中国史における人口動態に関する議論

主として「お菓子っ子」さんと「るーでる@柏葉」さんによる、数時間に亘る長い議論です。二人ともお疲れ様でした。
歴史 人口動態 中国史 統計 中国
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Baatarism/ちゃんぷるー @baatarism
@sweets_street 漢末期から三国時代の混乱で人口が激減(僕が聞いた話では6分の1から10分の1)したと言われてますが、これも戦乱で流通が崩壊したのが主な原因なんでしょうか?他にも農地や灌漑施設の荒廃とかもありそうですが。
るーでる@柏葉 @rudel101
@sweets_street @baatarism 横から失礼。混乱期には、戸籍を作る政府が十分に機能しないことも要因の一つとして挙げられるとおもいます。つまり、人口統計自体があてにならない。
るーでる@柏葉 @rudel101
実際、中国史においては、当時の医学、薬学の水準では、到底ありえない人口動態を示していることが多々あります。
お菓子っ子 @sweets_street
政府の機能が低下している状況では、税金や人員をインフラや治安の維持に投入するのも困難です RT @rudel101: @baatarism 横から失礼。混乱期には、戸籍を作る政府が十分に機能しないことも要因の一つとして挙げられるとおもいます。つまり、人口統計自体があてにならない。
るーでる@柏葉 @rudel101
@sweets_street @baatarism 仰るとおりです。私が言いたかったのは、そもそも戸籍があてにならない、ということであって、あなたが指摘する要因を否定するものではありません。
お菓子っ子 @sweets_street
統計は政治の基礎中の基礎といってよいもの。政府がまともな統計を出せないということは、行政機能が完全に麻痺するレベルの社会的混乱が起きているということなので、戸籍外人口を入れても破滅的な人口減少は起きていたと思っています @rudel101 @baatarism
Baatarism/ちゃんぷるー @baatarism
@sweets_street あと、晋以降にこの人口減少を北方異民族の移民で補った結果、北朝系で統一された隋唐以降の中国は漢以前とは民族的に見て別物と言って良いのではないかと思っているのですが、この認識は正しいのでしょうか?
るーでる@柏葉 @rudel101
@sweets_street @baatarism 私の意見は、おそらくはあなたのそれとは若干違うものと思います。三国時代、様々な要因で実際の人口が激減したのは事実でしょうが、私は戸籍外の人口も相当数あったと考えています。
るーでる@柏葉 @rudel101
中国史における人口動態について
るーでる@柏葉 @rudel101
永嘉元年(145年)の人口は約4900万人だが、これが永寿三年(157)になると5600万人になっている。
るーでる@柏葉 @rudel101
わずか十二年で700万人の増加である。果たして、この時代にそんなことが可能だろうか?
お菓子っ子 @sweets_street
@rudel101 @baatarism 支援機能が安定している平時と、動ける人間は誰でも軍隊や賊などの武装集団に所属しなければ危うい内戦中では人口対兵力比が変わります。動員兵力の多さが、生産人口の乏しさを示します。戸籍外人口を含めた上で人口崩壊が起きたと考える理由の1つです
るーでる@柏葉 @rudel101
@sweets_street 今、ちょうど中国史における人口動態について、つぶやいていたところですが、三國時代ほどの混乱期ではなくとも、不自然な人口動態はあります。私も実際に激減したと考えていますが、元々の戸籍の信頼性が高くはない以上、それに依拠するのは限界があるかと。
るーでる@柏葉 @rudel101
再開。このような不自然な人口動態の要因の一つには、豪族らが保有していた荘園で働かせていた人間を調査から隠匿し、脱税をはかったのではないか、ということが考えられる。
るーでる@柏葉 @rudel101
そもそも、科挙実施以前の諸王朝において、以後の地方勢力と比すれば、その力は強く、十全な戸籍を作ることが可能であったか、疑念が残る。
るーでる@柏葉 @rudel101
さらに、極端な例を挙げると、隋の大象年間(579-581)の人口は約900万人で同時期の陳の人口は200万人であるが、
お菓子っ子 @sweets_street
@rudel101 TLを拝見してからお答えしたいと思います。あと、興味深いツイートを多くされているようですのでフォローさせていただきました。よろしくです
るーでる@柏葉 @rudel101
@sweets_street こちらこそ、よろしくお願いします。
るーでる@柏葉 @rudel101
これが統一後の大業五年になると、4600万人となる。大業五年は西暦では609年となる。
るーでる@柏葉 @rudel101
つまり、僅か20年で4倍となっている。当時の医学の水準を考えると、(いかに、当時の中国が先進国だったとは言え)あまりに驚異的な伸びでありすぎる。
るーでる@柏葉 @rudel101
これは、戸籍外の人口が極めて大きなものであったことを伺わせるに充分な不自然さであるし、と同時に、混乱期、分裂期における人口統計の限界を示したものと言えるだろう。
るーでる@柏葉 @rudel101
さて、西晋であるが、天下統一後の司馬炎は、政治を顧みなかった旨が伝わっている。西晋が短命な王朝となったのも、そこに一因があるだろう。
るーでる@柏葉 @rudel101
そういった西晋の人口統計がどこまであてになるか、私には疑問であるし、 相当数の戸籍外人口があったとしても、他の時代の例からは、特に異とするに足りないのではないだろうか。
るーでる@柏葉 @rudel101
勿論、その時代特有の状況や背景の差異は無視するべきではない。故に他の時代を参考にするのには自ずと限界がある。
るーでる@柏葉 @rudel101
だが、三国時代と比べて、官僚、行政の機能が著しく進歩していたであろう、南北朝期においても、先述したことになっていた以上、三国時代
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コメント

鉄底海峡 @tetteikaikyou 2012年5月31日
まとめを更新しました。
伊都之尾羽張◆ @itunowohabari 2012年6月2日
日本の古代史を繙こうとしたら、どうしても周代以前の支那大陸の歴史も学ぶ必要がでてくる。学生時代を過ぎてから歴史に興味を持ちだした、私のような素人にとってはお手上げである。ネットの時代になって、皆さんの分析に触れられるようになって有難い限り。
石部統久 @mototchen 2012年6月3日
ネット上の参考 日本のもの。「中国の人口の歴史-人口推定の方法、人口崩壊のサイクル、など」http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html 「中國人口史」http://zh.wikipedia.org/zh-tw/中国人口史
石部統久 @mototchen 2012年6月3日
中国語ウィキソースリンク修正します。以下です。「中國人口史」http://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8F%B2
アーサー・ペンドラゴン @excaliburchalic 2012年6月12日
中国の人口の増減を戸籍の把握力の低下と税収減に目を向けず、そのまま信用している三国志専門家も多い
蔣捷 JIANG JIE @jiangjie2015 2014年2月3日
大変ためになるまとめです。宮崎市定氏の六朝・唐における政府の戸籍統計の(古典的な)見取り図の復習と強化ができました。
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