〔AR〕その8
それからワンテンポ遅れ、しかしさとりがソファーから腰を浮かす前に、さとりの視界がふさがれる。あまりにも予想できすぎた展開に、さとりは苦笑するほかなかった。
2012-07-20 23:02:42「はいはい、こいしね。私の妹」 「あれ? わかっちゃった?」 背後からさとりの両目を手のひらで隠す少女、古明地こいしは、冗談ではなく、本当に意外そうな様子で返答した。
2012-07-20 23:03:02「癖ってのは無意識で出るものでしょ? こいしが、私の背中を見つけたときに目隠しするのなんて、今まで数え切れないほどあったじゃない」 さとりは妹の心を読むことはできないが、長年一緒に暮らしてきた中で、事細かな行動の傾向を把握している。
2012-07-20 23:04:04「というよりもねぇ。最初におねえちゃんなんて言ったら、その時点でわかるじゃない」 「あー、そういえばそうだねぇ」 こいしは感心したように頷いた。わざと惚けているわけではなく、本当にそう思っている風であった。
2012-07-20 23:05:29「それよりこいしは、おねえちゃんに言うことがあるのではなくて?」 「えー……あー……あ、そうだ! ただいま、お姉ちゃん」 「ええ。おかえりなさい、こいし」
2012-07-20 23:06:09古明地こいし、実に一ヶ月以上ぶりの帰宅である。元から頻繁に放蕩してはいるが、最近は命蓮寺に入信したこともあり、こいしが地上へ出向く頻度は上がっていた。
2012-07-20 23:08:28「ホームステイとは言え、今回は長かったわね。便りを読んだ限りでは、特に問題はなかったようだけれど」 「うん。ちゃんと白蓮さんの言うこと聞いてたよ」
2012-07-20 23:08:48こいしが特段面倒を起こさなかったことは、数日に一度白蓮から送られてくる手紙でさとりにはわかっていた。流石に、こいし特有のつかみどころのなさや、夢遊病的な振る舞いには幾分か手を焼いたようだったが。
2012-07-20 23:11:27地霊殿は、元々地底の中でも際だって静寂に切り取られた場所である。さとりは古い記憶と書物の知識から、寺を地霊殿と同じような騒音レベルだと思っていたが、どうにも違うようだった。
2012-07-20 23:13:58「いやいや全然。そりゃ流石に旧都ほどではないにしろ、いろんな妖怪たちが集まってくるから、何をしなくたってにぎやかだよ」 「そんなんじゃあ、人間の入信者なんてこないでしょうに」
2012-07-20 23:16:06「でも、何人か身寄りのない人間の子供を引き取ってもいるよ。私、お勤めとしてその子たちの相手をしてたもの」 「意外。こいしにはそういう才能があるのね」
2012-07-20 23:18:34白蓮の手紙で、命蓮寺滞在中のこいしが何をしていたかも伝えられていたさとりではあったが、改めて本人の口から聞くとなると、やはり驚きを禁じ得なかった。 イマジナリーフレンド「そのもの」が子供と遊ぶというのは実に不思議な話だ。ある本を読んだものは、そんな感想を抱くかもしれない。
2012-07-20 23:19:04「お姉ちゃんは、私が居ない間どうしてたの?」 「私はいつも通りよ。ペットの世話をしながら、本を読んだりしていたわ」 嘘は言ってないが、正確ではない表現だった。
2012-07-20 23:22:47さとりはこいしに対して、自分が書き物をしていることをはっきり言及しないようにしている。別段隠しているわけではないので、こいしにはさとりが書き物を趣味にしていることは知られているが、何となく身内に対して気恥ずかしさが拭えないからだった。
2012-07-20 23:23:00加えて、この度は、こいしが居ない間にバイオネットのサービスが始まった。さとりはそこに覆面作家「Surplus R」として自著を投稿しており、そのことは他者へ一切口外していない。そのことだけは、いかに唯一の肉親のこいしが相手といえども、絶対に知られたくはなかった。
2012-07-20 23:26:51「どこにも出かけてないの~?」 「出かけようもないわよ。旧都にだって滅多に用事がないのだし」 「お姉ちゃんも、命蓮寺になら遊びに行けると思うんだけどなぁ。あそこの人達なら、きっと大丈夫だよ」
2012-07-20 23:29:21こいしの発言に、さとりは眉を顰める。それは、姉妹の経歴を考えると有り得ないものだった。流石にさとりは呆れて、語気を沈めてこいしに言う。
2012-07-20 23:30:16「そうもいかないでしょう……いくら命蓮寺の方達が平気でも、あそこは人里が近いんだもの。私が出て行ったら無用な混乱を招いてしまうわ」 「そうかなぁ」
2012-07-20 23:32:03「貴方は随分長い間心を読まなくなったから、忘れてしまったかもしれないけれど、『覚』は、そこにいるだけで人間にも妖怪にも不安を強く与えてしまうのよ」
2012-07-20 23:32:31そう。だからこそ、さとりはバイオネット上でさえ自身の素性を欠片も見せないようにしている。自身の素性が知れたら、小説を読んで貰うどころの話ではなくなる――さとりは、そう考えていたのだった。
2012-07-20 23:33:32「じゃあさ、今やってる、なんだっけ――そう、バイオネットだバイオネット!」 さとりは堪えきれない戦慄に背筋を震わせた。こいしの発言が飛躍するのはいつものことではあるが、いくらなんでも心を読んだかのように狙い澄ませたタイミングだった。
2012-07-20 23:34:53「あれって、白蓮さんも使ってたけど、遠くの人の書いた文字が読めるんでしょ? お姉ちゃん小説書いてるんだから、それ使ったら『あの寝不足妖怪にこんな一面が!』って驚かれるんじゃないかなぁ」
2012-07-20 23:38:26