武具甲冑従者について

所謂騎士見習いについて
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@bukrd405

騎士道の時代、武具甲冑従者は紳士の中の紳士だった。彼らは若く、無給の見習い身分として騎士の最下層に位置した。将来、自身が騎士になることが潜在的な報酬なのだ。その当時、騎士は当時の職業としてはほぼ最高の部類に属し、現金と栄誉という配当金が支払われるわりには、リスクが高くなかった。

2012-06-21 19:42:58
@bukrd405

金属をがちゃがちゃ鳴らして歩く貴族は、板金でできた鎧に身を包まれているので、身を守りやすい。では、13世紀から15世紀にかけて彼らに仕えた少年たちは、どんな生活を送っていたのだろう?はっきり言って、とにかくひどいものだった。

2012-06-21 19:44:53
@bukrd405

映画やテレビのおかげで、騎士の戦いは数分で終わると思っているだろうが、実際は数時間に及ぶこともあった。戦いは混乱と恐怖に満ちた一瞬に端を発し、その後はときおりわずかな飲み物休憩を挟みながら続いた。休憩時にはワインや水を口にしたが、トイレ休憩はとれなかった。

2012-06-21 19:46:31
@bukrd405

中世の戦いはだいたいが夏だった。突っ立っているだけでも、騎士やびっしょり汗をかいたはずだ。ましてや戦いの最中となったら、どれだけの汗が噴き出したことか。それも上半身だけの話で、下半身はもっと悲惨だったろうし、騎士が弱虫だと、なおさらだった。地獄のありさまになっていたに違いない。

2012-06-21 19:50:30
火焔ネズミ🍥 @lastofmouse

@bukrd405 夏に戦争する理由があるんでしょうか?冬を避けるのはわかる気がしますが…

2012-06-21 20:20:15
もするさ§( •̀ᴗ•́) @mosurusa_0806

@bukrd405 農閑期と言ったら夏くらいしか有りませんよね。「冬でも戦える」のは常備軍の特権

2012-06-21 19:54:32
@bukrd405

@CLONE_P0806 聖地エルサレムを奪回するために中東に行った十字軍は、地獄のような暑さだったでしょうね。

2012-06-21 19:59:52
@bukrd405

武具甲冑従者の最悪の部分は、主人が戦いから戻り、この外側と内側の両方の汚れに対処するところから始まる。悪臭を放つ鎧を脱がせ、騎士に元気づけのワインを出したら、武具甲冑従者は鎧を清め、翌日に備えなければならない。水は貴重すぎて使えなかったので、代わりに研磨剤で汚れをこすり落とした。

2012-06-21 19:56:53
@bukrd405

効果抜群で手軽な方法は、鎧の各部分を砂の入った樽に入れて転がすことだった。しかし場合によっては、樽や砂が手に入らないこともある。そのときは、砂と酢と少量の尿を混ぜたもので鎧をこすった。仕事は甲冑の手入れだけではなかった。

2012-06-21 20:01:43
@bukrd405

寝るときも主人から離れず、床もしくは戸口に横になって指示に備えた。戦いに参加することは稀だった。主人が戻ってくるのを、おそらくは固唾を呑んで待ったことだろう。鎧の手入れの良し悪しによって、生死が決まることがあったからだ。

2012-06-21 20:11:18
@bukrd405

しかし従者には、戦場にたどり着くまでにも、片づけなければならない面倒な仕事がたくさんあった。時間の9割は行軍と、実際に敵を見つけて、生き残ることに費やされた。海外遠征となれば2、3か月は旅暮らしとなり、その間に何度かの対戦と、運が良ければ小競り合いを体験できた。

2012-06-21 20:13:36
@bukrd405

移動と待機の間、騎士の方は友人たちをもてなし、入手したばかりの、騎士ランスロットとグィネヴィアの話でも読んでいたのだろう。しかし武具甲冑従者は、そうしたお粗末な作品に現を抜かす間もなく、仕事に精を出した。野営地の設置や解体を監督しなければならなかったのだ。

2012-06-21 20:17:03
@bukrd405

しかも粗雑な仕事では、自宅同然の暮らしを望む騎士の期待に応えられなかった。例えばヘンリー5世は、自前の楽隊を帯同した。従者は主人のために四つ星ホテル並みの快適さを約束しなければならない。つまり彼らは、下士官であると同時に地方公演マネージャーであり、給仕長であり、

2012-06-21 20:20:47
@bukrd405

(承前)下の世話係であったのだ。実際の仕事内容を見るために、中世史上名高いアジャンクールの戦いを例に挙げてみよう。まず戦場まで、武具甲冑従者は歩兵たちとともに17日間、常に甲冑と備品と武器と刃物類に目を配りながら400㎞余りを行軍した。

2012-06-21 20:24:09
@bukrd405

ヘンリー5世にとって、アジャンクールの戦いは予定外だった。彼はフランス北部の町々で略奪を働いてきたが、戦闘シーズンは終わろうとしていた。10月8日、騎士と従者たちは8日分の食料とともにアルフールの町を出よとの命令が出た。町で赤痢が発生したのだ。

2012-06-21 20:30:28
@bukrd405

この段階では病気から逃れて、カレー経由でイングランドに帰る予定だった。しかし、黙って行かせるフランス軍ではなかった。ソンヌ川の渡河地点で待ち伏せされたヘンリー5世軍は、別の渡河場所を求めて上流へ向かった。降りしきる雨に打たれながらの行軍だった。

2012-06-21 20:32:05
@bukrd405

武具甲冑従者は毎夜、びしょ濡れになったテントの設営を監督し、すぐに錆びてしまう甲冑の手入れをしなければならなかった。一行とともにアルフールから赤痢がついてきたため、症状が治まるまで主人たちの看病に追われる従者も少なくなかった。

2012-06-21 20:34:20
@bukrd405

さらに食料と飲料水の不足が加わり、ヘンリー5世軍はかつてないほど弱体化した。アジャンクールの戦いそのものによるよりも、そこへ着くまでに死んだ者のほうが多かったほどだ。

2012-06-21 20:35:22
@bukrd405

ときいは、武具甲冑従者も主人に付き添って戦場に出るよう命じられた。だが、主人ほど武器に守られていないので、大怪我を負う危険があった。そして、それはほぼ死に直結した。戦場には従軍医もいなければ、ストレッチャーを持って走り回るセントジョン救急隊もいない。

2012-06-21 20:37:00
@bukrd405

アジャンクールで勝利を収めた大弓隊には、戦闘終了後にもう一つやるべき仕事が残っていた。血潮を吸った戦場を歩き回って重傷者を探し、見つかった重傷者を短刀で刺して惨めさから解放してやることだ。

2012-06-21 20:40:04
@bukrd405

短刀は眉庇の隙間か、詰め物をした布だけで経帷子や板金鎧に守られていない股間から腹に向かって刺された。以上、情報ソース:図説「最悪」の仕事の歴史http://t.co/Efa37AOd

2012-06-21 20:41:03
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