集合知とは何か Wikipediaは集合知か
@faythe4step @kawango 集合知には、たしかに群集知という区分けもあって、その分野に特化し卓越した知識をもつ専門家とそれ以外ではまた話がいろいろ分かれるのかもしれない。Firefoxでいえば、ユーザーによるフィードバック、バグ報告、ってのも群集知になりますね。
2010-01-15 03:04:41@kawango 詩的表現ではありません。学問というのは、定義として集合知なんですね。kawangoさんのいう「集合知」っていうのは、なんかずいぶん狭義なものを求めておられるようです。
2010-01-15 03:30:59まず、ぼくが最初に言いたかったのは、世間一般的に集合知であるといわれたり、思われたりするものが実に低レベルの知性しかもちあわせていないものが多いということです。たとえば世論?といわれているものです。これは現実には合理的な推論ではなく感情の集計にすぎなかったりします。
2010-01-15 03:35:09意思決定の手段としてこういった集合知を用いても人気投票以上の意味は持ちません。一方、集合知がすぐれているという例によくだされるwikipediaというのは実は意思決定をおこなえるような集合知は提供していません。
2010-01-15 03:38:36@kawango それは問題の階層が異なります.世論という民主主義社会で重視されるファクターは、民主主義の欠点である衆愚統治の側面があり世論=衆愚となりやすいですがそれはマスメディア支配によって起こりやすい。今おこっているソーシャルメディアへの移行は集合知への移行と言っても良い。
2010-01-15 03:38:44@kawango ダウト。集合知、つまり知の共有がうまく機能していない集団において、単純多数決とは確かに衆愚の意思決定となります。しかし集合知とは、そういうものと対極にあるものです。
2010-01-15 03:41:25kenokabeさんも自分でいっているようにwikipediaにおいての集合知のおこなう意思決定らしきものは、wikipediaの内部統治においては確かに機能しています。しかし、文章をつくっているのは集合知ではなくあくまで人間の個人的作業です。
2010-01-15 03:43:36@kawango 「意思決定も行える集合知」=集合知 という定義なのですね。あんまりそういう狭義から集合知を語ると、集合知の本質からかけ離れる議論に陥りやすいでしょう。
2010-01-15 03:43:43そういう意味においてwikipediaというものは人間の共同作業を集合知によってうまくコーディネイトする仕組みであるとは理解してもいいと思います。
2010-01-15 03:46:41@kawango ですから、「文章をつくってるのが個人の作業」であっても、そういう個々のばらばらの作業が、出典の追記、削除、組み直し、項目の統合、分離、自律的に統制され、構造的に体系的にプレゼンテーションするフォーマットにまで昇華させるのが集合知でしょう。
2010-01-15 03:47:09wikipediaってどうやって運営されてるのかしらないなー。トップが意見を聞きながら、これがいいんじゃね?って決めてんのかな
2010-01-15 03:49:27@kawango 結局のところ、コーディネーションも含め、集合知の結果と認めるのであれば、コーディネーションがないから集合知なんて機能しない、という主張は自己矛盾になりますね。私が最初から一貫して主張しているのは、そういうことです。
2010-01-15 03:55:23いや集合知の定義は一般にはもっと広い意味でつかわれていて、ぼくも別に狭義で理解したいと思っているわけではないですが、kenokabeさんのように本当はもっと性質を分類して語るべき集合知をごっちゃにしているひとが多いというのに問題意識をもっています。
2010-01-15 03:57:08くりかえしになりますが、世間一般でよくつかわれる集合知は集団的意思決定の手段よ思われていることが多い。もうちょっと高度なほうはさっきつぶやいたwikipediaのパターンです。
2010-01-15 04:02:35@kawango それについて、別の側面から考えてみましょう。集合知という概念が整理されることなく多くの人間が語るようになれば、kawangoさん、そして私のようにその現象自体を語るメタ議論も起こります。
2010-01-15 04:03:30@kawango つまり、こういうtwitterっというごった煮という群集という数の力があってはじめて、こういう問題認識、問題解決の共有がなされ、それではじめて、集合知の概念整理化という知的作業が可能となります。これって集合知による利益ですよね?
2010-01-15 04:05:10wikipediaにおいて、ややこしいのはwikipedia自身が百科事典だから、wikipediaがまるで知を生み出したかのような誤解を与えやすいのですが、wikipediaにおける集合知のはたらきは共同作業の組織化にあって、結果ではない。
2010-01-15 04:07:37@kawango これは結構微妙ですね。wikiediaによるアウトプットもあれは記事のノートご覧になればわかるが結構衝突しているんですよ。編集合戦。で、3回以上差し戻ししてはいけないとか自律的にルールが構築されてノートは喧々囂々の議論の末、記事をどうするか意思決定があるんです。
2010-01-15 04:09:37@kawango 合理的な意思決定って、①リスクとリターンを正確に認識し、②計測の後、③選択肢間を比較して、最もリターンの大きいものを採用すると思います。①と②をするにはその道の専門化とか関係者が情報提供すればいいわけですよね。ここで集合知が使えるのかなと思います。
2010-01-15 04:11:05@kawango それも結構限定した見解だろうと思います。確かにWPでは独自研究は禁止されていて、外部の一定の権威あるソースから情報ひっぱってきて再構築されるという立場です。しかし、その外部ソースはもともとは誰かの知的作業を土台とした仕事です。
2010-01-15 04:13:56@kawango ただ、リスク・リターンのすべて洗い出して、正確に認識できない場合はどうしても不確実性がうまれてしまいます。この不確実性がやっかいなのかなとおもってます。で、前の①、②、不確実性の三カ所に集合知って使えると思うのです。
2010-01-15 04:14:50@kawango リスクリターンの洗い出し、計算も不確実性も専門化と関係者がやればよくて、関係のない人が口を出し始めるからめんどいのかなと。なので、専門化・関係者を洗い出す方法ができればいいのかなあ、と思ったりしました。長々と横から失礼しましたm(_ _)m
2010-01-15 04:16:26