- toshihiro36
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<ナレーション> 使用済み核燃料は再処理工場に送って処理を施し、ふたたび燃料として使います。こうして燃料をリサイクルし続ければ、計算上はおよそ1000年にわたってエネルギーとして利用し続けることができるというものです。
2012-06-17 23:55:01<ナレーション> 島村たちが核燃料サイクルを目指したのには理由がありました。1941年、アメリカ・イギリスなどはアジア太平洋地域で勢力を伸ばす日本に対し、経済封鎖で牽制しました。石油が輸入できなくなった日本は、追い詰められ戦争に突入していきました。
2012-06-18 05:59:53伊原:太平洋戦争に日本が突入した理由のひとつに、資源エネルギーをいかに確保するかということがあったのは周知の事実です。長期的に見て日本のように資源の乏しい国は、原子力の平和利用というのが非常に有効な手段であるということは事実です。
2012-06-18 06:09:22<ナレーション> 1956年6月、科学技術庁の島村たちは核燃料サイクルを研究する、最初の会議を開きました。その議事録が残されています。会議で話題の中心になったのは、核燃料サイクルにトリウムという物質を利用する案でした。
2012-06-18 06:15:18議事録より:日本の場合、将来何を考えるかというと…国内には原子燃料の資源が非常に乏しい。 去年のジュネーブ会議では、トリウムの方が調べてみると、ウランの10倍くらい多いということだ。 わりにアジアというか手近なところに資源もありそうだ。
2012-06-18 06:20:10<ナレーション> 当時、各地でトリウムの新たな鉱床が発見されていました。島村たちは資源の安定的な確保の面から、日本に最も適しているのはトリウムだと考えたのです。
2012-06-18 06:22:39議事録より:資源的に考えてトリウム増殖の方に、一意専心突っ込んでいった方がよくないか。なるべく早くトリウム型の炉というものに手をつけて、ゼロパワーのものから始めて、主力を傾注していくべきではなかろうか。
2012-06-18 06:25:54伊原:プルトニウムの缶詰を「これだ」って見せてくれまして。缶詰にしないと酸化してしまいますからね。それで金属プルトニウムを缶詰にしてある…手で持つとポカポカと温かいんです。これは崩壊熱っていいまして元素がどんどん壊れていく時に熱を出すんです。
2012-06-18 06:32:42伊原:それで缶詰があったかいと。これを手に持った日本人は少ないと思いますけどね。日本でも早くこういう缶詰を作りたいなと思いましたね。
2012-06-18 06:35:47<ナレーション> 伊原さんが派遣されたアルゴンヌ国立研究所では、世界最先端のプルトニウム研究が行われていました。当時、研究用の高速増殖炉のEBR-1で、実験中にひとつの発見がありました。プルトニウムをウランと混ぜて核分裂させると、増殖というプルトニウムが増える現象が確認された。
2012-06-18 06:43:48伊原:私はEBRの見学に行きまして…ごく小さな原子炉でしたけれども、増殖が実証されたということで…その原子炉を見たとき、たいへん感銘を受けました。たいへん素晴らしい技術だなあと。ぜひ日本にもこの技術を導入して、完成させたいなと思いましたね。
2012-06-18 06:48:14<ナレーション> 高速増殖炉の中で飛んでいる中性子が、プルトニウムにぶつかると核分裂を起こします。そこから飛び出した中性子が燃料に混ぜたウランにぶつかると、新たにプルトニウムに生まれ変わります。
2012-06-18 06:53:22<ナレーション> この連鎖が繰り返されることで、ウランがプルトニウムに生まれ変わる増殖が起こり。前よりも多くのプルトニウムが得られるのです。しかしプルトニウムには負の側面があります。長崎に投下された原子爆弾、その材料はプルトニウムでした。
2012-06-18 06:56:11<ナレーション> アメリカが莫大な予算をつぎ込みプルトニウムの研究を始めたのは、もともと核兵器を開発することが目的でした。当時、被爆国である日本の国民の間では、激しい反核運動が巻き起こっていました。
2012-06-18 07:01:23<ナレーション> それでも伊原さんたち科学技術庁の官僚は、軍事利用できないトリウムではなく、あえて増殖という他の物質にはない利点をもつプルトニウムを選んだのです。
2012-06-18 07:02:21伊原:まあ日本の原子力関係者は、原子力の軍事利用なんて全く考えていませんでしたから。そういう頭が全くない…まあ、平和利用ボケかもしれませんけどね。みんな平和利用のことしか考えてなかったのは事実ですね。
2012-06-18 07:58:28伊原:いまの若い方はどうか知りませんけども、我々の世代には資源論が頭の中に重要な問題としてあるんです。いまは世界各国から何でも輸入できますから、いまの若い方には資源論はピンとこないかもしれませんけどね。
2012-06-18 08:00:28<ナレーション> 伊原さんたちの判断には、原発に使われたプルトニウムだからこそ、逆に研究対象にすべきという科学者たちの考えが影響していました。日本の物理学の第一人者、武谷三男の言葉です。
2012-06-18 08:04:07武谷の言葉:原爆で殺された人々の霊のためにも、日本人の手で原子力の研究を進め、人を殺す原子力研究は、日本人の手で絶対に行わない。日本人は原子爆弾を自らの身に受けた世界で唯一の被害者であるから、原子力に関する限り日本人は最もこれを行う権利を持っている。
2012-06-18 08:08:56<ナレーション> 核燃料サイクルを政治家も支持しました。1954年には国の予算2億3500万円が、原子炉の建造のためにつけられました。推進者の一人が自由党の衆議院議員・前田正男。島村研究会に招かれた前田は、当時について語っています。
2012-06-18 08:13:39