『ギルガメシュ叙事詩』を読む ★7月9日完結★

「世界最古の物語」こと『ギルガメシュ叙事詩』を読もう、の会。 今春発行された新刊『ギルガメシュ王の物語』をテキストとして、 叙事詩のストーリーの意味、登場人物たちの心理、当時の世界観、 そしてそこに表される普遍的な生と死の問題について、 続きを読む
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せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 「洗う」ことも含めて多分一連の流れだと思うんだけど、この救済措置、どういうわけなのか。

2012-07-08 23:00:13
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ウトナピシュティムの態度は軟化し(?)、「隠された事柄を明かそう。生命の秘密を、お前に語ろう」と言って、ある「草」のことを教えてくれる。棘藪だの薔薇だのに似た、ともかく棘のある植物である。その草を手に入れたら、「不死の生命」を見出すことができるのだという。

2012-07-08 23:05:56
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 どういうわけかその草は水底にあるのである。ギルガメシュは石を足に縛りつけ、「石が、彼を深遠に引き込むと、そこにかの草があった」。深遠という言葉が使われていることもあり、そもそも水の中にあるということからしても、多分これはエア神の領域のものなのかなぁ?

2012-07-08 23:08:16
wordcage @wordcage

@segawa 筑摩世界文学大系1古代オリエント集の『エヌマ・エリシュ』の解説では、アプスーは「生命を維持する原初の深淵の淡水」と説明されています。天地創造の他の2柱、ムンムは「生命付与の力」、ティアマトは「生命に対立的に働く海の塩水」。

2012-07-09 01:43:36
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 この草の名は「シーブ・イッサヒル・アメル」=「老いたる人が若返る」というのだと(なぜか)ギルガメシュが語る。 この草の存在がまた難しいなぁと思うんだけど、多分これは、文字通り人を「若返らせる」ものであって「不死にする」ものじゃないんだよね。

2012-07-08 23:10:03
@kk_lz

ギルガメシュの名前自体が「若返る」だもんな #ギルガメシュ叙事詩

2012-07-08 23:14:06
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ギルガメシュはこの草を彼の町ウルクへ持ち帰ろうと言う。彼らは、死の海を渡る途上で(?)これを手に入れている。そこで自分で食べずに、持ち帰ろうとするのである。結論から言うとこの目論見は失敗し、持ち歩いていた帰路に、ギルガメシュはこの草を失うことになるんだけど

2012-07-08 23:12:15
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ただ、「持ち帰ろうとする」ことができる時点で、それは「不死」に関わる・属するものではなかった、ということが言えるのかなぁ、といまちょっと思った。

2012-07-08 23:13:06
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ウトナピシュティムは妻と2人きりで「遥か遠く」に住んでいる。これはつまり、不死のものになったので、人間世界を捨てている(あるいは追放されている)と言えるのではないか。

2012-07-08 23:15:24
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 一方ギルガメシュは若返りの草をウルク市へもたらそうとする(あるいはこのせいで、これを試みた時点で、失敗が予定されてしまったのかもしれないが)。

2012-07-08 23:15:43
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 結局失敗に終わるとは言え、若返りの草は、人間世界へ持ち込むことを許された“程度のしろもの”だったのかなぁ、とか。ちょっとこれは思い付きだった、うまくまとめられませんでした。失礼。

2012-07-08 23:17:15
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 まあでも、何度も言うようですが結局ギルガメシュは、この草を自分で食べることもないし持ち帰れたわけでもない。帰路、水浴びをしている途中で、岸辺に置かれた彼の荷物に一匹のが忍び寄り、この草を盗んで去る。

2012-07-08 23:20:34
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 「戻って行くとき」、そのさなかに、蛇はこの草を食べてしまうのです。そして「蛇は皮を脱ぎ棄てた」、つまり、脱皮をする。脱皮が再生や復活になぞらえられることはしばしばありますが、ここでもそのようにして、蛇の脱皮が理由づけられて、ギルガメシュは草を失う。

2012-07-08 23:22:33
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 いやぁ、ギルガメシュさん結構ドジだよね!

2012-07-08 23:22:54
wordcage @wordcage

@segawa 月本訳だとギルガメシュが体を洗う時は「皮膚を脱ぎ捨て」、蛇が脱皮する時は「皮を脱ぎ捨て」と似たような文言になっているのですよね。原文は分かりませんが。禊ぎをした水と生命の草が生えている水が同じだったりするといろいろ捗りそうなのですが、そういった記述は無いようで。

2012-07-09 01:30:05
せがわ @segawa

@wordcage なるほど、それは気がつきませんでした。そうするとギルガメシュの禊は、一種の予告というかみたいなものなのでしょうかね……

2012-07-09 01:35:19
wordcage @wordcage

@segawa 「こんな効能があったのに!残念だったね!!」みたいな効果を蛇より具体的に読者に見せつけることを狙っていたとしたら嫌ですね…

2012-07-09 01:51:59
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 物語は、いよいよ終着点を迎えます。草を失ったギルガメシュは泣き、ウルシャナビに向かって「何のためにわが腕は疲れきったのか、何のためにわが心臓の血は失せ去るのか」と嘆く。旅の労苦、それが無為であったこと、後悔などを言うわけです。しかしやはり返答はない。

2012-07-08 23:26:48
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 2人はただ進み続けて、そしてウルクの町に帰り着く。ここでギルガメシュがウルシャナビに、「見よ」と言う。この町の建築がどれほど立派で、歴史が優れて、土地が広くあるかを見よ、と。それを自ら謳い上げる。これは叙事詩のまさに冒頭部分と同じ言葉です。

2012-07-08 23:30:18
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ギルガメシュはウルクの王ですから、都市ウルクを称えることはギルガメシュを称えることです。冒頭において、この文言は主人公ギルガメシュを称え、聴き手の気分を盛り上げる役割を果たす言葉であったのでしょう。結末において、それはギルガメシュ自身の口から発せられます。

2012-07-08 23:32:36
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ここでのこの言葉は、「このあとギルガメシュは善良な名君となりました」ということを示しているのだと、現在広く解釈されています。それはそれでいいとして、

2012-07-08 23:36:26
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ここでひとつ、この言葉をギルガメシュ自身が述べているということに注目したい。端的に言えば、これは「これでいいのだ」なのか、「これでいいのだろう」なのか。多分「これでいいのだ」なのだろうと考えつつも、そのどちらでもありうるのかもしれないと感じる。

2012-07-08 23:38:31
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 ギルガメシュは傷心を抱えて帰り着いて、自分の町の威光を見て、思い直したようにも見える。彼はかつて、フンババとの戦いに赴くとき、名誉こそ死に勝るものだと一度は発言しているのですから、ここで「見よ」と告げているのが、誇りを取り戻したことの表れと読み取れる。

2012-07-08 23:42:38
せがわ @segawa

#ギルガメシュ叙事詩 多分そう読み取るべきだろうと思います。一方で、一抹の寂寥感のようなものを感じないでもない、というのは多分私自身の感じ方の問題なのでしょうけれども、ギルガメシュ自身と言うよりは物語が、まだあの長い長い旅から「ここ」へ帰りつけていないような感覚が残るのでした。

2012-07-08 23:45:08
@kk_lz

こうしてギルガメシュの「不死を求める旅」は徒労に終わってしまいます 彼は疲れでボロボロになったその身体でウルクに戻る その後の彼は、今までの圧政をやめて、善良な名君としてその街に君臨する訳ですな 不死は手に入らなかったけど 無駄じゃあなかったんだ と私は思う #ギルガメシュ叙事詩

2012-07-08 23:30:56
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