCmDUfOh→http://t.co/ls87D4Ey 以前書いたけど四つの独立した構造体が互いに倒れかかって支えあう構造。つまり中央の正方形の空虚はそれらの構造の外部(まさに虚)。そこに雨水が通過。
2012-06-04 15:38:19反応その他
呆れた発想だRT“@kenjirookazaki: 巨匠でであれ新人であれ(震災と関連づける読みが避けられないならば、なお)震災前に作られた作品を出すべき。テーマは「すべて想定内」とすべし。事後的な作品を出すべきでない。あらかじめ今回の災害は表現構造に組み込まれていたと示すべき。
2012-05-31 03:38:55目が覚めて見た岡崎乾二郎のツイートが酷いな。五浦の六角堂をヴェネチアに‥って。地元の人が聞いたらどう思うだろう。あそこは被災で流されてやっと修復されたばかりなのに。少しでもプロジェクトに関わった身としては見せ物小屋的な発想はどうかと思う。
2012-05-31 05:10:58「すべて想定内」って‥事後的な事で気づかされた事がどうしたって311の場合大きいと思う。311以後の発言で距離を置きたいと思った言葉を発すアーティストが結構多い。それまで素晴らしいと思える作品を残していても、この境地に立たされてその言葉はあまりにも臨場感がないと心からがっかりする
2012-05-31 05:12:53日本が変わろうとしている中で、むしろアートとは全然関係がない人達の詳細な動きをしっかり見ていて自分の日常から発している言葉にいつもヒントをもらっている。311以後益々地位とか名声とか有名とか無名とか関係ないよな‥どうこの生を感じ取る事が出来るかだと‥肌で感じるようになった。
2012-05-31 05:14:11震災によって作品の見られ方や読まれ方(=文脈)が変わったことがポイントだとすれば、震災前に作られた作品を見せることでそのシフトが露になる...
2012-05-31 05:33:02岡崎さんのツイートをささっと読んだ印象として、そういうことを言ってるのかと思ったけどまったく違うっぽいですね。いや、ある意味では関係してるだろうけど。
2012-05-31 05:33:21@aon9 文脈追ってないからわからないですが、岡崎さんのあれは彼流の皮肉ではないかと?とはいえTwitterは各々が独立したセンテンスで流布するからそこでの誤読を念頭に置くべきですよね。岡崎さんの発言は昔から推敲を重ねたものと比べ不用意な所はあるけど、そこに作家的魅力もあるなと
2012-05-31 06:21:46僕は自分はもちろんですが、最近は誰の発言にも絶対性(正しさとか)をみないようにしてるかもしれない。政治については意図的に仮想敵を作るけど、そこも難しいなと思う。
2012-05-31 06:24:42とはいえ確かに岡崎さんの一連の呟きはレトリックがかっていて方便に聞こえるところはある。人が実際に何かが起きた後の「生」を生きるとして、事前にそれを含んだ発想を内包することはできない。
2012-05-31 06:29:30「僕は馬鹿だから反省しない。利口な奴はたんと反省すればいいじゃないか」((C)小林秀雄)の応用例――岡﨑乾二郎さん(@kenjirookazaki)の考える 「災害と事前の作品構造」 http://t.co/Gqs9HlhN
2012-05-31 09:36:38「カナリア的な期待のある芸術解釈」とは、まさにチンポムによる岡本太郎「明日の神話」解釈(絵付け足し)みたいなことであって、岡崎さんが仰っていることは全く違いますね。
2012-05-31 10:39:22チンポムのは岡本太郎の「カナリア的な解釈」かつ事故への「事後的な応答」でもあるな。「事故への事後的応答=表現は往々その取り返しできなさ、つまりその想定外を追認し強調するだけになりがち。」
2012-05-31 11:46:07「カナリア的な解釈」と「事後的な応答」は矛盾するようにみえるかもしれないが、「カナリア的な解釈」はつねに事後的になされるもの。あの作品は実はあの事故を予見していた!という形で。後知恵。
2012-05-31 11:52:38