死の哲学の不純さのこと

死にたくないでござる。
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谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

ああ、死の哲学は不純な哲学なのだな。死を哲学することは、本当は文学することなのだろう。

2012-06-27 23:34:36
ふかくさ @fukaxa

@Taroupho 宗教のポジションはどこになるの?

2012-06-27 23:38:58
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

宗教は死を忘れることです。 RT @goodmad 宗教のポジションはどこになるの?

2012-06-27 23:50:07
ふかくさ @fukaxa

@Taroupho じゃあ宗教(忘れる)と哲学(そらす、ぐらいか)は文学の反対側という点で似ているのだな。

2012-06-27 23:52:09
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

@goodmad いえ、そもそも哲学だけが「死に対して態度を取ることを身上としない」という点において、その三者のなかでは異質のものです。哲学のお仲間は、むしろ数学とかではないかな……。

2012-06-27 23:57:04
ふかくさ @fukaxa

@Taroupho ではTANI_Ro^hei的には倫理学は哲学から除外されそうだな。歴史的には「死の練習」という別名もあるが。

2012-06-27 23:58:56
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

@goodmad 哲学に宗教の混じったものを、そう呼んだのでしょう。だいたいなぜ、死と倫理が結び付くのですか?

2012-06-28 00:01:55
ふかくさ @fukaxa

@Taroupho 大義のために死ぬ、とか、自殺すべきかといった場面を念頭におけば結びつくのだろうね。あるいは、生の価値と死の価値とを結びつけるのも自然な発想じゃないかね。

2012-06-28 00:03:52
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

@goodmad ああ、実践的に死の水準を担保できますね。少なくとも哲学ではないと思いますが、文学とはまた少し毛色が違うかも知れません。しかし、倫理学なんて本当にあるのかしら。

2012-06-28 00:10:10
ふかくさ @fukaxa

@Taroupho 「倫理はあるが倫理学はない」という人と「倫理はないが倫理学はある」という人がいそうだね。

2012-06-28 00:14:29
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

@goodmad 哲学、文学・・・に関しては両方あると思いますが、倫理については確かにね。「倫理はないが倫理学はある」という意見が正しい気もします。

2012-06-28 00:28:17
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

「伝説によれば、彼は目隠しをしながら弟子達に懐疑主義について説明しており、弟子達の、目前に崖があるという注意を懐疑したことにより不意の死を迎えたと言われている」 http://t.co/xOLTqjI5

2012-06-28 00:17:35
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

むしろ、死を問わないことにおいて、哲学(というゲーム)は成立するのかも知れない。サッカーに喩えれば、哲学者は死というゴールに力一杯蹴り込むのだが、しかしゴールネットを突き破るほどには蹴らない。そんなことをしても得点が増えはしないことをよく知っているからだ。

2012-06-28 00:40:59
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

中島さんの「ならず者」というのも、そういう話か。哲学者の死との関わり方は、いつもピュロンに似ている。しかし、そうした意味では文学も大差ないか。そもそも「死と関わる」なんてことが、いかにして可能なのだろうか?(などと、また「哲学的な」問い方をしている!)

2012-06-28 00:48:55