- miyabi_neko
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そーいえば大谷吉継は、石田三成と仲が良かった、という一次資料は存在しないんですね。親友説はほぼ後世の創作。逆に徳川家康とはほとんど臣従してると言っていいほど密接でした。なので彼が西軍についた理由は、本当に謎。
2012-06-09 20:51:49@moyan4 @showchikubai @Verdun_nkysjan 推測すると、計画の段階では西軍勝利にリアリティがあった。またその上に大きな報酬を約束された、ということが考えられますね。あまり夢のある話ではありませんがw
2012-06-09 20:56:26@1059kanri びっくりするほど心がえぐられましたwwwそうなんですか!?ずっと関ヶ原開戦した後に大谷さんが辞世の句を他の武将と交わして亡くなったってあって「三成には送らなかったのかー」と引っ掛かってたのですが、親友じゃなかったのなら送らないですね…いや、うん…
2012-06-09 20:56:36@caesar_SPQR それが一番現実的な推測だと思います。計画の段階では確かに西軍勝利にリアリティがあったんでしょうね。
2012-06-09 20:57:16@1059kanri 西軍に勝てそうだからついた→対象その他人望なさすぎ→まだいける!関ヶ原で勝てる!→ちょwwww小早川裏切りやがったwwwww俺涙目wwwww てとこですかねぇ。運が悪いというかなんというじゃ
2012-06-09 20:57:34@nosumochi もちろん元秀吉奉行衆の一員として、同僚としての関係は深かったと思います。ただ友人関係があったとする記録はないんですねw
2012-06-09 20:59:48@1059kanri それ以上はwwww まあ、西軍が勝てると読んだらからなんじゃないでしょうかね? 初期ならわりと五分五分というか、西軍有利に見えますし。
2012-06-09 21:02:42えっじゃあ茶碗の回し飲みも創作なんですね RT @1059kanri: そーいえば大谷吉継は、石田三成と仲が良かった、という一次資料は存在しないんですね。親友説はほぼ後世の創作。逆に徳川家康とはほとんど臣従してると言っていいほど密接でした。なので彼が西軍についた理由は、本当に謎。
2012-06-09 21:03:41@1059kanri んで、その計算高く動いたはずなのに運と周りが最悪すぎたから、後世の人が「不利と分かっていても付き従った→友情で結ばれていたに違いない」になったんでしょうかねー…
2012-06-09 21:04:30@wakakusujp あの逸話はそもそも、吉継の相手は三成ではなく秀吉でした。それが後世、秀吉の役回りを三成に取り替えて作られたものです。
2012-06-09 21:06:25@showchikubai そもそも関が原で唯一踏みとどまって戦死した大将級が吉継ですからね。そこから、彼だけは本気で参戦した。本気になる理由があった、という推測が生まれたのだと思いますw
2012-06-09 21:08:34