- toshihiro36
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昨日、柳川先生と山本さんと一緒に為末大学についての打ち合わせをした。僕が司会をするという事以外はあんまり決まっていなかったのだけれど、話していくうちにすごく面白くなっていって、頭の中でだいぶ実際の現場の空気がイメージできてきた。
2012-07-21 08:00:19例えば、家族が病気になって治るかどうか可能性もよくわからない時、人工呼吸器をつけるべきかどうか。論文ではうまくいくと言われている治療法にトライして、10回失敗したとしたら、11回目はやめるべきか、それとも論文に従うべきか。
2012-07-21 08:03:06ラーメン屋さんに並んでいる時に、どうしても食べたい老人が更に2000円を出して順番を抜かす事は、いい事かどうか。むしろお金を出すから問題なのか、例えばそれが希少な治療法を待つ患者の列だったらどうなのか。もしあなたが店主や医者だったらどうするべきなのか?
2012-07-21 08:07:169.11のような時、明らかに政府関連の施設に向けて飛んでいた飛行機を撃墜すべきか。政府関連の施設ではなく無人の場所をめがけている可能性は少しは残る。でも、そうではなかった時の被害は大きい。撃墜するという事はつまり乗客を殺す事。そして誰かを助けたかどうかは、結局わからない。
2012-07-21 08:10:53物事の選び難さは、突き詰めると見捨てるものをはっきりさせる事からくる。そして情報はいつまでも不完全で、かもしれないという可能性を残したまま選ばないといけない。どちらを選ぶんですかと聞いて選んだ後で、つまり選ばなかった方を見捨てたんですねというと、多くの人は怯む。
2012-07-21 08:15:54実は人は日頃、自分の気付かぬ所で何かを見捨てている。でも、それを普段意識していない人は、いざ大きく選ばないといけない局面で、捨てるものの大きさを前に怯む。そして選びきれぬまま時間が過ぎて、状況はどんどん悪くなる。救わないものを決められない人は、救える可能性をどんどん減らしていく
2012-07-21 08:23:01【終わり】かわいそう、と言いながら選べず共倒れするという局面をよくみる。でも結局選ばざるを得ないんだったら理性で選び取るしかない。その為にも常日頃、自分は何かを見捨てているという認識を持って、何を救い何を見捨てるかという基準を練り上げておくしかないんだと思う。
2012-07-21 08:31:04