『オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー』への反応
- southmtmonk
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@gishigaku ポストモダニストって結構カスタネダ・ファンが多いような気がしますね。ドゥルーズ=ガタリも『千のプラトー』で肯定的に引用してるし…。(フロイトはさんざん叩くくせに)
2012-07-11 13:16:441960年代に始まるポストモダニズム好みの言説をインディオに仮託して汎人類史的あるいは神話的な権威を与えたわけだから当然かと @tsuneduka ポストモダニストって結構カスタネダ・ファンが多いような気がしますね
2012-07-11 13:27:08カスタネダ容認論というのはドンファンが架空だとしても内面的真実に基づいている、という主張だけど実際にはその真実性はドンファン実在を担保としてのみ成り立つわけだから詭弁でしかない。
2012-07-11 13:32:50しっかり読みました "@tsuneduka: オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー #BLOGOS http://t.co/Ert9baxx"
2012-07-11 12:54:37ボク個人は、哲学科出身で宗教学に転科したことから 宗教哲学をむしろ意図的に避けて学ばなかった 宗教社会学を意図的に学び、その内部で先鋭化して「宗教政治学」を標榜するまでになった しかし、博論提出後 その限界を痛感した んで、宗教哲学を学びなおしてるここ数年
2012-07-11 13:37:53(社会学による政治論は、宗教社会学の人たちにはほとんど顧みられてなかった 今や事態はほんの多少にせよ改善している)
2012-07-11 13:40:27ボクの考え方では、哲学は主観/客観という粗雑な対概念では語れない 宗教社会学における研究者個々の価値観の潜入という問題は、当人たちのあいだで非常に熱心に、はっきり云えば激烈な相互批判のもとに反省されてきた
2012-07-11 13:46:09島薗進批判をするならまだ多少分かるが(それはなかなか手ごわい課題だ)、中沢先生と島田先生で「宗教学」を代表させたり、お二人から学問制度論を展開するのは どうしたってフェアじゃない (80年代の社会と学的言説におけるオカルトブームに注目するのには 大賛成!)
2012-07-11 13:50:54広範な論争的状況がすすみ、当事者ですら論点整理がむずかしくなった段階で 特定の立場を尖鋭化させる論者に 注目と人気があつまる、っていう(近代的)公共圏では構造的に生じる傾向 「断定のカリスマ」(コンドウ独自用語…のはず)
2012-07-11 14:21:42文系学問の方法論でいえば、実証と直感/妄言とのあいだのグレーゾーン 仮説とか類推とか蓋然性とか状況証拠とか そういう(これまたひとつの)理性の働きにより形成される領域… そこをどう処理できるかで、「(文系)学者」(笑)の真価はきまっちゃうんじゃないかなぁ…
2012-07-11 14:25:18もう…この宗教学についての単純化された理解、スケープゴート化に対して 何百回説明してきたことだろう… 死ぬまでつづくんだろうなぁ…
2012-07-11 14:43:30@Leethoo_Tat ホントにもう…ここ20年ぐらいずっとですよ… 宗教学は、宗教学・学(学説史と方法論の反省)が大好きな専門分野でして、むしろこんなことばっかりやりやすい傾向があるんです…
2012-07-11 14:49:59@Leethoo_Tat 80年代半ばから、世界的な傾向(といっても、米国中心)として宗教学・学が探求されはじめ、同時に世間様の方でも 宗教学について疑惑の目を向けはじめた(日本ではオウム事件が契機)、っていうことです しかし、その批判の型自体は 1940年代には出揃ってました
2012-07-11 14:56:33@mittsko ということは実質70年以上も前の全く同じ型の古い批判がずっと延々と繰り返し行われているのですか…。時が止まっちゃってますね…。そういう宗教学・学って結局何を結果として残すんでしょう…。
2012-07-11 14:59:58@Leethoo_Tat 他の文系学問分野も、70年ぐらいは通常だと思います さて、まさに仰る点が重要です、宗教学・学によって 宗教学なんていう枠組みを相対化してしまえるような、知的/理性的な言説の場ができあがるのが理想だと、ボクは思います
2012-07-11 15:02:16大田君のこのインタビューを読んでつらつら考えてしまった。宗教学って一体どうあるべきか、という事を。 オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー #BLOGOS http://t.co/sXIu45Tj
2012-07-11 15:05:16大田君のインタビュー読んで気になったのは、本の感想とも重なるけど「なぜオウムだったのか」というユニークネスが後景に退いていることと、逆に柳川啓一イニシエーション論(とそれに影響された弟子たち)が特別扱いされていること。オウムに関しては一般論、宗教学者については特殊論、という感じ。
2012-07-11 15:07:21宗教で救われた人は多かろうが、「宗教学」で救われた人はどれほどいるのだろうか。そう公言していたも多少いたにせよ。「居場所」というような話なら、殊更宗教学である必要もないしなあ。
2012-07-11 15:01:06現在、学説史っぽい研究を少しだけしていてふと思ったのだが、「師匠から弟子への学統の継承」って、どこで判断すればいいのだろうか。僕は指導教官の先生を尊敬して大変影響を受けていると思うけど、論文で引用したこともないしね(分野をずらしたので)。
2012-07-11 15:19:12.@t_kawase 研究方法に対するあの緩さの中で、結局は自分探しをしていたにすぎない、と言われると、当たってるところがなくもないなと… どうあるべきかなどと今さら言うことが許される自分だとも思わないですが
2012-07-11 15:26:30@motoshinakatani でも、「自分探し」は他の学問でもあり得るんじゃないの、という素朴な疑問が。宗教学や人類学、社会学はそれは表に出やすいだけで。僕も実は「どうあるべきか」なんていう議論はあまりしたいとも思いません。論文読んでもらって「なるほどね」と言われれば十分。
2012-07-11 15:31:39