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齋木克裕 @ka2saiki
そういえば、チェルシーへ向かう途中、駅でホームを歩きながらフェリックス・ゴンザレス=トレスの作品について考えていたら、後から自分を追い越していった陸軍州兵の帽子にトレスと名前が書いてあってビックリした。
齋木克裕 @ka2saiki
先日MoMAの常設でトレスのキャンディーの作品が展示されていて、オーディエンスが喜んでキャンディーを拾っていたんだけれども、その様子を思い出しながら、あれを体験型アートとか参加型アートのひとつだと思われたら、ちょっとどころかかなり違うと思っていたのだった。
齋木克裕 @ka2saiki
トレスのいくつかの作品は、美術館で展示されるよりも作品が実際に販売される場であるコマーシャル・ギャラリーに置かれるほうが、そのラディカルさがより露になるように思う。
利根川友理 @YuriTONEGAWA
@ka2saiki ちょっと不勉強なのだな。トレスの作品は「キャンディを持ち帰ってください」と添え書き(たぶんどこの展示でもしてるよね?)しているそれも「敢えて」?(言葉足らずですみません)というかトレスなりの意図があるということ?
齋木克裕 @ka2saiki
日本でのトレスの受容は、ミニマル・アート×パーソナルな物語、あるいはミニマル・アート×政治性といった軸で見るか、あるいは鑑賞形態の変容といった軸で見るかといったところだろうか。前者は作者-作品のつながりを、後者は作品-観賞者のつながりを強調する。
齋木克裕 @ka2saiki
無論このような見方も間違ってはいない。しかしトレスの作品が立てた根源的な問いを読み解くのに必要なのは、生産者、所有者、消費者といった経済学的な軸ではないかと思う。
齋木克裕 @ka2saiki
作品の生産者であるアーティストは作品を生産するが、減ったキャンディを再生産するのは所有者である美術館である。作品の消費者である観賞者は、キャンディを口に入れて文字通り消費するのであるが、その行為によって作品の生産(コンセプトの遂行)に加担している。
齋木克裕 @ka2saiki
彼が作品で問うているのは、資本主義経済のなかで自明と思われている生産、所有、消費といった区分けである。彼の作品は、それらの活動に複数性をもたせるための装置なのである。
齋木克裕 @ka2saiki
調べたわけではないので確かではないが、彼のこのような根源的な問いを立てることができたのは、彼がキューバ生まれ、つまり社会主義国家生まれで、その後資本主義大国のアメリカに移住したということと関係があるのではないかと思う。
齋木克裕 @ka2saiki
@YuriTONEGAWA たぶん美術館の説明みたいなのあったんじゃないかと思います。質問がいまいち分かってないかもしれないけれど、自分、参加型アートみないなのつまらないと思っているので、そういう風に誤解されたら残念だなと思ったということです。
齋木克裕 @ka2saiki
体験型アートとか参加型アートって、結局何も言っていないに等しい気がする。アートってそもそも体験するものだし、参加するものなんだから、わざわざ強調する必要がない。強調しなければならないとしたら、それらの作品の面白みがそれしかないということ。「ほら参加できて楽しいでしょ」みたいに。
齋木克裕 @ka2saiki
それに体験型アートも参加型アートも、オーディエンスを大分見くびっているように思う。アミューズメントパーク的な面白さを与えておけば観客は喜ぶだろう的な傲慢さを感じる。
Mizuki Kin / 金瑞姫 @shimashimatweet
齋木さんのフェリックス・ゴンザレス=トレスに関するtweet興味深い。トレスはもちろんこのくくりにいれてはならないわけだけど、日本で「体験型アート」とか「参加型アート」という言葉で括られているものって、質の悪いもの多いし、その言葉で扱っては危険な作品も多いように思う。。
Mizuki Kin / 金瑞姫 @shimashimatweet
というか「体験型アート」「参加型アート」って言葉があるからこそ、質が悪いもの(齋木さんのいうようにその作品の面白みが参加すること/体験することにしかないもの)がたくさん出てきてしまっているような。
Mizuki Kin / 金瑞姫 @shimashimatweet
そして下手するとオラファー・エリアソンの作品なんかも日本ではその言葉で括られてしまう可能性が…ないかな?うぅむ。トレスについては齋木さんご本人のtweetを是非に。
齋木克裕 @ka2saiki
@shimashimatweet すごく同感。見る人だけでなく作る人にも悪影響が。

 

中島 智 @nakashima001
ある評価基準に汎用性を感じた場合、そのこと自体がどのような意味をもつのか考えなければならない。その汎用性とは自らがモノカルチュラルな力学に属しているからなのか、もしくはホモサピエンスの生理学的根拠に基づく何かなのか、あるいは…。
中島 智 @nakashima001
つまり、評価とはある特定のプロットからなる代物であることを前提に考えなければ、<ヴァリアントとしてのアート>が看過されてしまうことになる。

 

齋木克裕 @ka2saiki
昨日のトレスのツイートに少し付け加えておこうかな。思いつきをメモ代わりに。
齋木克裕 @ka2saiki
トレス作品を鑑賞形態の変容としてみることの問題点は昨日述べたので、ミニマル・アート×パーソナルな物語というような形で見ることの問題点を考えようと思う。
齋木克裕 @ka2saiki
トレスの作品をミニマル・アート×パーソナルな物語というような形で見ることは可能であるにしても、トレスの作品を旧来の形式×内容という二元論的な枠組みのなかで理解することになる。その場合の形式、つまりミニマル・アートとはその中に何でも入れることができる箱でしかない。
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