- toshihiro36
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前田:あの当時からもう今で言う燃料サイクルですな、その関係は国が握ってやれと。燃料サイクルの施設が早く作られて、そういうようなことは当然…の本のエネルギー保障という対策から、国が責任をもって管理しなきゃいけないと。国の予算でやらないとというのが、1番大きな思想だったと思いますね。
2012-06-18 08:19:07<ナレーション> 原子力予算は年々増加、4年後には初年度の30倍を超える77億円にまで達しました。核燃料サイクルは国策として位置づけられました。1956年には日本原子力研究所が設立され、全国から科学者が集められました。
2012-06-18 08:24:23<ナレーション> 核燃料サイクルの要として、まずプルトニウムを燃料とする高速増殖炉の開発が始まりました。開発にあたり参考にされたのが、アメリカの高速増殖炉・EBR-1でした。当初、科学技術庁の官僚たちはアメリカの技術をそのまま導入すれば、容易に高速増殖炉は作れると考えていました。
2012-06-18 08:27:08島村(録音):その当時の気持からいえば、高速炉というのはすぐにもできるように思ったのよ、最初になにした時は。実験炉は方々に外国にありましたしね。言いかえればね、日本は後発で始めたと。そのとき目標は何に置くか。
2012-06-18 08:32:35<ナレーション> しかし研究開始の直前、アメリカのEBR-1で炉心溶融事故が起きました。高速増殖炉はいったん制御がきかなくなると、暴走し炉心溶融に至る致命的な欠陥があることがわかったのです。高速増殖炉では炉心を冷やす冷却材として液体のナトリウムを使用します。
2012-06-18 08:39:39<ナレーション> プルトニウムを増殖させるために連鎖反応を起こすには、中性子を減速させないことが重要になります。冷却材に水などを用いると中性子が減速してしまい、連鎖反応を起こすことができません。これに対しナトリウムは中性子を減速させないため、連鎖反応を起こすことができます。
2012-06-18 08:43:44<ナレーション> しかしナトリウムは水に触れると、化学反応を起こして爆発するというデリケートな性質をもっていました。ナトリウムが漏れたり、中に空気が入らないよう、配管には高い気密性が必要です。そのための基礎研究を積み重ねなければ、実用に至らないことがわかったのです。
2012-06-18 08:47:48<ナレーション> アメリカの技術を導入すればよいという目論見は破れました。 アメリカは技術的に困難が多い高速増殖炉に見切りをつけ、新たな形式の原子炉に主軸を移し始めました。軽水炉です。軽水炉は冷却材として水を用いるため増殖はできませんが、設計が単純で費用も安く抑えられました。
2012-06-18 08:52:44<ナレーション> アメリカの軽水炉メーカーは、日本の電力会社に売り込みをかけてきました。完成までをメーカーが一括して請け負い、電力会社はキーを受け取るだけですぐに運転できる「ターンキー契約」が売り物でした。独自の原子力技術を持たない日本の電力会社にとって、これは魅力的でした。
2012-06-18 08:58:02<ナレーション> 各地に軽水炉原発が次々に導入されていくことになります。軽水炉ブームとなっても科学技術庁の島村たちは、高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルを諦めたわけではありませんでした。
2012-06-18 09:03:26<ナレーション> 島村たちは軽水炉原発から出る使用済み核燃料を、核燃料サイクルの資源として再利用することにしたのです。軽水炉の使用済み燃料には少量のプルトニウムが含まれています。再処理によってプルトニウムを取り出せば、高速増殖炉の燃料として利用することができます。
2012-06-18 09:05:50<ナレーション> 使用済み核燃料をゴミとして捨てるのではなく、核燃料サイクルの資源として有効利用しようというのが島村たちの考えでした。島村たちは電力会社に、使用済み核燃料は再処理し、プルトニウムを取り出すように求めました。
2012-06-18 09:09:59<ナレーション> しかしこの頃、電力会社は導入したての軽水炉で燃料棒が破損するなどの事故が相次ぎ、それどころではありませんでした。東京電力の元副社長・豊田正敏さんは、使用済み核燃料の再処理は国が主体となってやるべきだと考えていました。
2012-06-18 09:13:42豊田:当たり前ですよ、そんなの引き受けられませんよ。軽水炉をトラブルのないものにするというのが最大の使命で、反対もしないけれど積極的にはやらないという考え方じゃないですかね。それがいいとか悪いとか、私は言えません。
2012-06-18 09:17:56伊原:電気事業者っていうのは基本的には政府不信ですからね。我々がちゃんとやってはじめて仕事ができるんで。「お上のやることが、どれだけうまくいきますかね」という冷たい目をもっていますからね。私どもが原子力の仕事を始めたときは、役所も民間も区別がないんですよ。
2012-06-18 09:23:09伊原:メーカーも電力会社も区別はない。みんな原子力屋で共同の目標をもって仕事を始めたわけですね。だから、その人たちが仲間割れをするようなことがあっては困るわけなんですね。共通の目標に向かって努力をする...最初からそういうことで、きていたわけです。
2012-06-18 09:28:01<ナレーション> 使用済み核燃料の再処理に消極的な電力会社。島村研究会では、国が何とかして電力会社を核燃料サイクルに導こうとした様子が語られています。
2012-06-18 09:32:16四国電力顧問・田中好雄:軽水炉に金出してないというとね、昭和42年だったですね…あの時に、まあこれを今言うとまずいことになるかもしれませんが…軽水炉は確立された技術で売り込みも来てるんだから、そっちの方にお金を出さんでもいいだろうという説がある有力な筋から来て。
2012-06-18 09:40:14田中:それでそちらの方は、切ってもらったという経緯があるんですよ。それで次は再処理の問題だっていうんで、再処理の方へお金がずうっと流れはじめたような記憶があるんですよね。
2012-06-18 09:43:10<ナレーション> 国は予算を軽水炉の運転のためではなく、核燃料サイクルの確立のために重点的に投じていくことにしました。1973年に起きたオイルショック、石油に頼る火力発電は将来が危ぶまれるようになります。
2012-06-18 09:48:54