続・シェリング話
- ttt_ceinture
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もちろん現象と物自体は質的に違うんですが、それらは断絶しているわけではなくて、連続体をなしているという意味です。ベルクソンの引用はその例証として挙げたつもりでした。
2010-06-25 15:35:45これは一般的には、物自体と現象の区別を質的なものとしてではなく、量的なものとして解釈するカント解釈の系譜がある、ということです。QT @waschmaschine : その意味では物自体と現象という二分法は誤っているのかもしれない。
2010-06-25 14:32:16.@waschmaschine 先日話題になっていた哲学者で、ベルクソンとか(初期西田もそうだと思いますが)、その先駆けとしてシェリングがいるってイメージで述べました。だから、ベルクソンの場合も混同ではなくて、たんに連続的に移行可能と考えているだけだと思います。
2010-06-25 15:32:43ベルクソンでじっくり読んだのは『物質と記憶』だけなのでよくわかりませんが、あの質から量への移行については説得されませんでした。彼は「連続的に移行する」というだけでそのロジックを説明していない。ドゥルーズには一応その論理(Spatium) があった気がします。 @assazi
2010-06-25 23:36:21@waschmaschine 四つの主著のうち『物質と記憶』は僕には一番難解でした。ベルクソンは直接論証するより、疑似問題であることを示して問題自体を解消してしまう場合がありますね。あとSpatiumっていうのも初めて知りました。今確かめたら『差異と反復』にも出てくるんですね。
2010-06-26 12:27:05.@assazi フィヒテとシェリング、目指す極は違えど、カント翁が(敢えて)なに一つ発生論的に語ってくれなかったことに対する不満という点では根本的に一致してますね。
2010-06-24 19:15:47かかる基本的視座を確保しておけば、スピノザ、ヒューム、シェリング、ベルクソン、ドゥルーズが直線でつながるという指摘に異論を挟む余地はないように思われる。
2010-06-24 19:19:32他方、一見すると意識の発生論を語っているかに見えるヘーゲルにおいても思惟する意識の自由は所与かつ因果論的/発生論的には未規定であることに思い至ると、カントを批判しているようでその実最も忠実だったのは彼かも知れないと思ったりもする。
2010-06-24 19:23:56カント、ヘーゲルいずれの意識も常に既に自然からは切り離されてしまっている。しかしこれこそが、人間に自由を賦与するための要であろう。これを拒否すれば、行きつく先はアイデンティティクライシスに苦悶するシェリング的創造神あるいは世界の全てを産出するかのごときフィヒテ的統覚しかないような
2010-06-24 19:31:07よかった、まんざらウソでもないんですね。QT @ox11 :かかる基本的視座を確保しておけば、スピノザ、ヒューム、シェリング、ベルクソン、ドゥルーズが直線でつながるという指摘に異論を挟む余地はないように思われる。
2010-06-24 19:25:37あるものに対して「かけがえのなさ」を感じることは,「このもの性」を認めようと欲することではあるかもしれない.しかし,「このもの性」を認めるべきかどうかとは異なる.
2010-06-24 19:32:28たとえば,死んでこの世にはいない恋人と,知りうるかぎりではすべてが──容貌も,身体も,声も,性格も,そして記憶も──同一であるようなひとが生きて現れたとしたら,別人だと断定できるか.
2010-06-24 19:34:44つ タルコフスキー『ソラリス』 RT @Yonus_Mendox: たとえば,死んでこの世にはいない恋人と,知りうるかぎりではすべてが──容貌も,身体も,声も,性格も,そして記憶も──同一であるようなひとが生きて現れたとしたら,別人だと断定できるか
2010-06-24 19:36:14ライプニッツは『形而上学叙説』において,個体概念と「このもの性」とをある文脈でほとんど同一視している(第九節).しかし,同一視できるのか.
2010-06-24 19:41:11無論,「不可識別者同一の原理」を提示することになるのだろうが,はたして人間が獲得する可能性のある視点から適用してよいものだろうか.
2010-06-24 19:45:31.@Yonus_Mendox いかに特異なものであろうと、そこに「自由」や私の想像を絶するもの(あるいはそのものがうちに含み持つ単なる論理的可能性以上の何か)が加わらなければ、「かけがえのなさ」というScheinは出来しないと僕は思う。
2010-06-24 19:44:32@Yonus_Mendox 理論的判断の見地における論理的必然性をその都度変更する力、Kantisch gesprochen, das Vermögen frei zu handeln oder Urheber der neuen Zeitreihe zu seinってとこすかね
2010-06-24 20:00:23