【ゾンサバ小説】軍人サークと小さな夢【6日目】
「しかしこれが人災なら、当然ワクチンの一つも研究されているだろう」サークが淡々と述べる。「件の治療薬とやらがある以上、本当にそうなのかもな。それは実際に効果がある代物だったのか?」エイミが答えた。「恐らく。明らかにゾンビになりかけていた者が、症状を回復したのは見ました」103
2012-07-05 00:34:56「であれば治療薬の入手はしておきたい。原因の究明は事態が片付いてからで十分だ。あとは…食料だな。現状でどれだけ持つ?」「今のペースならあと一週間。節約すれば十日といったところでしょうか」「ただし人が増えたら話は別ッスけどね」「念のため、食料の確保も必要か」 104
2012-07-05 00:37:20「当面の目的は、第一にこの建物の安全と食料の確保。第二に外部への脱出経路の確保及び脱出。第三に可能な限りの生存者の救出。第四に治療薬の入手。この方針で行くべきかと思うが、異論は?」「ありません、サー!」その場にいた全員が、異論はないと同意した。 105
2012-07-05 00:39:48ショッピングモールの中央回廊は天井がガラス張りになっているため、月の光が差し込み、夜でも薄明るい。しかし奥の店員用通路は話が別だ。小さな窓から取り込んだ仄かな月明かりと、外から見えないよう点々と置かれたカンテラの小さな光だけが目に届く。106
2012-07-05 00:41:56サークはかすかな月明かりの元、手元のカードの山をじっと眺めていた。一枚をしばらく眺め、次の一枚へ。繰り返し、繰り返し。それはこれまで倒したゾンビの持っていた身分証だった。様々な人間がいた。白髪の男。眠そうな顔の女。高校生。にこやかな老人。女子大生。そして、幼い子供。107
2012-07-05 00:43:26はっきり言って、ゾンビの姿と身分証の顔が頭の中で対応する人間は半分もいない。人間だった頃の面影が強く残っているか、髪型が同じ場合に辛うじて判別がつく程度だ。残りは誰が誰だかわからない。しかし彼らは既に全員が死亡し、街には彼らの首なし死体がまだ転がっているはずだ。 108
2012-07-05 00:45:02通常、戦場では敵の一人一人を個として識別することはない。いちいち相手の顔を見て、その人生を考えていては戦えないからだ。実際今回もサークはそのつもりでゾンビを殲滅してきた。だが相手を仕留めたあとは、何故か、倒れた腐乱死体が敵ではなく、味方のそれに思えてならなかった。 109
2012-07-05 00:46:53自分でも非常に危険な考え方をしていると思う。敵の生きていた痕跡を墓標代わりに集めるなど、戦場でやったら問題になるレベルだ。ボブが怪訝な顔をしたのも頷ける。だが、クローゼットの中でうずくまっていた少年が、手元のペンダントでカメラに笑いかける親子が、サークの心を衝き動かす。 110
2012-07-05 00:48:09もしこの騒ぎから生還できたとして、周囲からサークの行動がどう見えるのかはわからない。悪趣味だと罵られることもあるだろう。危険な性癖と糾弾されるかもしれない。だが、事が落ち着いたのち、彼らの生きた証が、縁者の手に渡ればいいと思う。たとえそれが悲しみを呼ぶだけであってもだ。111
2012-07-05 00:49:58身分証の束をバックパックに仕舞い、サークは頭を切り替えた。感傷に浸る暇があるなら当面のことを考えなくてはならない。すぐに脱出の糸口を掴めそうにない現状、まず確保すべきは食料とこの建物の安全だ。食料については、少しでも枯渇を遅らせるため、自らの持つ食料の一部を提供した。112
2012-07-05 00:52:01防御壁の増築は、昼間の明るい時間帯に、周囲にゾンビの影がないことを確認しながら少しずつ進めるしかないだろう。できれば武器が欲しいところだったが、ボブやエイミが持ち出せたのは自分たちの最低限分だけ。通信機も同様だ。これでは足りない。壁が完成するまで耐えられる火力が欲しい。113
2012-07-05 00:53:34場合によっては、もう一度基地に行く必要があるかもしれない。武器庫は全滅したが、探せばどこかに銃の一丁は残っているだろう。エイミの話だと外部への通信手段は全て内輪揉めで破壊されたそうだが(愚かなことだ)、万一修理が可能なら外部への連絡が、ひいては脱出への道が見えてくる。114
2012-07-05 00:55:04限りなく暗闇に近い薄明りの中、サークの目に闘志が漲る。行動は早い方がいい。明日にも動き始めよう。そう決意した瞬間だった。深夜のショッピングモールの中に、つんざくような少女の悲鳴とけたたましいガラスの破砕音が木霊した。 115
2012-07-05 00:56:456日目(後半)
会議室を飛び出したリッカは人気のないモールを駆け抜け、東側の外れにある洋服店のカウンターの中に座り込んだ。体力のないリッカはわずかな距離の全力疾走でへとへとになり、座り込むなり荒く弾んだ息を整える。胸にはまだ整理できない感情と、決して少なくない罪悪感がある。116
2012-07-06 22:50:32リッカ自身も、先の行動が八つ当たりだったことは十分に承知している。それでも叫ばずにはいられなかった。長い間崩壊状態だった家族。妹の最期の言葉をきっかけに、ようやく再スタートを切るところだったのだ。それもほんの一瞬でぶち壊され、生き残ったのは自分だけ。涙も出ない。117
2012-07-06 22:52:11(私の最期のお願い。みんな、仲良くしてね)病床で、呼吸をするのもつらそうな妹が辛うじて絞り出した言葉に、リッカも、母も、父も息が詰まった。それぞれが勝手な主張で他人同然の暮らしをしていたことを死ぬ程後悔した。父は土下座し、母は泣き崩れ、リッカは無言で二人の手を握った。118
2012-07-06 22:53:41ぎこちない家族の暮らしが再び始まった矢先、それは起こった。「逃げろ!」父の怒声に驚いて駆けつけたリッカの目の前には、血まみれで床に倒れて動かない母と、ゾンビに首筋を噛まれながら必死にリッカを逃がそうとする父がいた。ショックで動けないリッカの目の前で、父は力尽きた。119
2012-07-06 22:55:11ゾンビが、父を、母を食べている。「みんなで同じものを食べたい」と同じケーキばかり何個も買ってきた父を、高い化粧品類を全部捨ててダサいエプロン姿になった母を、ゾンビは程なく食らい尽くした。次の獲物を求めて、ゾンビの濁った瞳がリッカを捕える。自分もここで死ぬのだと思った。120
2012-07-06 22:56:31その瞬間、風のように乱入してきた軍服姿の女性が小銃を構え、ゾンビに向けて銃弾の雨を浴びせた。ゾンビの息の根を止めたことを確認すると、女性…今なら名前がわかる、エイミは振り返り、リッカの手を掴んで走り出した。そしてさらわれるように避難所へと連れて来られ、今に至る。121
2012-07-06 22:57:51遺品はひとつも持ってくることができなかった。だからなのかもしれない、とリッカは思った。自分がどこで何をしているのか、まるで現実感が伴わない。今にも何かの拍子に目が覚めて、また平和なリビングのソファで寝てしまった自分を発見するのではないかという気がしてならなかった。122
2012-07-06 22:59:20大半の生存者達は会議室かその周辺に引きこもり、地上階にはめったに降りてこない。モールは沈黙に包まれている。疲れ果てたリッカにとって、静寂は何にも勝る安らかな子守歌だった。体育座りでカウンターの陰に隠れたまま、膝に顔をうずめて、いつしかリッカは小さな寝息を立てていた。123
2012-07-06 23:01:02リッカが目を覚ますと、周囲はすでに暗闇に沈んでいた。すっかり夜になってしまったようだ。カウンターから顔を出すと、誰もいないモールの中央回廊が月明かりに照らされているのが見える。そろそろ心配されているかもしれない。リッカは会議室に戻るべく立ち上がった。124
2012-07-06 23:02:53