齋木克裕「フェリックス・ゴンザレス=トレス作品を鑑賞形態の変容として見る問題点、ミニマル・アート×パーソナルな物語として見る問題点」
ミニマル・アートの箱は一見『2001年宇宙の旅』のモノリスのように不気味であるがゆえに人間の精神の反映のようにみえる。人間を人間たらしめる、精神の器であるモノリス。キューブリックがミニマル・アートから着想を得てモノリスをデザインをしたのか知らないが、適切なデザインだと思う。
2012-06-07 11:26:54しかしミニマル・アートをそのような空虚な箱として捉えることが、根本的に誤りであるのは言うまでもない。いわゆるミニマル・アートと呼ばれたアーティストたちの目論みがそれとは正反対であったということ、つまり彼らの芸術作品から、その「うつわ性」を消し去ることだったのは周知のことである。
2012-06-07 11:29:07形式×内容という枠組みで理解したとき、トレスの作品は新しいどころか前近代的な容貌しか現さない。新しさがあるとしたらその中味、つまりは政治的内容やパーソナルな物語ということになるが、このような理解ではせいぜいその中味を入れ替えることでしか新しい作品を生み出すことはできないだろう。
2012-06-07 11:30:59大文字の政治の代わりに小文字の政治が器に添えられる。それは日常と呼ばれるかもしれない。今日、現代美術でもてはやされている政治的なアートと言われるものの多くはそのヴァリアントだと思う。
2012-06-07 11:31:54トレス作品のラディカルさは、昨日述べたように政治性が作品の構造に組み込まれているところである。だから、もしトレスの作品に可能性を見るのであれば、作品の構造から政治性を読まなければならない。
2012-06-07 11:33:10このように作品の構造が政治性を持つような作品を作るアーティストはそれほど多くないように思う。ぱっと思いつくのはトレスの他にアルフレッド・ヤールやアリギエロ・ボエッティなどか。
2012-06-07 11:35:30トレスのインタビューのこの言葉「社会的か芸術的か、と質問を投げかけると、人々はすぐに、結論に飛び越して、バーバラ・クルーガーとか、ルイス・ローラーとか、レオン・ゴラブとか、ナンシー・スペロとか、それら政治的なアーティストをあげたがる。」(続く)
2012-06-08 12:59:23ことさらに政治的な題材を扱わなくても、芸術はすでに政治的な営みである。重要なのは自分の行っている芸術が政治的にどういう意味を持つのかを理解することだろう。政治的な芸術か、芸術のための芸術かという見せかけの対立はナンセンスだと思う。
2012-06-08 13:14:05